すべての反対勢力を一掃、独裁官へ
九ヶ月間エジプトに滞在したのち、カエサルは小アジアの平定とポンペイウス派の残党の一掃をはかりました。そうして、紀元前46年、ローマへ帰還したカエサルは、クレオパトラと、彼女との息子・カエサリオンをローマに招き、ローマの人々にエジプトも彼の配下にあることを知らしめます。
また、帰還とともにカエサルは軍事力を背景に独裁官(ディクタトル)に就任。「独裁官」は本来なら国家の非常事態にのみ任命される絶大な権限を持った政務官でしたが、以降、カエサルは十年に渡って独裁官に就任し続けます。
カエサルの暗殺
カエサルが事実上の独裁政治をおこなったことで、元老院と平民会は有名無実化。カエサル自らがそれらに代わる「終身独裁官」に就任します。これまでのローマの共和政から大きく離れ、権力をカエサルひとりに集中させるシステムは「元首政(プリンキパトゥス)」として後世に引き継がれることになりました。
しかしながら、やはり共和政の崩壊に危機感を抱いた人々がいたのです。カエサルの独裁反対派は結束してカエサルの暗殺を計画。元老院会議が開かれるポンペイウス劇場の一部トッレ・アンジェンティーナ広場でカエサルを取り囲んで暗殺したのでした。
カエサルの暗殺後、元老院にはすでに政治を引っ張る力すでにありません。代わりに、カエサルの部下アントニウスと、カエサルの養子オクタビアヌス(後のローマ帝国初代皇帝アウグストゥス)が、カエサルを暗殺した反対派を倒します。そうして、今度はそのふたりの間でカエサルの後継者を巡っての争いが起こるのでした。
ローマを共和政から帝政に移行させたカエサル
「古代ローマ最大の野心家」と呼ばれるに相応しく、カエサルは自分を妨害しようとする元老院を抑え、三頭政治でもって執政官に就任。その後、ガリアの総督としてローマの拡大を成し遂げました。
巧みな話術と政治手腕、軍略によって数々の敵を倒し、独裁官としてローマを支配したカエサル。エジプトのクレオパトラと結んだことで、王や皇帝となる野望に手をかけましたが、無念にもそこで危機感を覚えた人々によって暗殺されることになったのです。