ヨーロッパの火薬庫「バルカン半島」
ここで一度、当時の世界状況を見てみましょう。ヨーロッパ諸国では、激しい植民地争いが繰り広げられています。特に地中海の沿岸に位置する「バルカン半島」はヨーロッパとアジアの境界にあり、白人と黄色人種の対立に、キリスト教徒とイスラム教徒の対立、その他多くの紛争が絶えませんでした。いつ爆発して世界に飛び火するか恐れられ「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれていたのです。
そんな状況下、オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子夫妻が、当時のオーストリア領サラエボを訪問中にセルビア人の青年に暗殺される「サラエボ事件」が起こりました。この事件をきっかけにオーストリア=ハンガリー帝国はセルビア王国に宣戦布告します。オーストリア=ハンガリー帝国の宣戦布告をきっかけに、他のヨーロッパ諸国が次々に参戦。戦争はヨーロッパを舞台にした「第一次世界大戦」へと発展していくのです。
日英同盟を利用して日本も参戦
このとき、日本はイギリスと「日英同盟」を結んでいました。日英同盟は、「どちらかが一国を相手に戦争をしているときは、一方は中立の立場を守る」「どちらかが二国以上と戦争をするときは、味方として参戦する」というものです。第一次世界大戦の主戦場はヨーロッパであり、地理的に遠い日本には関係のない戦争でしたが、イギリスが第一次世界大戦に参加していたことから、日本は同盟に基づいて無理矢理に参加することにしました。
でも、ヨーロッパから遠い日本に何ができるでしょうか?そこには日本のズル賢い思惑があったのです。
中華民国政府に「二十一か条の要求」
日清戦争、辛亥革命などで弱っていた中国は、ヨーロッパ諸国に多くの領土を持っていかれ、基地などが置かれていました。日本はイギリスの敵・ドイツを攻撃する名目で中国に駐屯するドイツ基地へ出兵したのです。
中国の基地を潰したところで、第一次世界大戦への影響はさほどありません。では、その狙いはなんだったのでしょうか。ヨーロッパ諸国は第一次世界大戦で手一杯になっているこの状況で、中国へ目を向けている暇はありませんよね。ヨーロッパ諸国の隙をついて日本は中国への利権拡大を狙ったのでした。そうして、中華民国政府に「二十一か条の要求」を突きつけます。そして、まんまとこれが通ってしまうわけですね。
泥沼化した第一次世界大戦
さて、第一次世界大戦がどうなったのか。この大戦ではそれまでになかった飛行機(偵察目的)、戦車、毒ガス、ドイツの潜水艦などが登場します。特に毒ガスが猛威をふるって多くの死者が出ました。さらに、舞台がヨーロッパだったこともあり、戦争は泥沼化。しかも、民間人を巻き込んだ「総力戦」になっていました。
そんななか、1917年のロシア革命がおこり、ロシアが大戦から離脱。さらにドイツがイギリスに仕掛けた「無制限潜水艦作戦」によってアメリカ人の犠牲が出たことで、アメリカがモンロー主義(ヨーロッパでの戦争に口を挟まないようにしていた)を捨てて参戦。戦況は一変して連合国有利に傾き、1918年に連合国の勝利で終わります。
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