大正平成昭和現代社会

「甲子園」の歴史とは?阪神甲子園球場との関係を元大学教員が3分でわかりやすく解説

野球の聖地として発展し続ける阪神甲子園球場

image by PIXTA / 24134821

甲子園はスポーツ全般を楽しめるレジャー施設でしたが、徐々に野球に特化した施設へと形を変えていきます。甲子園大運動場は甲子園球場と名前を変え、昭和39年に阪神甲子園球と改称されました。1964年に現在の阪神甲子園球場という名前となります。

メディアにより盛り上げられた甲子園

現在の高校野球は、春に行われる選抜高校野球大会と夏に行われる全国高校野球選手権大会の2回。春の大会が初めて行われたのは1924年、夏の大会はそれより早く1915年に開始されました。夏の大会については、当初に会場は鳴尾球場でしたが第10回大会から甲子園で行われるようになりました。

戦後になると高校野球と甲子園の結びつきは特別なものになっていきます。春の大会は毎日新聞、夏の大会は朝日新聞が共催。日本の2大新聞が競う形で甲子園における試合を盛り上げていきました。さらにラジオ放送そしてテレビ放送が開始され、高校野球がより身近なものに。甲子園を目指す高校球児のストーリーが特集され、日本国民にとっても甲子園は特別な場所となりました。

阪神タイガースのホームグラウンドとして使用

阪神タイガースは甲子園と共に生まれたと言ってもいいでしょう。読売新聞の主導により大日本東京野球倶楽部が創立されたとき、誘いを受けた阪神電鉄が甲子園を本拠地とする球団を立ち上げたのが始まりです。当時の球団名は大阪タイガース。第二次世界大戦の前から、東京に拠点を置く巨人軍と争う強豪チームとして人気を博していました。

甲子園は歴史ある球場である分、老朽化が進んでいきます。ナイターに対応する、収容人数を増やす、グラウンドの大きさを見直すなど、段階的に改修が重ねられてきました。2007年から甲子園は大々的に改修され、アルプス、内野、外野スタンドを一新。雨の日に試合ができるようにドーム化する構想もありましたが、高校野球は青空の下でするのがふさわしいという意見が強かったことから見送られました。

甲子園から見えるのは日本の歴史

甲子園の歴史は明治、大正、昭和、さらには平成、令和と続きます。明治時代の甲子園は文明開化の影響が濃厚。昭和は太平洋戦争の影響も受けてきました。今では当初の甲子園の面影を残すところは限られていますが、それでもいろいろな形で残っています。機会があったら街を散策して住宅地・遊園地・レジャーランドを包括する甲子園プロジェクトの全貌に想いを馳せてみてはいかがでしょうか。

1 2 3 4
Share: