それじゃ、甲子園の歴史について高校野球の大会のほか西宮市の開発の状況など現代社会に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。
- 甲子園とは?
- 甲子園は阪急電鉄により開発された埋立地
- 住宅地・遊園地としても発展した甲子園
- 甲子園大運動場の建設
- 高まる野球人気に後押しされて建設
- 遊園地や動物園の建設もすすめる
- もうひとつのシンボルが甲子園ホテル
- フランク・ロイド・ライトの弟子による設計
- 太平洋戦争中は軍の施設に
- 甲子園阪神パークは戦後に復活
- 戦後に復活するも阪神・淡路大震災に遭遇
- 甲子園阪神パークの目玉となったレオポン
- 戦争に翻弄された甲子園大運動場
- テニスの聖地でもあった甲子園
- 戦中・戦後の甲子園は軍事利用が続く
- 野球の聖地として発展し続ける阪神甲子園球場
- メディアにより盛り上げられた甲子園
- 阪神タイガースのホームグラウンドとして使用
- 甲子園から見えるのは日本の歴史
この記事の目次
ライター/ひこすけ
アメリカ文化を専門とする元大学教員。小さい頃の自分にとって野球選手は憧れの存在。外野スタンドで選手を応援したこともある。朝の練習帰りの生徒によく会うこともあり、今年も甲子園出場をめぐって盛り上がった。そこで甲子園に関連する企業進出や高校野球の歴史を調べてみた。
甲子園とは?
甲子園とは、兵庫県西宮市にある地名のこと。武庫川の支流である枝川を埋め立てたところにあります。枝川は埋め立てられたことにより存在しません。現在は、阪神タイガーズのホームグラウンドとして利用されている阪神甲子園球場のことも指します。
甲子園は阪急電鉄により開発された埋立地
甲子園の開発をすすめたのは阪神電鉄。明治32年に摂津電気鉄道株式会社という社名で設立された会社です。当初の甲子園は埋め立て地だったため何もないところ。そこで阪神電鉄は、明治末期より沿線を拡張しながら、遊園地および住宅地の開発をすすめていきました。
甲子園の中心となるのが阪神甲子園球場。そこをホームグラウンドとしている阪神タイガーズは、昭和10年に阪神電鉄が自ら設立した球団です。最初は株式会社大阪野球倶楽部という名称だったようですね。
住宅地・遊園地としても発展した甲子園
阪神電鉄は家族を呼び込むために現在の甲子園線沿線の土地を取得、住宅地と遊園地の造成に着手します。当時は、甲子園線の北側に住宅地を、南側に遊園地をつくるという計画でした。実際は南側にも住宅地が開発されました。
阪神電鉄の後を追って甲子園開発に参入したのが大林組。江戸時代末期に起源をもつ建設会社で、明治末期ごろから頭角をあらわします。大林組が開発した浜甲子園健康住宅地は、緑、郊外、健康をキーワードとする住宅地。和洋折衷のおしゃれな住宅が並びました。
甲子園大運動場の建設
甲子園のシンボルとなるのが阪神甲子園球場。このルーツとなるのが甲子園大運動場です。野球人気が高まると共に、すでにある野球場では押し寄せる観客を収容できなくなりました。そこで阪神電鉄により建設されたのが甲子園大運動場でした。
高まる野球人気に後押しされて建設
現在の全国高校野球選手権のはじまりは大正6年からはじまった全国中等学校優勝野球大会です。当初の会場は、もともと競馬場だったという鳴尾球場。競馬トラックを改造して陸上競技場、プール、テニスコート、そして野球場をつくります。
こうした経緯から野球場の規模は大きなものではありませんでした。そのため野球人気が高まると共に観客を収容することが困難に。そこで甲子園の開発に着手していた阪神電鉄は、その中心地に甲子園大運動場を建設することにします。
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