世界史古代ローマ

5分でわかる「五賢帝」どうやってローマ帝国を最盛期に導いた?歴史オタクがわかりやすく解説

2.トラヤヌス帝、ローマを最大領土へ

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属州生まれ初の皇帝

ネルウァの崩御後、98年に皇帝となった「トラヤヌス」。彼は属州ヒスパニア(イベリア半島)出身の軍人であり、また属州出身者で最初の皇帝となります。在位は98年から117年までの19年間。

軍人であったころは戦地を転々とながら、人望を集めていました。そんなトラヤヌスが皇帝となれば、ネルウァのころに反発していた軍隊も、軍人出身のトラヤヌスならばと従ったのです。しかし、トラヤヌスは軍人ばかりをひいきすることもなく、ネルウァ同様に元老院を尊重しつつ、同時に新興勢力を登用して政治のバランスを取ります。

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ローマ史上最大領土へ踏み出す

先帝に望まれた通りバランスの良い政治を行ったトラヤヌス。しかし、ネルウァと違い、彼は領土拡大の戦争に乗り出します。

まず、トラヤヌスはローマの東で勢力を強めていたダキア(現在のルーマニア)への親征を始めました。ドミティアヌスの時代にローマはダキアに屈辱的な大敗を喫した過去があり、このリベンジでは絶対に勝たなくてはなりません。

かくして、101年にローマ帝国とダキアによる「ダキア戦争」が始まりました。戦争は間に三年の休戦をはさみつつ、101年から106年までの五年間続けられます。ダキアの軍は地の利をいかしながらなんとかローマの攻撃を耐えていましたが、戦況はローマが優勢のまま。最後にダキア王デケバルスが自害したことにより、ダキア戦争はローマ側の勝利に終わりました。

この戦争でトラヤヌスは巨額を得、そのお金でローマの公共広場(フォルム)にトラヤヌス広場と市場を建設します。また、元老院もトラヤヌスの勝利を記念して、トラヤヌス広場に「トラヤヌスの記念柱」を建設しました。この記念柱の表面にはダキア戦争の様子を描いたレリーフがらせん状に彫られ、断片的にしか残っていないダキア戦争の貴重な史料として今もローマに存在しています。

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パルティア遠征で最大領土になった、が

ダキア戦争後の113年。すでに60歳を越えていた晩年のトラヤヌスは、歳のことなどいとわずに東のパルティア(古代イランの王朝、アルケサス朝パルティア)への遠征を決意します。これはパルティアがローマとの緩衝地帯だったアルメニア王国に手を出したことが原因の一端でした。

そうして、トラヤヌスはアルメニアを属州にするとパルティアへ進軍。最終的にメソポタミア南部まで進出したことで、ローマ帝国の領土が最大となったのです。

しかし、パルティアとの「パルティア戦争」が終結し、これで戦争が終わると思われた115年のこと。東地中海の各地でユダヤ教徒による反乱「キトス戦争」が始まります。さらに翌年にはメソポタミア南部でも反乱が起こり、メソポタミアの領土の維持が困難と判断したトラヤヌスは退却。タイミングの悪いことに、高齢のトラヤヌスの健康状態が悪くなったため、そのままメソポタミアを破棄して帰国することになったのです。

ところが、この帰国途中にトラヤヌスは病没。パルティア再侵攻の計画は露と消えてしまったのでした。

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ネルウァから皇位を受け着いたトラヤヌスは、望まれた通り元老院と軍隊のバランスを保つ政治を行った。そして、ダキア、パルティアとの戦争で領土をローマ史上最大のものにしたんだ。

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3.ローマ帝国の安定をもたらしたハドリアヌス

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