「渇しても盗泉の水を飲まず」
「かっしてもとうせんのみずをのまず」と読みます。
「渇する」は喉が渇くということ、「盗泉」は中国の山東省に実在した泉の名前。その昔、孔子は「盗泉」という名前がよくないとしてその泉の水を飲まなかったという故事に由来し、「どんなに困っても不正に手を染めない」という意味で使われます。窮状にあっても気品を失わない点は「武士は食わねど高楊枝」と同じ。ただこちらは完全にポジティブなイメージで使われ、「武士は食わねど高楊枝」のようなやせ我慢のイメージはない点は異なります。
「渇しても盗泉の水を飲まず」と同じ意味を持つ言葉として、「鷹は飢えても穂を摘まず」や「虎は飢えても死したる肉を食わず」もありますよ。
「武士は食わねど高楊枝」の対義語は?
次に、「武士は食わねど高楊枝」と反対の意味を表す言葉も見ていきましょう。
「背に腹はかえられぬ」
差し迫った苦痛から逃れるためなら、他のものを犠牲にすることも仕方がない、という意味。「武士は食わねど高楊枝」が、空腹という苦痛に耐えてでも恥をかかないように体面を保とうとするのとは対照的ですね。
「貧すれば鈍する」
貧乏になると、本来は高い能力を持つ人も知恵が働かなくなる、という意味の言葉です。要するに金銭的な困窮で精神面まで貧しくなる様子を表しており、お金はなくても気高さは失わない「武士は食わねど高楊枝」とはやはり反対の意味といえます。
「keep up with Joneses」
「keep up with~」は「~に遅れずについていく」の意味で使われることが多く、「keep up with Joneses」を直訳すると「ご近所になんとか合わせていく」という意味。このJonesesは特定の人や家庭を表すのではなく、よくある名前の代表として「お隣さん、ご近所さん」といったニュアンスで使われています。
実際は家計が苦しくても、それを気取られないように周囲の人と買い物などの生活基準を合わせる様子をいう言葉なので、「武士は食わねど高楊枝」と同じ意味合いがありますね。
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