
「月夜に釜を抜かれる」の使い方・例文
「月夜に釜を抜かれる」の使い方を例文を使って見ていきましょう。この言葉は、たとえば以下のように用いられます。
・事業が好調に進んでいたのに、月夜に釜を抜かれて給与を従業員に持ち逃げされてしまうなんて、大きな人生の落とし穴があったものだと激しく後悔した。
・私は物忘れが酷かったが、今日まで何度も危険を回避できたのは、直感に頼らず全ての要因をチェックし、月夜に釜を抜かれることがないよう努力したためだ。
・最近自分の注意力が落ちていることに気付いたので、月夜に釜を抜かれるようなことがないように、大事なことや心配事は入念に確認するようにしている。
「大きな油断をすること」のニュアンスが伝わりますでしょうか。言葉の通りならば「月夜でも昼間みたいに明るいから大丈夫」と思ってしまうほど。よほど大きな油断だったと考えていいでしょう。盗まれたものが高価だったか、事件が大きかったかよりも、それくらい予想外だった・ショックだったという意味合いが強くなります。
そのため、この言葉が使われた場合は、油断が大きすぎたという「自分への後悔」や「そうした人への非難」の意味も含まれてくるかもしれません。「~しないように」とした場合は、「強い戒め」にもなるでしょう。現代からすれば少し大げさな表現と思うかもしれませんが、そんな言葉が使われる意図まで想像したいもの。人物の心情が表れるポイントのため、読解問題などで使われた場合も注意して読み取りましょう。
「鳶(とび)に油揚げをさらわれる」
「鳶(とび)に油揚げをさらわれる」は、「当たり前に自分のものになると思っていたものが、横から奪われるさま」を意味する慣用表現です。
これも言葉のとおりの表現で、鳥類の「鳶」に食べ物を取られてしまう情景から作られたと考えられます。まるでマンガの一場面のようですが、当時はそのようなことも日常的にあったのかもしれませんね。「油断」を意味する表現として同義語になりますが、「月夜に釜を抜かれる」との違いは「自分のものになると思っていたものが」という意味合いが強いこと。目の前で奪われて、驚いたり呆然としたりしているニュアンスを想像してみましょう。
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