
端的に言えば画餅に帰すの意味は「無駄になること」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。
今回は広告会社で経験を積み、文章の基本と言葉の使い方を知るライターのHataを呼んです。一緒に「画餅に帰す」の意味や例文、類語などを見ていきます。
ライター/Hata
以前は広告会社に勤務しており、多くの企業の広告作成経験を持つ。相手に合わせた伝え方や言葉の使い方も学び、文章の作成や校正が得意。現在はその経験をいかし、ライターとして活動中。
「画餅に帰す」の意味は?
「画餅に帰す」には、次のような意味があります。
考えたり計画したりしたことが、実際の役に立たず無駄になる。
出典:デジタル大辞泉(小学館)「画餅に帰す」
「画餅(がべい)」とは、食べものである餅の絵のこと。「帰す」は「きす」と読み、ここでは“本来の場所や状態に戻す”という意味で使われています。絵に描かれた餅はどんなにおいしそうであっても結局は絵に過ぎず、食べることはできないもの。お腹を満たすこともできず、実際には何の役にも立ちません。
この様子をたとえて、せっかく書いた絵であっても実際には無駄に終わる様子を「画餅に帰す」と表現するようになりました。なお「画餅に帰す」ではなく、「画餅に終わる」や、端的に「画餅」とだけ用いることもありますが、すべて同様の意味です。
「画餅に帰す」の語源は?
次に「画餅に帰す」の語源を確認しておきましょう。
「画餅に帰す」の由来には諸説ありますが、そのひとつが中国の三国時代を述べた歴史書『三国志』です。このなかで、三国のひとつ魏(ぎ)について記された『三国志・魏書(さんごくし・ぎしょ)』において、曹叡(そうえい)が述べたとされている言葉が、語源と言われています。
曹叡は魏の第二代皇帝・明帝で、曹操(そうそう)の孫にあたる人物です。曹叡の時代、魏では諸葛誕(しょかつたん)や夏侯玄(かこうげん)といった名士が、『四聡八達(聡明な四人と達人の八人)』と互いに呼び、評価をしあうことで名声を上げていました。これを見た曹叡が言ったとされるのが「選挙するに名有るを取ること莫れ。名は地に画きて餅を作るが如く、啖うべからざるなり」というもの。現代語にすると「人を選んで推挙するときは、世の中の評判を頼りに選んではならない。名声などは絵に描いた餅と同じで、食べることもできず役に立たないものに過ぎない」という意味になります。つまり諸葛誕らの名声を皮肉って言ったのが、この言葉です。このエピソードと言葉が、「画餅」の由来とされています。
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