「ノスタルジー」が起こる仕組み
「ノスタルジー」が起こる原因は、「自分の記憶」と「想像や推測」の2通りです。「自分の記憶」による「ノスタルジー」は、昔好きだったものなどがトリガーとなり、それらに久しぶりに触れたとき起こります。昔流行していた音楽を聞いていたら当時のことが思い起こされた、などという経験は多くの方にあるでしょう。
「想像や推測」の場合は、自己投影や感情移入がはたらきます。例えば野山の風景や神社の写真などを見たときに、「知らない場所なのに懐かしい気がする」と感じたことはありませんか?感受性の個人差にもよりますが、特に写真に家屋などの人工物が入っていると、そこでの生活が想像されてノスタルジーを感じやすくなることも。
アイデンティティの保持
辛い現在があるときに、楽しかった過去を思い出して落ち着くための作用が「ノスタルジー」であるとする説。卒業・成人・隠居など、人生の岐路で不安を感じやすいときに「ノスタルジー」が頻繁に起こることが、この説の裏付けに。この説では、アイデンティティが途切れてしまわない(自分を見失ってしまわない)ようにするために「ノスタルジー」がある、と解釈されます。
心の対症療法薬
「ノスタルジー」の感覚にふけっているとき、心がとても安らかになっていることは皆さんお気づきでしょう。多くの学術研究は、「ノスタルジー」が現在の辛さから立ち直るために役立ち、ときには将来を楽観視できるようになることも示しています。
危険!?な「ノスタルジー」
「ノスタルジー」の甘美で心地のいい感覚は、都合よく利用されてしまうこともしばしばです。ここでは2つの危険を考察しましょう。1つはノスタルジーを確信犯的に現実のものにしようとする危険。もう1つはノスタルジーのきらびやかな側面を人工的かつ過度に演出し、隠れた問題から目をそらさせられる危険。こうした意図的なはかりごとに騙されないためには、ある種の懐疑的な視点をもつことも大切です。
政治への歪曲利用
「ノスタルジー」で想起される「あこがれの故郷」への執着が強くなりすぎると、現実に再現しようと実際の行動に移されることがあります。これが過激になると神話を創り出すほどの狂信的な状態になり、ナチズムや過度な民族主義につながっていくとする説も。
「ノスタルジー」が「失われた故郷へのあこがれ」でとどまっていれば問題ありません。しかし人種差別や迫害などの強烈な背景をもとにこの「あこがれ(迫害前の過去)」が大勢に共有されたとき、「ノスタルジー」は狂信的な状態に進化して、なおかつ多数派になってしまうのかもしれません。
近代化の闇を取り繕う隠れ蓑
産業革命を原点とする近代化の流れにおいて、前時代を美化する「ノスタルジー」は好ましくありません。進歩することが最重要であるこの時代において、「過去のほうがよかった」と想う「ノスタルジー」は脅威であり、否定的に扱われ治療する試みさえもありました。
一方で、近代化の流れの真っただ中にも「ノスタルジー」はあります。しかし日本の高度成長期に想起されるノスタルジーは、メディアの仕掛けによって作り出されたものかも。この時代をテーマにしたアニメや映画は多くあります。そうしたコンテンツが、舞台としている時代や地域のネガティブな面に触れているかどうかは、ぜひ意識してみてください。高度成長期は本当に「古き良き」だけで語ることのできる時代でしょうか?
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