今回は、一般的によく知られていることわざのひとつ「百聞は一見にしかず」について解説する。

元は中国の古事成語ですが、実は続きが存在するのを知っているでしょうか。使い勝手がよく、多くの人が納得することわざだからこそ、後世の人々が創作したらしいのです。

今回は大学で日本語・日本文学について学び、塾講師時代には国語の指導に力を入れていたというカワナミを呼んです。一緒に「百聞は一見にしかず」の続きのほか、本来の意味や語源、例文、類義語などを解説していく。

ライター/カワナミ

大学で日本語と日本文学について学び、塾講師時代には国語の指導に力を入れていた。気になった日本語の意味を調べるのは、もはや日課となっている。最近の「百聞は一見にしかず」だった出来事は、某人気漫画の面白さだそう。

「百聞は一見にしかず」には続きがある?

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正確に言うと、元々の「百聞は一見にしかず」に続きはありません。しかし、後世の人々が創作したという続きが存在します

「百聞は一見にしかず」中国の漢の時代趙充国(ちょうじゅうこく)という人の言葉が元になった古事成語です。続きを誰が創作したのか、詳細は明らかになっていません。しかし、そもそもの「百聞は一見にしかず」に多くの人が共感し、人気があったからこそ続きが作られたのでしょう。

百聞は一見にしかず(聞くばかりではなく、実際に見ることが大切だ)
百見は一考にしかず(見るばかりではなく、考えることが大切だ)
百考は一行にしかず(考えるばかりではなく、行動することが大切だ)
百行は一効にしかず(行動するばかりでなく、結果を出すことが大切だ)
百効は一幸にしかず(結果を出すだけでなく、幸せになることが大切だ)
百幸は一皇にしかず(自分の幸せだけでなく、みんなが幸せであることが大切だ)

読み方は「ひゃくぶんはいっけんにしかず/ひゃっけんはいっこうにしかず/ひゃっこうはいっこうにしかず/ひゃっこうはいっこうにしかず/ひゃっこうはいっこうにしかず/ひゃっこうはいっこうにしかず」です。同じ読みが何度も出てきますが、漢字の違いによって意味も異なります。

「百聞は一見にしかず」の意味や語源・使い方まとめ

ここからは本来の「百聞は一見にしかず」の意味や語源、使い方について見ていきます。

\次のページで「「百聞は一見にしかず」の意味は「百回聞くより一回見る方がよくわかる」」を解説!/

「百聞は一見にしかず」の意味は「百回聞くより一回見る方がよくわかる」

まずは辞書を使って、正確に意味を把握しましょう。

一〇〇回聞くより一回見るほうがよくわかる。何度繰り返し聞いても、一度実際に見ることに及ばない。

出典:精選版 日本国語大辞典(小学館)「百聞は一見にしかず」

「百聞は一見にしかず」(ひゃくぶんはいっけんにしかず)は百回聞くことは、一回見ることに及ばないという意味です。つまり何度も聞くばかりでなく、一回実際に見る方が物事がよくわかるということ。また「しかず」には「及ばない・匹敵しない」という意味があり、「如かず」と漢字で書く場合もあります。

聞くよりも見る方が優れている、ということではなく、「百回」聞くよりも「一回」見る方が、早く確実に理解できるというニュアンスです。この古事成語は戦争のさなかに生まれたことから、素早く理解する必要があったのでしょう。

「百聞は一見にしかず」の語源は中国の将軍の言葉

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「百聞は一見にしかず」は、中国の前漢の時代について記した歴史書「漢書」(かんじょ)に、「趙充国伝」(ちょうじゅうこくでん)として書かれたエピソードを語源としています。

漢の宣帝(せんてい)が、遊牧民の反乱を鎮圧しようとしていたときのこと。将軍の趙充国に有効な戦略と必要な兵力を尋ねます。すると趙充国は「百聞は一見に及びません。戦場は遠いため、戦略も立てづらい。お許し頂けるなら、私が自ら戦地に向かい、実際に見て戦略を申し上げさせていただけますか」と願い出ました。

