
「黄昏」の使い方・例文
「黄昏」の使い方を例文を使って見ていきましょう。この言葉は、たとえば以下のように用いられます。
1.演劇や映画に目がなく、自分の作品に全てを捧げる覚悟で生きてきた仕事人間であったが、人生の黄昏時を迎えて初めて家族と過ごすという時間が最も大切であるということに気が付くことが出来た。
2.一日中ショッピングモールで買い物を楽しんで外に出ると、辺りはもうすでに黄昏ていた。
3.若い頃は日中に海に入って沢山泳ぐことが夏の醍醐味であったが、最近では黄昏時に海辺でただ歩いて景色を楽しむことの方が好きになってきた。
「黄昏」は、太陽が沈んで暗くなっていく景色の様子をそのまま表現する「黄昏時(たそがれどき)」と使う場合と、一つ目の例文のように太陽が沈む様子を人生の盛りが過ぎる様子になぞらえて「人生の黄昏時」というような使い方をする場合があります。
人生を一日に例えるならば朝日が昇るころに「生誕」、お日様が丁度真上にいる正午あたりで「成人」を迎え、二時から三時のおやつの時間は社会的にも存在価値を見出し生活に余裕の出てくる「中年期」。そして日が暮れてくる「黄昏時」は、仕事も現役を引退して老後生活を楽しみながらいつか来る終わりについて考え始める「高齢期」と言ったところでしょうか。
よって、「人生の黄昏時」とは人生の余暇を楽しむ年齢を意味することが分かりますね。

「黄昏」とは一日の中の日が落ちて暗くなる瞬間だけを表現するのではなく、人生に例えて高齢期を表現することもあるんだな。全ての現役を終えた「人生の黄昏時」を楽しむためにも、今頑張れることを全力で挑戦していこう。充足感で満ち溢れた「人生の黄昏時」はきっと素敵なものだと思うぞ。
「黄昏」の類義語は?違いは?

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「黄昏」は、日が沈み始めて辺りが暗くなる時間帯を表現する言葉でした。日本語にはこのような時の流れや自然の様子、景色を比喩する美しい言葉が沢山あります。
黄昏時も例にもれず類義語はたくさんありますが、今回はその中でも普段なかなか聞くことのない珍しい表現を紹介するので、是非使ってみてくださいね。それでは早速「黄昏」の類義語を見ていきましょう。
「逢魔が時」(おうまがとき)
「黄昏」の類義語としては「夕暮れ」や「日暮れ」が最初に思い浮かぶかと思いますが、今回はなかなか聞いたことのない類義語を紹介します。
「逢魔が時(おうまがとき)」とは、「黄昏」と同じように日が暮れて暗くなり、周りの景色が見えずらくなる時間帯のことを表現する言葉です。「魔物に逢う時」と書くことからも分かる様に、このような薄暗い時間帯は昔から何に遭遇するかわからない怪しい時間帯というイメージだったのですね。
現代では「黄昏時」というと多くの人が美しい景色を想像するのではないでしょうか。一昔前と現代ではこんなにも時の流れに対する印象が変わることに衝撃ですね。
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