ギリシャ世界史古代ギリシャ歴史

5分でわかる「スパルタ」スパルタ教育の元祖?300人で200万のペルシア軍に挑んだ?歴史オタクがわかりやすく解説

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ポリスが形成され、都市間での軍事的緊張状態が起こっていた古代ギリシャ。その状況下で厳格な軍国主義を取ったスパルタの子供たちは厳しく教育され、誰もが兵士として戦える国になった。スパルタの重装歩兵は強いことで有名だぞ。

2.戦争を繰り返すポリスとペルシア帝国

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覇権を握ったスパルタ

西のメッセニアを征服し、広い領土を持つことになったスパルタ。これによってスパルタはペロポネソス半島での影響力を強めることになります。しかし、そうなったらそうなったで他の勢力が黙っているはずがありませんよね。それでペロポネソス半島の対抗勢力とさらなる戦いが繰り広げられることになり、例の重装歩兵たちで見事に勝利したスパルタはペロポネソス半島の覇権を得ることになりました。

そうして、紀元前6世紀にペロポネソス半島内のポリスと組んで「ペロポネソス同盟」を結成。スパルタはその盟主となったのです。

ペルシア帝国の侵攻

エーゲ海を挟んだ向こうのアケメネス朝ペルシア帝国がギリシャに向けて侵攻を始めたのが、紀元前499年のこと。ペルシアという強大な国に対抗するため、ギリシャ人たちはアテナイを中心に各ポリスが協力する連合軍を結成しました。スパルタもアテナイと共に戦争を主導する立場として参戦します。

こうしてギリシャの連合軍対ペルシア帝国による「ペルシア戦争」が勃発したのです。

一時はアテナイが占領されるも、スパルタの重装歩兵をはじめ、アテナイの海軍などにペルシア帝国はなかなか侵攻を進めることができません。

この戦争のさなか、歴史上でとても有名な「テルモピュライの戦い」が起こります。テルモピュライはアテナイの北、山と海に挟まれた狭い道でペルシア軍を迎え撃つのに有利な場所でした。

ところが、このときスパルタはカルネイア祭というとても重要な祭りの真っ最中で、一切の軍事行動を禁止されています。本来なら戦争に行くことすらできないところを、スパルタの「レオニダス王」が300人の精鋭を率いて出撃することにしたのです。

そうして、レオニダス王の率いる300人の重装歩兵に各ポリスからやってきた兵士を加えた5000から7000人で、テルモピュライを防衛することになりました。

テルモピュライの戦い

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5000から7000人のギリシャの連合軍に対して、陸上を南下してきたペルシア軍は200万人を越えていました。ペルシア軍もこのあまりに大きな戦力差に、ギリシャ連合軍は早々に撤退するだろうと高みの見物を決め込んでいたほどです。しかし、ギリシャ連合軍は撤退はせず、予定通りテルモピュライを決戦の地とします。

こうして戦いの火ぶたが切られ、ペルシア軍が圧倒的人数有利を振りかざして寡兵のギリシャ連合軍軍へ攻撃を仕掛けました。しかし、ペルシア軍はなかなか連合軍の防衛線をを突破することができません。

このとき、先陣に立ったのはスパルタの重装歩兵たちです。彼らはテルモピュライの狭い道にずらりと密集部隊を並べ、向かって来るペルシアの兵たちを槍で突き倒したのでした。

すぐに終わると思った戦闘なのに、ギリシャ連合軍は二日に渡ってペルシアの大軍を食い止めます。一方、大打撃を受けたペルシア軍は、とうとうテルモピュライの抜け道を発見したのです。その道を使われると、ペルシア軍はギリシャ連合軍の背後に回り込め、戦況をひっくり返されてしまいます。

そうして、戦闘が始まって三日目の早朝。ペルシア軍が抜け道をやってくることを知ったギリシャ連合軍は、スパルタの重装歩兵300人とテバイ兵400人、テスピアイ兵700人を残して撤退してしまいます。彼らはたった1400人でも、ペルシアと戦うことにしたのです。

こちらもまた不利な状況にもかかわらず、スパルタの精鋭たちは奮戦し、迫りくるペルシア軍を押しとどめました。激戦の最中にレオニダス王が倒れてしまいますが、それでも戦いをやめることなく、ギリシャ連合軍は最後のひとりが戦死するまで戦い続けたのでした。

サラミス海戦とプラタイアの戦い

テルモピュライの戦いで敗北を喫したギリシャ連合軍でしたが、テルモピュライの防戦で稼いだ時間のおかげでギリシャ連合軍は海軍の準備が整います。そうして挑んだ「サラミス海戦」ではアテナイの海軍がペルシア軍を破ったのでした。

敗戦を受けたペルシアのクセルクセス1世は30万人の兵を残して帰国。残されたペルシア軍は侵攻を再開し始めます。

そして、ギリシャ連合軍はアテナイより北キタイロン山麓で再びペルシア軍と対峙しました。パウサニアス王とスパルタ兵たちは「プラタイアの戦い」で孤立してしまうのですが、その劣勢をものともせず浮足立ったペルシア軍を返り討ちにしてしまうのです。その結果、30万のペルシア軍をスパルタだけで打ち破ったといわれています。

サラミス海戦、そしてプラタイアの戦いをギリシャ連合軍が勝利をおさめたことで、ペルシア戦争はギリシャ側が勝者となったのでした。

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