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5分でわかる「アウグストゥス」なぜ共和政から帝国に?ローマ帝国初代皇帝について歴史オタクがわかりやすく解説

「アウグストゥス」の尊称

権力を返した上に、厄介なことまで引き受けてくれたオクタヴィアヌスに対し、元老院は「アウグストゥス」という尊称を贈ることにしました。「アウグストゥス」は「尊厳者」という言葉で、オクタヴィアヌスが非常大権を返還したことを讃えて贈られたのです。

オクタヴィアヌス自身は、この尊号を何度か固辞してから受け取ります。固辞したのはローマの人々に対して「私は権力が欲しいわけではない」というアピールのためでした。ようやく「アウグストゥス」の尊称を受け取ったオクタヴィアヌスは、以降、「オクタヴィアヌス」ではなく、「アウグストゥス」と名乗ります。また、アウグストゥス以後、「アウグストゥス」はローマ皇帝の称号ともなりました。しかし、単にアウグストゥスという場合は、初代皇帝となったオクタヴィアヌスを指します。

アウグストゥスへの権力集中

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紀元前27年にプロコンスル命令権を得たアウグストゥスですが、これは属州に対する命令権でしたね。属州はガリアやイベリア半島、シリアなどを含めたローマの半分をしめます。この時点で、アウグストゥス個人の権力は元老院を越えていました。

その後、アウグストゥスは執政官を辞任して「護民官」となりました。「護民官」は市民の「市民会」から選出される役人で、執政官や元老院の決定を拒否でき、身体の不可侵権を持つ特殊な役職です。それからローマの全神官の長・最高神祇官にもなります。なぜ、彼はローマの重要職を兼任したのでしょうか?

実は、共和政を続けてきたローマにとって、王や皇帝と言った権力者はアレルギーのような過剰反応を引き起こす対象だったのです。なので、「今日からローマの皇帝になって、すべての権力を持ちます」なんて言った日には、カエサルのように暗殺されてしまいかねません。アウグストゥスはその尊称を受け取る時でさえも、何度も固辞するなどして、慎重にローマの人間の反応を見て体制を整えていったのです。そして、長い期間をかけたやり方でいくつもの権力を自分に集中させていきました。事実上の初代ローマ皇帝の誕生です。

また、アウグストゥスが皇帝以降、200年にわたって地中海世界に大きな戦争が起こりませんでした。地中海周辺はローマの支配のもとに平和となったことから、その200年間を「ローマの平和(パクス・ロマーナ)」と呼びます。

皇帝ではなく「元首」

実質「皇帝」と呼べるほどの権力を持ちながらもアウグストゥスは決して「皇帝」や「君主政」とは言いませんでした。たとえ、権力が集中していたとしても、元老院や市民会は継続したままです。これもアレルギー対策のひとつですね。共和政を基盤にしたアウグストゥスの政治を、以前贈られた「プリンケプス(元首)」から、「プリンキパトゥス(元首政)」と呼びます。

しかし、そうは言ってもやっていることや、アウグストゥスの権力の程度は実質的には「皇帝」と「帝政」でした。そのため、アウグストゥスをローマ帝国の初代皇帝というのです。

共和政から元首政への転換

カエサルの養子となり、その才能から後継者に指名されたオクタヴィアヌス。ライバルだったアントニウスを倒し、さらにはエジプトのプトレマイオス朝を下して地中海世界を安定へと導きます。そして、戦後に非常大権を元老院に返還したことで、「アウグストゥス」の尊称を贈られ、次々と権力を我がものとして、初代ローマ皇帝となりました。アウグストゥスの手腕によって共和政は元首政へと移り変わり、以降、1453年まで続く大帝国となっていくのです。

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