
3分で簡単「ラボアジエ」!近代化学の父の壮絶な最後とは?理系ライターがわかりやすく解説
高校で化学の勉強をしていると「聞いたことはあるけど…」という感じでしょうか。この人物は近代化学の父とも呼ばれ「すべての物質は元素から構成される」という考え方を始めて提唱した人物です。質量保存の法則でも有名です。
そんな彼の人生と業績について国立大学の理系出身で環境科学を学び、学生時代世界史も得意だったライターNaohiroが一緒に解説していきます。

ライター/Naohiro
国立大学の理系出身で環境科学を専攻していた。学生時代は世界史も得意で、特にラボアジエの生きた近世ヨーロッパ史にも詳しい。
1. ラボアジエって誰?何をした人?

image by iStockphoto
ラボアジエというのは一体誰で、何をした人なのでしょう。この記事ではラボアジエの人生とその業績について解説していきますね。
1-1. アントワーヌ=ローラン・ド・ラボアジエ
ジャック=ルイ・ダヴィッド – メトロポリタン美術館, online database: entry 436106 (accession number: 1977.10), パブリック・ドメイン, リンクによる
ラボアジエのフルネームはアントワーヌ=ローラン・ド・ラボアジエ(Antoine-Laurent de Lavoisier)といいます。日本語ではラボアジェとかラヴォアジエと表記されることもありますが以下ラボアジエとしますね。ラボアジエは1743年8月26日フランス王国パリで、裕福な法律家(弁護士)の子として生まれました。

image by Study-Z編集部
その後彼は化学、植物学、天文学、数学を学んだ後パリ大学法学部に進学、弁護士試験に合格しています。その後科学者の活動も行いつつ1768年から市民から税金の取り立てを行う徴税請負人の仕事を開始、その後四元素説とフロギストン説の打破、質量保存の法則の発見、33元素の提唱といった目覚ましい活躍を遂げていくのです。
1-2. ラボアジエの生きた時代
Sodacan, CC 表示-継承 3.0, リンクによる
次にラボアジエが生きた時代についてみていきましょう。ラボアジエが生きたフランス王国は1589年から1792年まで続いたブルボン朝時代の後期で、対外戦争に対して出兵することで膨大な軍事費を課税で賄うことで市民のフランス王国に対する不満がピークに達している時期でもありました。その結果1789年フラン革命が起こり、その結果ラボアジエは後述の通り不遇な最後を遂げることとなるのです。
また、彼と同時代を生きた科学者としてはイギリスの牧師で化学者のジョセフ・プリーストリー(Joseph Priestley)がいました。彼は気体の研究を主とし、酸素の発見者でもあったのでラボアジエに大きな影響を与えました。また18世紀最大の数学者と言われているジョゼフ=ルイ・ラグランジュ(Joseph-Louis Lagrange)も同じ時代、王妃マリー・アントワネットの数学教師を行っていたことでも有名です。
\次のページで「2. ラボアジエの業績」を解説!/