
端的に言えば度し難いの意味は「救いようがない」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。
今回は日本文学部卒の現役WEBライター、ヒマワリを呼んです。一緒に「度し難い」の意味や例文、類語などを見ていきます。
ライター/ヒマワリ
今回の記事を担当するのは、日本文学科卒で現役ライターのヒマワリ。専攻は近代文学だが、古典からマンガまで幅広く読んでいる。受験生家庭教師の経験を生かして、「度し難い」についてわかりやすく丁寧に説明していく。
「度し難い」の意味や語源・使い方まとめ

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「度し難い」の読み方は「どしがたい」です。なんとなく聞いたことはあっても、意味や語源を知らない人も少なくないでしょう。それでは早速「度し難い」の意味や語源・使い方を説明していきます。
「度し難い」の意味は?
まず初めに、「度し難い」の正確な意味を辞書からの引用で確かめてみましょう。「度し難い」には次のような意味があります。
1.いくら道理を説いて聞かせても、受け入れるだけの度量がなく、ついに分からせる事が出来ない(と思って半ばあきらめる)様子だ。
出典:新明解国語辞典(三省堂)「度し難い」
2.済度 (さいど) し難い。救いがたい。道理を言い聞かせてもわからせることができない。
出典:デジタル大辞泉(小学館)「度し難い」
「度し難い」は簡単に言うと、救いがたい、どうしようもない、と言う意味です。この言葉は、正しいことをいくら言ったところで、聞き入れないだろう相手に対して、救いようがないと諦めている気持ちを表す時に使われます。 「度す」とは、仏が人の悩みや迷いを解決し救うことです。「難い」とは、難しいと言うことですね。つまり、仏さまをもってしても説得するのが難しいほどにどうしようもない、と言う意味なのです。もちろん悪い意味の言葉で、悪癖などを治す気がない人などに対して使われます。
「度し難い」の語源は?
次に「度し難い」の語源を確認しておきましょう。
先ほども少し述べましたが、「度し難い」の「度す」と言う言葉は、仏教用語の「済度(さいど)」の「済」を省略したものです。「済度」を細かく分けると「済」は、救うと言う意味で、「度」は、渡すこと、教え導くことを意味しています。つまり、仏や菩薩などが迷っている人を導いて、悟りの境界に導き救いだすことを表した言葉なのです。 仏教では、仏道によって生きとし生きる全ての者が救われ、悟りの境地に渡ることができると言う教えがあります。そして、誰でも救われるはずの仏の教えでさえ通じないような、そんな人を指して「度し難い」と言うようになったのです。
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