けれど、そんなセルウィウス王もまた先代のタルクィニウス王の孫「タルクィニウス・スペルブス」とその妻であり、自分の娘であるトゥッリアによって暗殺されてしまいます。そうして即位したのが、またしてもエトルリア人の王・タルクィニウス・スペルブスです。
タルクィニウス・スペルブスは、歴代の王と違って暴君でした。そもそも、その即位でさえ市民会や元老院の承認もなく行ったのです。そんな王だからこそ、もちろん政治も両議会を介入させることなく自分ひとりですべてを決めてしまいます。ローマの人々はタルクィニウス・スペルブス王に非常に不満を持ちました。戦争は得意だったために領土こそ拡大しますが、ここでタルクィニウス・スペルブス王はエトルリアとの同盟を結ぶことに。そうすると、ローマ国内をエトルリア人が我が物顔で歩くようになりました。
強国エトルリアと同盟を組んだことで、もはや敵国はほとんどありません。しかし、自国内を闊歩するエトルリア人を見たローマの人々は「ローマはエトルリアの属国になった」と意識する人も出てきました。
ローマの人々の怒りが日に日に募っていくばかり。そんなある日、タルクィニウス・スペルブス王の息子が人妻に横恋慕した挙句に無理矢理に関係を持ったという報が知らされます。ローマの人々の怒りが爆発した瞬間でした。ルキウス・ユニウス・ブルトゥスが「タルクィニウス・スペルブス王を追放すべきだ!」と主張し、その言葉に民衆は武器を取って決起します。
このとき遠征に出かけていたタルクィニウス・スペルブス王は慌てて帰国しようとしますが、ローマの門はすべて閉じられたあと。決してなかに入ることはできず、タルクィニウス・スペルブスはエトルリアに去ったのでした。