パリ講和会議でベルサイユ条約締結
第一次世界大戦が終わり、その講和会議がパリで行われることとなりました。パリのベルサイユ宮殿で、敗戦国となったドイツに対して結ばれた条約を「ベルサイユ条約」といいます。
その内容は、莫大な賠償金に全海外領土の没収、一部の領土割譲などがかなり厳しいものとなりました。この条件を課してしまうと、ドイツがかなりの貧困で喘ぐことになります。一部の人々はこの条約が次の戦争のきっかけになるのではないかと危惧したほどです。そして、実際、20年後に「第二次世界大戦」という悲劇を巻き起こしたのでした。
3.社会主義の広まり
СССР – http://pravo.levonevsky.org/. Construction sheet: File:Construction sheet of the flag of the Soviet Union.png., パブリック・ドメイン, リンクによる
ロシア革命と社会主義のはじまり
1917年、第一次世界大戦の最中、ロシアで「レーニン」による「ロシア革命」が起こりました。これによってロシアを治めていたロマノフ朝が崩壊。世界初の社会主義の国「ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)」が誕生します。
「社会主義」とは、「みんな平等が第一」の思想です。なので、王様や貴族のような身分はありません。そして、国民が生産した食料や商品、稼いだお金もなにもかも、一度すべて国のものにしてから、国民に同じ数だけ分配して貧富の差を失くすというシステムを取っていました。非常に平等な仕組みですね。
社会主義を危険視してシベリア出兵
社会主義の「王様はいらない」という考えは、天皇を戴く日本や、王様のいるイギリスには脅威となります。また社会主義と相反する資本主義のアメリカ、フランスなどの国々にとってもソ連は非常に厄介な国でした。そのため、「革命軍に囚われたチェコ軍団を救出する」という大義名分を掲げて1918年に「シベリア出兵」を開始。革命政府を倒そうとしました。
一方、そのとき日本では「米騒動」と呼ばれる暴動が起こります。シベリア出兵が決まると聞いた商人たちがお米の買い占めを行いました。出兵に際して政府は兵士たちの食料となるお米を買う必要がありますので、商人たちは政府に高く売ることを目的に買い占めたのです。その結果、商人たちの思惑通りお米の価格が上がり、一般家庭の生活に大きな影響を与えます。
それに怒ったのは主婦たちでした。富山県の魚津の主婦たちが集まり、米屋を襲撃したのです。この襲撃事件が報道されると、それを知った全国各地の主婦たちが同じように米屋を襲うようになりました。この一連の騒動を「米騒動」といいます。
平民宰相「原敬」
米騒動の責任を取って当時の内閣が総辞職すると、次に総理大臣となったのは平民出身の「原敬」でした。彼は長州や薩摩の出身でも、貴族でもありません。本当にただの平民から内閣総理大臣になったのです。そのため日本で最初の本格的な政党内閣となり、「平民宰相」と呼ばれて人々に歓迎されました。
ところが、原敬は人々の望みとは裏腹に、特権階級に甘い政策を打ち出します。そのため、原敬暗殺事件が起こり、原内閣は三年で終わってしまったのです。
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