化学原子・元素物質の状態・構成・変化理科

5分でわかる「ラボアジエ」!近代化学の父の壮絶な最後とは?理系ライターがわかりやすく解説

2-4. 化学物質の命名法の確立と33個の元素の提唱

ラボアジエと同じ時代のプリーストリー、イギリスのキャベンディッシュ(水素の燃焼で水ができることを発見)の活躍もあり気体の正体が徐々にわかり始めていたことを背景に、1787年に『化学物質の命名法』により例えば食塩を塩化ナトリウムと呼ぶ今でも使われる命名法を、1789年に『化学要論』の中でそれまでの理論を体系的にまとめ当時知られていた33の元素を表にまとめました

もっともこの元素表の中には光やカロリック(熱素)が含まれていたりマグネシウム、アルミニウム、ケイ素、カルシウム、バリウムが全て酸化物として掲載されるといった間違いはありましたがその後の化学の発展に大きく寄与したことは疑いようもありません。

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それまでの化学の常識を覆し、元素の考え方を命名法を定着させた。まさに近代化学の父といえる輝かしい業績だ。

3. ラボアジエの最後

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不明 – private collection of de:Benutzer:Henryart, パブリック・ドメイン, リンクによる

以上化学において多大なる貢献を果たしたラボアジエですが、貴族として裕福な家庭に生まれたにも関わらず実験の費用は自らの稼ぎから捻出するという考えをもっていました。そのために彼は市民から税の取り立てを行う徴税請負人という仕事をしていたことが原因で1794年5月8日、「共和国は科学者を必要としない」として彼はギロチンにかけられることとなりました。当時ロベスピエールをはじめとしたジャコバン派による恐怖政治が展開されたのはテルミドール9日のクーデターが起こる1794年7月27日まででしたので、たった2ヶ月半の差でフランスはその世界最高の頭脳を失うこととなってしまったのです。

同じくフランスを生きた天才数学者、天文学者であるジョゼフ=ルイ・ラグランジュ(Joseph-Louis Lagrange)はラボアジエの死を嘆いてこう言いました。「彼の頭を打ち落とすにはほんの一瞬の時間しか必要ではなかったが、彼と同じ頭脳を生み出すには100年以上を必要とするであろう」と。ラボアジエの死を惜しんだフランス人は、彼の死から2年後にその胸像を建て、盛大な葬儀を執り行うことで彼の偉業をしのんだのです。

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もしラボアジエが生きていたら化学はその後どれほどの進化を遂げていたのだろうか。当時世界は一瞬で大きな宝を失てしまったということが言えるな。

壮絶な最後を迎えた近代化学の父ラボアジエ

アントワーヌ=ローラン・ド・ラボアジエ(Antoine-Laurent de Lavoisier)は1743年8月26日フランス王国(当時)パリ出身の貴族で、化学者です。

彼は精密な測定による実験に強い興味を抱きギリシア時代から続く四元素説とフロギストン説(燃素説)の打破、質量保存の法則の発見、『化学要論』における化学物質の命名法の確立と33個の元素の提唱といった輝かしい実績を残しました。

しかし徴税請負人という仕事をしていたこと、当時の恐怖政治の真っただ中にあったことで若干50歳という若さで処刑されこの世を去ることとなったのです。

イラスト使用元:いらすとや

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