
端的に言えば「瓜の蔓に茄子はならぬ」の意味は「平凡な親の子は平凡であること」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。
教師や講師としても教えることに関わってきた「やぎしち」を呼んです。一緒に「瓜の蔓に茄子はならぬ」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/やぎしち
雑学からビジネス文章まで手掛ける現役ライター。国語の中学・高校教諭の資格も持ち、予備校講師の経験も。言葉を大切にした文章を心掛けている。
「瓜の蔓に茄子はならぬ」の意味や語源・使い方まとめ

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それでは早速「瓜の蔓に茄子はならぬ(うりのつるになすびはならぬ)」の意味や語源・使い方を見ていきましょう。
「瓜の蔓に茄子はならぬ」の意味は?
「瓜の蔓に茄子はならぬ」には、次のような意味があります。
子は親に似るものだ。平凡な親からは非凡な子は生まれない。
出典:デジタル大辞泉(小学館)「瓜の蔓に茄子はならぬ」
この言葉は「平凡な親からは、特別な子は生まれない。血統は争えない」という意味の慣用表現です。
「瓜(ウリ)」と「茄子(ナス)」は別の種類の植物なのだから当たり前といえば当たり前なのですが、注意したいのは「平凡な親からは」という意味合いが含まれていること。誉め言葉ではないことを押さえましょう。特別な才能があったり有名だったりする親に対して、「息子さんもすごい人物ですね」とは言えないのです。「似た者親子」というニュアンスを伝えるために使うと驚かれてしまうかも。注意してくださいね。
「瓜の蔓に茄子はならぬ」の語源は?
次に「瓜の蔓に茄子はならぬ」の語源を確認しておきましょう。この言葉は、特別な由来があったわけではなく、人々の生活の中から生まれたもののようです。先に述べたように、この言葉の意味は「平凡な親(瓜)からは、特別な子(茄子)は生まれない」でした。つまり「茄子」のほうが価値が高いと考えられていたことがわかります。調べてみると「茄子」が日本に伝わったのは7~8世紀になってからで、高貴な人物への捧げものとしても使われていたそう。紫色は高貴な色であったため、政治や宗教の世界でも重宝されたのかもしれません。
それに対し「瓜」は縄文時代から日本にあり、ずっと一般的なものだったようです。そんな対比の中から、「瓜の蔓に茄子はならぬ」という言葉は生まれたのではないでしょうか。「茄子」と「瓜」から、そんな当時の生活を想像してみるのも面白いものですね。
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