
「掌中の珠」の使い方・例文
「掌中の珠」の使い方を例文を使って見ていきましょう。この用語は、たとえば以下のように用いられます。
1.彼は男手一つで掌中の珠のように娘を育てた。娘は第一志望の大学に合格し教育学部で日々勉強している。
2.私にとって家族は掌中の珠だ。大切な妻と8人の子どもを養うために平日は洋服店でスーツの販売員をし、土曜日は弁当屋さんで働いている。
3.彼は福島県の地震で被災し掌中の珠である妻を失った。彼は悲しみに暮れていたが、妻と営んでいた食堂を再開した。海鮮を使った新しい定食のメニュー開発に力を入れている。
例文1では、「父が愛しい娘を大切に育てている場面」が想像できるでしょう。きっと、かけがえのない存在なのでしょう。例文2は、「家族が自分の宝物であり、愛する家族のために仕事に励んでいる様子」が伺えますよね。例文3では、「愛する妻を失った悲しみ」が感じられるでしょう。
どの例文も掌中の珠は「最愛の子ども・愛する家族」を示していますよね。このように、「掌中の珠」となる対象は「いつまでも大切にしたい特別な人」=「自分の子や妻という親密な関係にある人」を指すことが多いでしょう。あなたにとってかけがえのない大切な人は誰でしょうか。時にはけんかもするでしょう。今日は日ごろの感謝の気持ちを伝えてみませんか。
「目に入れても痛くない」
「掌中の珠」の類義語には「目に入れても痛くない」が考えられるでしょう。「目に入れても痛くない」とは「かわいくてたまらない様子・子どもや孫を溺愛すること」の意。
目にまつ毛やゴミが入り痛くて涙がポロリ。こんな経験はありませんか。「目に入れても痛くない」とは「敏感な目に何か異物が入っても痛さは感じないほどかわいくて仕方がないさま」を表した慣用句なのです。例文1では、「孫を溺愛している場面」が伝わってきますよね。「掌中の珠」と同じ意味で使われています。また、例文2のように「ペットのような動物にも使うこと」がポイントですね。ペットも大切な家族の一員なのでしょう。
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