ヨーロッパの歴史世界史

5分でわかる「ローマ帝国」パクス・ロマーナってなに?地中海に君臨した大帝国について歴史オタクがわかりやすく解説

世界帝国ローマ

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Tataryn投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

紀元前一世紀半までに地中海全域を支配した広大なローマ帝国。イタリア以外を属州とし、最も安定を見せた二世紀の五賢帝時代には最大領土となりました。その領土は、イングランド・ウェールズのブリタニア、属州ガリア、エジプト、アフリカ北岸、小アジア、シリア、メソポタミア、イベリア半島にまで及びます。

あまりにも広大であったため、世界のどこからでも首都ローマに道が通じていたことから、物事が中心に向かって集中するたとえとして「すべての道はローマへ通ず」という故事までできました。さて、ローマはどのようにして巨大な世界帝国となったのでしょうか?

都市国家ローマを変えた男「カエサル」

イタリア半島の中部に位置するローマ。帝国としてヨーロッパに君臨する以前のローマは、市民から貴族にかけてすべての人々が政治になんらかの形で参加できる「共和政」を行う都市国家でした。それを根本的に変えようとしたのが、紀元前1世紀に登場した「ユリウス・カエサル」(以下カエサル)というひとりの野心あふれる政治家でした。

カエサルは巧みな弁舌で三頭政治を成立させて味方をつくり、また、非常に優れた指揮でガリア(現在のフランス、ベルギーあたり)を征服するなど数々の目覚ましい戦績を築き上げます。その功績と軍事力を背景に共和政の下で力を握っていた「元老院」を抑え込み、ついにカエサルは「独裁官(ディクタトル)」にまで上りつめました。そうして、カエサルの独裁政治のもと、それまでのローマの共和政は失われていったのです。

しかし、それに危機感や不満を爆発させた反カエサル派の人々によりカエサルは暗殺され、彼の野望は潰えてしまうのでした。

初代皇帝「アウグストゥス」の誕生

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カエサルを暗殺したはいいのですが、実際、有名無実化していた元老院には政治を引っ張る力はすでにありません。その代わりに、カエサルの部下だったアントニウスと、カエサルの養子・オクタビアヌスが反カエサル派を打倒し、今度はそのふたりがカエサルの後継者の座を巡って争い始めたのです。

そして、戦いに勝利したオクタビアヌスは、紀元前27年に元老院に「アウグストゥス」という称号を贈られ、ローマの初代皇帝となりました。「アウグストゥス」とは「尊厳者」という意味です。

以降、オクタビアヌスはアウグストゥスと呼ばれ、新しい政治形態をつくりあげました。

カエサルから受け継がれた「元首政」

アウグストゥスは、自らを「市民の中の第一人者」という意味の「プリンケプス」と呼ばれることを望みました。これは、以前の共和政におもねって、「アウグストゥスは市民の中から選ばれて統治を行う」という意思表示です。「プリンケプス」を日本語にすると「元首」という意味になります。

実際のところは、元老院や市民の市民会、執政官、護民官を継続させながらも、アウグストゥスという皇帝に権力を集中させた政治体制でした。

このような共和政を下敷きにした政治体制を、「元首政(プリンキパトゥス)」といいます。

また、カエサルとアウグストゥスの血をひく人物が以降、五代に渡って皇帝を務めたため、「ユリウス・クラウディウス朝」といいました。

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カエサルの登場により、ローマは「共和政」から「元首政」へ鞍替えすることになった。こうして長い間ヨーロッパに存在感を放ち続けるローマ帝国の皇帝が誕生したわけだな。

2.五賢帝と「ローマによる平和」

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フラウィウス朝へ

ユリウス・クラウディウス朝の皇帝「カリグラ」や、最後の皇帝「ネロ」は常軌を逸した暴君として人望を失い、最後にネロは自害してしまいます。こうしてカエサルとアウグストゥスの血筋が絶え、次に皇帝に選ばれたのは60歳の軍人「ウェスパシアヌス」でした。ウェスパシアヌスからは三代に渡って続いた王朝を「フラウィウス朝」といいます。

そして、フラウィウス朝の三代目皇帝となった「ドミティアヌス」のころ、ローマはネロ以来の財政難に陥りました。そこでドミティアヌスは財源確保のために元老院の反対を押し切って人々に重税を課した上に、反対した人々を次々に処刑してしまったのです。

結果、こんなおそろしい皇帝はまっぴらごめんとばかりにドミティアヌスは暗殺されてしまい、フラウィウス朝はわずか三代限りとなってしまったのでした。

ところで、イタリアの世界遺産として知られる「コロセウム(円形闘技場)」ですが、建造がはじまったのはウェスパシアヌスの時代。ウェスパシアヌスの指示により建設がはじまり、完成したのはその息子・ティトウスの代でした。そこで剣闘士試合が行われ、人々は剣闘士たちの死闘を娯楽としたのです。

ローマ帝国の全盛期「五賢帝時代」

ローマ帝国が最も安定し、全盛期を迎えることになったのは、フラウィウス朝の後、「五賢帝」が治めた時代でした。

五賢帝は、ネルウァ、トラヤヌス、ハドリアヌス、アントニヌス・ピウス、マルクス・アウレリウス・アントニヌスの五人。

ネルウァが即位した96年から、180年にマルクス・アウレリウス・アントニヌスまでの約100年間は政治が安定、ローマの領土が最大になりました。

アウグストゥスが元首政を確立した前27年から、五賢帝の時代までの約200年間、ローマ帝国が支配する地中海世界の平和を指して「ローマによる平和(パクス・ロマーナ)」といいます。

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