「百聞は一見にしかず」は、このエピソードの原文から「百聞不如一見」の部分をことわざとしたものです。

「百聞は一見にしかず」の使い方・例文

例文を元に「百聞は一見にしかず」の使い方を見ていきましょう。

1.クジラは大きいと本や映像で知っているつもりだったけど、実物の大きさに心底驚いたよ。百聞は一見にしかずだなあ。
2.ポテトチップスに新しく納豆味が出たというが、これが意外とおいしいらしい。信じがたいけど、百聞は一見にしかずと言うから1度食べてみようか。
3.やっぱり百聞は一見にしかずだよ。映像は綺麗なのにストーリーがイマイチと言われている映画を見に行ったけど、僕は好きだったな。

例文1は、実際に見たことによって聞いていたよりも深く物事を理解したことを「百聞は一見にしかず」と表現している例です。一方、例文2と3では、「聞く」「見る」に当たる部分を「噂や評判」「体験」にそれぞれ置き換えて使用しています。

「百聞は一見にしかず」は日常会話やビジネスの場など、さまざまな場面で使いやすいことわざです。また知っている人も多いため、相手とのイメージが噛み合わないということも少ないでしょう。

\次のページで「「百聞は一見にしかず」を座右の銘にして行動力ある印象に」を解説!/

「百聞は一見にしかず」を座右の銘にして行動力ある印象に

「百聞は一見にしかず」行動力のある印象を与えたい人におすすめの座右の銘です。「百回聞くより一回見る方がよくわかる」という意味から、「人から話を聞いただけで、わかったつもりになるのではなく、実際に自分で見たり体験したりすることが大事だ」という意思を示すことになります。

もちろん人に教えてもらったり、本を読んだりということも大切です。しかし、それで満足せずに実際に行動して初めてわかることも、たくさんありますよね。

「百聞は一見にしかず」の類義語は?

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「百聞は一見にしかず」の類義語を見ていきましょう。「百回聞くより一回見る方がよくわかる」と似た意味のことわざをご紹介します。

「論より証拠」:議論するより証拠の方が明確だ

「論より証拠」(ろんよりしょうこ)は、口先だけで議論するよりも、証拠を示す方が物事が確実に明らかになるという意味のことわざです。確かに、証拠がはっきりと残されていれば、議論する必要もありませんね。

「江戸いろはかるた」の「ろ」に採用されていたことで、広く知られるようになりました。「江戸いろはかるた」は江戸時代後期に始まったと言われるカルタの一種で、江戸のほかに京都や大阪など地域ごとに内容も異なります。ひらがな47文字に「京」の字を加えた全48種の札から成る遊び道具です。

「聞くと見るは大違い」:聞いていたのと実際が異なる

「聞くと見るは大違い」は、話に聞いていたことと実際に見たものが大きく異なっているさまを表したことわざです。また直接見聞きしていなくても、噂と事実が違ったときに使います。

気をつけて欲しいのは、多くは期待を裏切られたと感じたり、自分にとって悪い事実であったりするときに使われるということです。言葉を見るだけではマイナスな表現だということがわかりにくいので、気をつけてくださいね。

「鯛も鮃も食うた者が知る」:体験しなければ物事の本質はわからない

「鯛も鮃も食うた者が知る」(たいもひらめもくうたものがしる)とは、魚の鯛とヒラメの違いがわかるのは、食べたことのある者だけだという意味のことわざです。つまりいくら話を聞いたり本を読んだりしても、体験しなければ物事の本質はわからないということ。鯛もヒラメも昔から高級魚です。1度でも食べたとなれば、それはそれは大きな自慢になったのではないでしょうか。

\次のページで「「百聞は一見にしかず」の対義語は?」を解説!/

「百聞は一見にしかず」の対義語は?

「百聞は一見にしかず」百回聞くより一回見る方がよくわかるという意味でした。そこで対義語として目で見たことよりも聞いたことを優先するという意味のことわざをご紹介します。

「耳を信じて目を疑う」:聞いたことを信じて、見たことを信じない

「耳を信じて目を疑う」は、人から聞いたことを信じて、自分が見たことは信じないという意味のことわざです。転じて、遠くのこと(昔のこと)をありがたがって、近くのこと(今のこと)を軽んじるという意味も持ちます。

例えば、服を買うときに自分ではあまり似合っていない気がするけれど、店員の褒め言葉を受け入れて購入を決めることも「耳を信じて目を疑う」と言えるでしょう。自分の感覚を信じず人の言葉を鵜呑みにするということですから、自分に自信がないとも言えますね。

「百聞は一見にしかず」の英訳は?

