
端的に言えば武士は食わねど高楊枝の意味は「対面を重んじる」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。
国語力だけでこれまでの社会人生活を乗り切ってきたライター、ヤザワナオコに、「武士は食わねど高楊枝」の意味や例文、類語などを説明してもらおう。
ライター/ヤザワナオコ
コールセンターの電話応対指導やマナー講師、テレビ番組の字幕製作経験もあるライター、ヤザワナオコ。
1日に3回しか食事のチャンスがないのが寂しく感じるほどの食いしん坊なので、空腹感に堪えるのは至難の業で、「武士は食わねど高楊枝」なんて真似はできそうにないとのこと。この慣用句の意味や使い方について解説してもらう。
「武士は食わねど高楊枝」の意味は?
「武士は食わねど高楊枝(ぶしはくわねどたかようじ)」には、次のような意味があります。
武士は貧しくて食事ができなくても、あたかも食べたかのように楊枝を使って見せる。武士の清貧や体面を重んじる気風をいう。また、やせがまんすることにもいう。
出典:デジタル大辞泉(小学館)
江戸時代の武士は、金銭的には貧しくとも高潔さを保って清貧に暮らしていたといわれます。たとえ日々の食料に困るような状態でもそれを周囲に気取らせないようにふるまう様子からこの言葉ができました。腹ペコだからといってガツガツするのはみっともないといった、日本人らしい美徳を表す言葉といえます。
ただ、辞書の意味でも補足してあるように、現在は「高潔、誇り高い」というプラスのイメージよりも、やせ我慢をしている人を皮肉るようなマイナスのニュアンスで使われることも。もしこの言葉を耳にしたら、どちらのニュアンスなのか気をつけて意味を捉えるようにしましょう。
「武士は食わねど高楊枝」の語源は?
次に「武士は食わねど高楊枝」の語源を確認しておきましょう。
「武士は食わねど」は「武士たるものは食事が取れなくても」といった意味。続く「高楊枝」は、食後に爪楊枝を悠々と使う様子を表しています。同じように「高」が使われる例として、「安心して眠る」ことを示す「髙枕」という言葉もありますよ。
食事が取れない空腹状態にもかかわらず食後であるかのように爪楊枝を使うのですから、貧乏なことを周囲に知られるのを恥と思う意識の強さを感じますね。プライドが高すぎるのではないか、どこまで見栄っ張りなのか…という気もしてしまいます。
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