この記事では「三つ子の魂百まで」について解説する。

端的に言えば三つ子の魂百までの意味は「幼いころの性格は年をとっても変わらない」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

国語力だけでこれまでの社会人生活を乗り切ってきたライター、ヤザワナオコに「三つ子の魂百まで」の意味や例文、類語などを説明してもらおう。

ライター/ヤザワナオコ

コールセンターの電話応対指導やマナー講師、テレビ番組の字幕製作経験もあるライター、ヤザワナオコ。

自身が子育てしたときは、「三つ子の魂百まで」など意識している暇もなくあっという間に時間が流れていった印象らしい。どんな意味があるのか、またよくある誤用例なども併せて解説してもらう。

「三つ子の魂百まで」の意味や語源・使い方まとめ

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それでは早速「三つ子の魂百まで」の意味や語源・使い方を見ていきましょう。

「三つ子の魂百まで」の意味は?

「三つ子の魂百まで」には、次のような意味があります。

幼いころの性格は、年をとっても変わらないということ。

出典:デジタル大辞泉(小学館)

小さい子どもでも、活発だったり引っ込み思案だったりと性格はいろいろ。幼少期に見られるそうした気質は、大人になっても変わらないものだ、という意味の言葉です。

ここでいう「三つ子」は、「双子、三つ子」というときの三つ子ではありませんので気をつけましょう。元の意味は「3歳児」ということで、転じて幼い子供全体を指して使われています。同様に「百まで」ももちろん「100歳まで」という意味ではなく、「大人になっても、いつまでも」程度の意味です。

このように慣用句に登場する数字は、表す数そのものにとらわれすぎずにざっくりと意味を捉えるほうがふさわしいことがよくありますよ。十人十色、五十歩百歩などもその例といえますね。

「三つ子の魂百まで」の語源は?

次に「三つ子の魂百まで」の語源を考えてみます。

一般にいわれているのは、かの有名な源氏物語の一節がもとになっているという説。具体的には、書や碁に生まれつき秀でた人がいるものだ、といった内容の記述をもとに「三つ子の魂百まで」といわれるようになったというものです。

ただ、言葉として「三つ子」「幼い子」と出てくるわけでもなければ、「大人になっても変わらない」のような意味のことも含まれていないので、語源と言い切るには無理があるような気もしてしまいます。

筆者の私見としては、単純に小さいころを「三つ子」、「大人」を「百」と置き換えて言い表す方法が定着しただけではないかと思うのですが、皆さんはどう考えるでしょうか。

\次のページで「「三つ子の魂百まで」の使い方・例文」を解説!/

「三つ子の魂百まで」の使い方・例文

「三つ子の魂百まで」の使い方を例文を使って見ていきましょう。この言葉は、たとえば以下のように用いられます。

・娘は小さいころから怖いもの知らずで、今は登山家になってあちこちの山に挑戦しています。三つ子の魂百までですね。

・三つ子の魂百までというとおり、頑固で有名な上司は小学生のころから先生に手を焼かせていたらしい。

例文のように、「三つ子の魂百まで」と表される性格、気質はポジティブ、ネガティブを問いません。

気をつけたいのはあくまでも「生まれ持っての性格」が変わらないことを示す場合に使う言葉だということ。学校や習い事などで学んで身につけた技術や能力については使わない点に注意しましょう。

ですから、「三つ子の魂百までというから幼少期の保護者のしつけは大切だ」とか、「小さいころからピアノを習わせれば、三つ子の魂百までで音楽講師の仕事ぐらいできるだろう」といった使い方は厳密には誤りとなります。

「三つ子の魂百まで」の類義語は?違いは?

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では「三つ子の魂百まで」と同じような意味を表す言葉にはどんなものがあるでしょうか。

「噛む馬はしまいまで噛む(かむうまはしまいまでかむ)」

人を噛む悪癖がある馬は死ぬまで噛む癖が直らないといいます。そこから、「悪い性質や癖は簡単には直らない」ことを表す言葉になりました。

性格や習性が変化しづらいことをいう点では「三つ子の魂百まで」と共通していますが、こちらは「悪い癖」の場合に限定して使う点に気をつけましょう。

\次のページで「「雀百まで踊り忘れず(すずめひゃくまでおどりわすれず)」」を解説!/

「雀百まで踊り忘れず(すずめひゃくまでおどりわすれず)」

「若いころから繰り返してきた習慣はそうそう変わらない」様子をいうのがこちらです。スズメが跳ねる様子は死ぬまで変わらないことから来ています。

「踊り」は人間にしてみれば娯楽の面が強いことから、かつては道楽者や浮気者といった遊び人を指して使われることが多かったこの言葉。ですが今では、幼いころに身につけたスキルが大人になっても役立っているケースなど、良い習性にも使われるようになっています。

「三つ子の魂百まで」の対義語は?

