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5分でわかる「アウグストゥス」なぜ共和政から帝国に?ローマ帝国初代皇帝について歴史オタクがわかりやすく解説

第二回三頭政治の崩壊

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無事に第二回三頭政治を成立させ、アントニウスとの対立を避けたオクタヴィアヌスでしたが、この同盟はそう長くは続きませんでした。第二回三頭政治の三人が最初に行ったのが、カエサルの仇うち……の皮をかぶった元老院の粛正でした。この粛正で多くの元老院派が亡くなります。その後、彼らは争いを避けるためにお互いの支配地域を再編成しました。

このときにイタリア本土の実権を握り、粛正の際に起こった戦いの戦後処理を追えたオクタヴィアヌスは、裏切ろうとしたレピドゥスを失脚させます。レピドゥスの失脚により、広大なローマの西をオクタヴィアヌス、東をアントニウスが支配する形になり、第二回三頭政治は崩壊したのです。

アントニウスとクレオパトラの結託

一方、アントニウスは自身の支配域となったエジプトへ移り、クレオパトラ七世と出会って彼女のトリコとなっていました。また、アントニウスは念願だった東方遠征を失敗に終わらせてしまったことで、財力面でもクレオパトラに頼ることになります。そのため、彼はローマ人の妻・オクタウィアと一方的に離縁してエジプト人のクレオパトラと正式に結婚してしまいました。

ところが、アントニウスの元妻・オクタウィアは、オクタヴィアヌスの実の姉だったのです。オクタヴィアヌスは、この機会を逃さずアントニウスを弾劾。そうして、紀元前31年、オクタヴィアヌスはアントニウスとクレオパトラに戦いを挑み、「アクティウムの海戦」でアントニウスとクレオパトラの連合軍を破りました。戦いで敗れたアントニウスとクレオパトラは自害し、クレオパトラとカエサルの息子・カエサリオンも殺されてしまいます。こうして、プトレマイオス朝エジプトは滅亡したのでした。

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絶妙なバランスで保たれていた第二回三頭政治もレピドゥスの失脚によって崩れてしまう。これによってせっかく均衡を保っていたオクタヴィアヌスとアントニウスがついに直接対決するにいたったわけだな。オクタヴィアヌスはエジプトのクレオパトラと結託したアントニウスと戦い、勝利して地中海世界に安定をもたらした。

3.オクタヴィアヌスから「アウグストゥス」へ

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市民の中の第一人者

アントニウスを倒したオクタヴィアヌスは、紀元前29年にローマに凱旋して元老院から「プリンケプス」の称号を与えられました。「プリンケプス」は、「市民の中の第一人者」という意味で、日本語では「元首」と翻訳します。その後、オクタヴィアヌスは執政官に当選し、政治に関わっていくことに。

共和政の復活?

紀元前27年のこと。オクタヴィアヌスは突如として「全権力を元老院に返還する」と宣言したのです。彼が権力を元老院に返すとはつまり、ローマの共和政への復帰でした。これに元老院の議員たちは非常に驚き、よろこぶ……のですが、オクタヴィアヌスが返還したのは戦争などの非常時に使う「非常大権」のみ。戦争が終わったローマでは使えない権限です。オクタヴィアヌスは執行官をやめて権力をまるまる手放したわけではありません。

しかし、元老院はよろこぶばかりか、オクタヴィアヌスに属州の防衛をお願いします。異民族や他国の侵入の脅威は去ったわけではありませんからね。この要請に対してオクタヴィアヌスは、属州や軍を置いておく必要のある地域の総督となり、また、その地域の軍団指揮官の任命権を持つことにしました。そのための権限を持つ「プロコンスル命令権」まで得たのです。

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