「百聞は一見にしかず」の英訳も見ておきましょう。

「Seeing is believing.」:見ることは信じること

「百聞は一見にしかず」は英語で「Seeing is believing.」と表すことができます。直訳すると「見ることは信じること」。つまり、自分の目に見えていることが信じることだという意味です。また「To see is to believe.」という表し方も良いでしょう。動詞を「〜ing」や「to〜」の形にすると、名詞になります。

「百聞は一見にしかず」は幸せの連鎖をもたらす!?

この記事では「百聞は一見にしかず」の意味や語源、例文、類義語などについて解説しました。「百聞は一見にしかず」の続きについては、言ってみればファンの創作ということがわかりましたね。しかし、これはあながち完全な創作とも言えないのと私は思います。

続きに記されているのは、聞いて見て考えて行動し結果を出して幸せになること。そして自分だけでなく、みんなを幸せにするということです。趙充国も決して「聞くより見るほうが早いから」という効率だけを重視してこの言葉を発したわけではないでしょう。その証拠におそらくその後の趙充国は戦略を「考え」て、兵たちに指示を出して「行動」し、反乱の鎮圧という「結果」を出し、自分も周りも幸せな気持ちにしたはずです。いつの時代も、誰しも、幸せになりたい気持ちは変わりません。「百聞は一見にしかず」で幸せの連鎖が続いていくといいですね。

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国語言葉の意味

続きがあった?「百聞は一見にしかず」の意味や語源・例文・類義語とともに元塾講師ライターがわかりやすく解説!

今回は、一般的によく知られていることわざのひとつ「百聞は一見にしかず」について解説する。

元は中国の古事成語ですが、実は続きが存在するのを知っているでしょうか。使い勝手がよく、多くの人が納得することわざだからこそ、後世の人々が創作したらしいのです。

今回は大学で日本語・日本文学について学び、塾講師時代には国語の指導に力を入れていたというカワナミを呼んです。一緒に「百聞は一見にしかず」の続きのほか、本来の意味や語源、例文、類義語などを解説していく。

ライター/カワナミ

大学で日本語と日本文学について学び、塾講師時代には国語の指導に力を入れていた。気になった日本語の意味を調べるのは、もはや日課となっている。最近の「百聞は一見にしかず」だった出来事は、某人気漫画の面白さだそう。

「百聞は一見にしかず」には続きがある?

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正確に言うと、元々の「百聞は一見にしかず」に続きはありません。しかし、後世の人々が創作したという続きが存在します

「百聞は一見にしかず」中国の漢の時代趙充国(ちょうじゅうこく)という人の言葉が元になった古事成語です。続きを誰が創作したのか、詳細は明らかになっていません。しかし、そもそもの「百聞は一見にしかず」に多くの人が共感し、人気があったからこそ続きが作られたのでしょう。

百聞は一見にしかず(聞くばかりではなく、実際に見ることが大切だ)
百見は一考にしかず(見るばかりではなく、考えることが大切だ)
百考は一行にしかず(考えるばかりではなく、行動することが大切だ)
百行は一効にしかず(行動するばかりでなく、結果を出すことが大切だ)
百効は一幸にしかず(結果を出すだけでなく、幸せになることが大切だ)
百幸は一皇にしかず(自分の幸せだけでなく、みんなが幸せであることが大切だ)

読み方は「ひゃくぶんはいっけんにしかず/ひゃっけんはいっこうにしかず/ひゃっこうはいっこうにしかず/ひゃっこうはいっこうにしかず/ひゃっこうはいっこうにしかず/ひゃっこうはいっこうにしかず」です。同じ読みが何度も出てきますが、漢字の違いによって意味も異なります。

「百聞は一見にしかず」の意味や語源・使い方まとめ

ここからは本来の「百聞は一見にしかず」の意味や語源、使い方について見ていきます。

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