次に、「三つ子の魂百まで」とは反対の意味を持つ言葉を見ていきましょう。「幼いころからの性格は変わらない」の反対ですから、桜木先生も言っていた「環境によって変化する」という意味合いがよさそうです。

「朱に交われば赤くなる(しゅにまじわればあかくなる)」

「人は置かれた環境や周囲の人物に影響される」といった意味のことわざです。黒い絵の具にほかの色の絵の具を混ぜても、すべて黒っぽくなってしまいますね。同様に昔の中国では朱色も強い色とされていました。

なお、ここでいう周囲の人物や環境は、良いもの悪いものを問いません。良い環境にいれば良いほうへ、悪い人と親しく付き合えば悪い方へ感化されることを表します。

「孟母三遷(もうぼさんせん)」

中国の思想家、孟子の母は、教育にふさわしい住環境を求めて引っ越しを繰り返したといわれます。その故事から、「教育には環境が重要であること」を指す言葉ができました。

今でこそ風営法や各都道府県の条例で学校の環境はある程度守られるようになっていますが、教育のために引っ越すというのは大昔の一人の母親の行動としてはかなり思い切ったものだったように感じます。

なお、孟子の母については「孟母断機」という四字熟語も。「学業を途中でやめてはならない」という意味で、偉大な思想家を育てた母親の強い姿勢がここにも見て取れますね。

・小学生の頃は学校で騒いでばかりで心配したが、中学生になったらクラスの真面目な子に影響されて熱心に授業を聞くようになった。朱に交われば赤くなるとはこのことだな。

・朱に交われば赤くなるという言葉どおり、芸能界に入った娘は昔とは別人のように派手になった。

・飲み屋さんばかりの繁華街で子育てというのはどうなの?孟母三遷というし、この機会に引っ越しを考えたら?

「三つ子の魂百まで」の英訳は?

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最後に、「三つ子の魂百まで」を英語で表す場合を紹介します。

\次のページで「「What is learned in the cradle is carried to the grave」」を解説!/

「What is learned in the cradle is carried to the grave」

直訳すれば「ゆりかごで学んだことは墓場まで運ばれる」となります。「学ぶ」を意味する「learn」が使われている点では「三つ子の魂百まで」ほど「生まれ持っての性格」というニュアンスではないのかもしれませんが、「赤ちゃんの頃の性質は変わらない」と言っている点は共通しますね。

「A leopard cannot change his spots.」

「ヒョウは体の斑点模様を変えることはできない」、つまり「生まれ持った性質は変えられない」という意味です。ヒョウに限らず、生まれつきの体の特徴を後から自分の意志で変化させるのは至難の業。体の模様を例にしていますが、外見的なことに限らず性格、本質が変わらないといいたいときに使える表現ですよ。

「三つ子の魂百まで」を使いこなそう

この記事では「三つ子の魂百まで」の意味・使い方・類語などを説明しました。習ったというよりは生まれつきの性質について使う点と、ポジティブ、ネガティブの両面で使える点を覚えておくとよいでしょう。

でも「三つ子の魂百まで」だから「この人はこういう人だ」などと決めつけるのではなく、目の前のその人自身を見て、話を聞いて、性格を判断していけるといいですね。

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【慣用句】「三つ子の魂百まで」の意味や使い方は?例文や類語をWebライターがわかりやすく解説!

この記事では「三つ子の魂百まで」について解説する。

端的に言えば三つ子の魂百までの意味は「幼いころの性格は年をとっても変わらない」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

国語力だけでこれまでの社会人生活を乗り切ってきたライター、ヤザワナオコに「三つ子の魂百まで」の意味や例文、類語などを説明してもらおう。

ライター/ヤザワナオコ

コールセンターの電話応対指導やマナー講師、テレビ番組の字幕製作経験もあるライター、ヤザワナオコ。

自身が子育てしたときは、「三つ子の魂百まで」など意識している暇もなくあっという間に時間が流れていった印象らしい。どんな意味があるのか、またよくある誤用例なども併せて解説してもらう。

「三つ子の魂百まで」の意味や語源・使い方まとめ

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それでは早速「三つ子の魂百まで」の意味や語源・使い方を見ていきましょう。

「三つ子の魂百まで」の意味は?

「三つ子の魂百まで」には、次のような意味があります。

幼いころの性格は、年をとっても変わらないということ。

出典:デジタル大辞泉(小学館)

小さい子どもでも、活発だったり引っ込み思案だったりと性格はいろいろ。幼少期に見られるそうした気質は、大人になっても変わらないものだ、という意味の言葉です。

ここでいう「三つ子」は、「双子、三つ子」というときの三つ子ではありませんので気をつけましょう。元の意味は「3歳児」ということで、転じて幼い子供全体を指して使われています。同様に「百まで」ももちろん「100歳まで」という意味ではなく、「大人になっても、いつまでも」程度の意味です。

このように慣用句に登場する数字は、表す数そのものにとらわれすぎずにざっくりと意味を捉えるほうがふさわしいことがよくありますよ。十人十色、五十歩百歩などもその例といえますね。

「三つ子の魂百まで」の語源は?

次に「三つ子の魂百まで」の語源を考えてみます。

一般にいわれているのは、かの有名な源氏物語の一節がもとになっているという説。具体的には、書や碁に生まれつき秀でた人がいるものだ、といった内容の記述をもとに「三つ子の魂百まで」といわれるようになったというものです。

ただ、言葉として「三つ子」「幼い子」と出てくるわけでもなければ、「大人になっても変わらない」のような意味のことも含まれていないので、語源と言い切るには無理があるような気もしてしまいます。

筆者の私見としては、単純に小さいころを「三つ子」、「大人」を「百」と置き換えて言い表す方法が定着しただけではないかと思うのですが、皆さんはどう考えるでしょうか。

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