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5分でわかる「アウグストゥス」なぜ共和政から帝国に?ローマ帝国初代皇帝について歴史オタクがわかりやすく解説

都市国家ローマの共和政

都市国家ローマは「共和政」といって、選挙で役人を選んで政治を回していくシステムを採用していました。政治家を選挙で選ぶのは現代と同じように見えますが、初期のローマ共和政は「執政官(コンスル)」を中心にした貴族共和制です。そこへ力をつけた平民が身分闘争を起こし、市民だけで構成する「市民会」と、そこから選出された「護民官」が執政官や元老院の決定を拒否できる権利を持つようになりました。

また、執政官の他に、「元老院」という貴族から選ばれた議員で構成される機関もあります。共和政へ移行した初期のころ、元老院は執政官の諮問機関でした。しかし、時が過ぎるにつれて段々と元老院の影響力が増し、外交や財政の決定権を持つローマの実質的な統治機関となります。今回の主人公「アウグストゥス」が登場する時代ではすでに元老院はローマの最重要機関でした。

古代ローマ最大の野心家「カエサル」

内外の争いが絶えず、国内情勢が悪化していたローマの議会は、市民会を基盤とする「民衆派」と、元老院の寡頭政治を支持する「閥族派」に割れていました。そんなローマの政治に一石を投じたのが、「ユリウス・カエサル」(以下カエサル)というひとりの野心ある男です。

カエサルは巧みな弁舌で「第一回三頭政治」を結んで元老院に対抗し、また、優れた軍略をもちいてガリア(現在のフランス、ベルギーあたり)を征服していきます。そうして、ついには元老院を抑え込んで「独裁官(ディクタトル)」にまで上りつめました。「独裁官」は、他民族の侵攻など非常時にのみ国家大権を与えられる役職です。本来なら六ヶ月ほどの任期で、再任されないと決められていました。

ところが、カエサルは終身独裁官となり、ローマの権力が彼に集中することとなります。事実上、ローマの共和政が失われてしまったのです。けれど、ここで誰もが指をくわえてカエサルが皇帝となるのを見ていたわけではありません。この事態に危機感を抱いた一部の反カエサル派の人々が決起し、ついにカエサルを暗殺してしまうのです。

カエサルの養子「オクタヴィアヌス」

カエサルは暗殺されるまでに四度も結婚しました。しかし、エジプトの愛人・クレオパトラ七世との間に生まれた息子「カエサリオン」をのぞいて男の子はいません。そのため、カエサルは自分の姉の子(姪)の息子だった「オクタヴィアヌス」を養子に迎えました。当時のオクタヴィアヌスは病弱な青年でしたが、優れた意志と決断力があったためにカエサルの養子に選ばれたのです。彼こそがのちに「アウグストゥス」と呼ばれ、ローマ帝国の初代皇帝となる青年でした。カエサルの暗殺が起こったとき、オクタヴィアヌスは十八歳。カエサルの指示でギリシャに遊学中でした。

しかし、カエサルの暗殺を聞くや否やオクタウィアヌスはローマへ駆けつけます。この途中、カエサルが後継者にオクタヴィアヌスを指名したという情報を得たのです。これで人生がまるっと変わってしまいます。彼は元老院や、カエサルの配下だった兵士たちから熱烈な支持と支援を受け、自分は有力なカエサルの後継者ということを周囲に知ら締めました。

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古代の都市国家ローマを変えた男「カエサル」。彼はローマを共和政から元首政へと変えようと目論んだが、寸前のところで暗殺されてしまう。そして、養子「オクタヴィアヌス」とカエサルの武将「アントニウス」による後継者争いがはじまるぞ。

2.オクタヴィアヌスvsアントニウス

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ライバル「アントニウス」と第二回三頭政治

オクタヴィアヌスは、ローマでカエサルの配下だった武将で、これからライバルとなる「アントニウス」と対面を果たします。アントニウスは、カエサルの後継者として目されていた有力な人物ですが、若いオクタヴィアヌスを「お坊ちゃん」と呼んで甘く見ていました。

しかし、そんなことに構わずオクタヴィアヌスがめきめきと頭角を現していきます。そうして、これから元老院を抑えるなら、アントニウスと協力すべきだと妥協案を探し、カエサルの武将だったレピドゥスを仲介にしてアントニウスと同盟を結ぶことに成功したのでした。これがオクタヴィアヌス、アントニウス、レピドゥスの三人による「第二回三頭政治」です。ついでに復習がてらに言うと「第一回三頭政治」は、カエサル、ポンペイウス、クラッススですよ。

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