この記事では「仏作って魂入れず」について解説する。

端的に言えば仏作って魂入れずの意味は「肝心な最後の仕上げが抜け落ちていること」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

本の虫ライターのジュリアン・ソレルを呼んです。一緒に「仏作って魂入れず」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/ジュリアン・ソレル

多い時には月間50冊を読破する本の虫ライター。漢字や熟語、ことわざ、故事が好き。正確でロジカルな文章での解説を心がける。

今回は、慣用句「仏作って魂入れず」をベースに、類語の「画竜点睛を欠く」、「九仞の功を一簣に虧く」などを、意味や語源から例文、また英訳までみっちり解説。

「仏作って魂入れず」の意味や語源・使い方まとめ

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それでは早速「仏作って魂入れず」の意味や語源・使い方を見ていきましょう。

「仏作って魂入れず」の意味は?

「仏作って魂入れず」には、次のような意味があります。

1.物事をほとんど仕上げながら、肝心な最後の仕上げが抜け落ちていることのたとえ

出典:デジタル大辞泉(小学館)「仏造って魂入れず」

「仏作って魂入れず(ほとけつくってたましいいれず)」は、仏像を作っても、そこに魂を入れなければ、単なる木や石であること、から転じて、物事は仕上げが最も重要であり、それが欠けたときは努力も無駄になるということ。「仏造って魂入れず」と書かれる場合も。

また、この慣用句には様々な言い換えがあり、「仏作って開眼せず(ほとけつくってかいげんせず)」、「仏作って眼を入れず(ほとけつくってまなこをいれず)」や、「仏作っても開眼せねば木の切れも同然」ともいわれます。

「仏作って魂入れず」の語源は?

次に「仏作って魂入れず」の語源を確認しておきましょう。

「仏作って魂入れず」の「魂を入れる」とは、具体的には「瞳を描き込む」こと。これは、仏像や仏画をつくる際、最後に瞳を描くことによって魂を迎え、仏が完成するといわれていたことに由来。瞳を描き込むことを、「点睛(てんせい)」や「開眼(かいげん)」と言い、その儀式を「開眼供養(かいげんくよう)」や「入魂式」と呼びます。

「点睛」の「睛(せい)」とは「瞳(ひとみ)」のことであり、つまり「瞳を描きいれる」こと。「」との書き間違いに注意が必要です。また、「開眼」には、「目が見えるようになること。また、見えるようにすること。」という意味と「物事の道理や真理がはっきりわかるようになること。また、物事のこつをつかむこと。」という意味がありますが、仏に瞳を書き入れる場合には「かいげん」と読まれることに注意が必要です。

\次のページで「「仏作って魂入れず」の使い方・例文」を解説!/

「仏作って魂入れず」の使い方・例文

「仏作って魂入れず」の使い方を例文を使って見ていきましょう。

1.詞も曲も完成し、珠玉の作品となるに違いないが、タイトルだけが思い浮かばないという「仏作って魂入れず」の状態だ。
2.車を買うよりも前に、駐車場を契約するなんて、まさに「仏作って魂入れず」だ。
3.「仏作って魂入れず」にならないよう、あなたは最後まで気持ちを緩めず仕事に取り組むべきだ。
4.みんなの考え方やものの見方を結集して本を仕上げたのに、広告を怠るとは、「仏作って魂入れず」だ。

例文にもあるように、最後の仕上げや、もっとも肝心な要素が抜け落ちている状態に使われます。またそのことによってこれまでの努力が無駄になるという結果も。

「仏作って魂入れず」の類義語は?違いは?

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それでは次は、「仏作って魂入れず」の類義語を見ていきましょう。

「画竜点睛を欠く」

「画竜点睛を欠く(がりょうてんせいをかく)」とは「物事をりっぱに完成させるための、最後の仕上げを忘れること」また、「全体を引き立たせる最も肝心なところが抜けていること」をあらわします。

「画竜」とは「竜の絵を描くこと」、「点睛」は前述のように「瞳を描きいれること」。つまり、仏ではなくて、こちらは竜ですが、「仏作って魂入れず」と同じ意味です。このことわざは、中国南北朝時代の梁の故事に由来します。張僧繇(ちょうそうよう)という絵の名人が、彼の壁に描いた4匹の竜のうちの2匹に瞳を入れた際、その竜が魂を得て絵の中から天空へ飛び去り、残りの2匹は壁の絵に残ったという故事です。

ちなみに「画竜点睛」の対義語となり、「余計なこと」を意味する「蛇足」。この言葉も故事成語で、蛇の絵に余計な「足」を書き入れた、というこちらも絵に関連した故事が由来です。それでは例文を見てみましょう。

\次のページで「「九仞の功を一簣に虧く」」を解説!/

1.全体の影や、手の部分などの細かいところはよく描かれているが、肝心の顔の仕上がりが雑であり、「画竜点睛を欠」いている。
2.後の工程まで可能な方法を厳選してきっちりやり、「画竜点睛を欠く」事態を避けないといけない。
3.たくさんのツールを駆使して作った資料も、白黒で印刷されると見づらく、まさに「画竜点睛を欠く」だ。

「九仞の功を一簣に虧く」

「九仞の功を一簣に虧く(きゅうじんのこうをいっきにかく)」とは「事が今にも成就するというときに、手を抜いたために物事が完成しない、または失敗すること」を意味します。

(じん)」とは、昔の中国の「高さや深さの単位」で、「九仞」は「非常に高い」という意味。「(き/あじか/もっこ)」とは、竹などで編んだ「土を運ぶかご」。「虧く(かく)」は「損なう」という意味。つまり「高い山を作るのに、最後にかご一杯の土を欠いては完成しないこと」からです。

例文を見ていきましょう。

1.プレゼンを明日に控えて、大切な資料を失くしたために完成せず、「九仞の功を一簣に虧く」。
2.テストに備えて書き上げたノートにコーヒーをこぼして台無しにしてしまった。「九仞の功を一簣に虧く」だ。
3.「九仞の功を一簣に虧く」とはまさにこのことで、詰めかけた観衆からは非難が殺到した。

「仏作って魂入れず」の英訳は?

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次に英訳を見ていきましょう。

「Plowing the field and forgetting the seeds.」

「Plowing the field and forgetting the seeds.」は直訳すると「畑を耕して、種まきを忘れる」という意味。そこから転じて、「最も肝心な要素が抜け落ちる」、「仏作って魂入れず」となります。

「plow」は「plough」とも書かれ、意味は「鋤く(すく)、耕す」。「seed」は「種、種子」という意味の他に動詞で「種を蒔く」という意味もあります。

\次のページで「「仏作って魂入れず」を使いこなそう」を解説!/

「仏作って魂入れず」を使いこなそう

この記事では「仏作って魂入れず」の意味・使い方・類語などを説明しました。

言葉の意味だけではなく、語源や関連する言葉まで紐づけてみていくことによって、より理解が深まり、語彙力が上がり、記憶にも残りやすくなると思います。

類語「九仞の功を一簣に虧く」のように、少しのことも疎かにすると、知識、教養は身につきません。しっかりと日頃から勉学に励みましょう!

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【慣用句】「仏作って魂入れず」の意味や使い方は?例文や類語をWebライターがわかりやすく解説!

この記事では「仏作って魂入れず」について解説する。

端的に言えば仏作って魂入れずの意味は「肝心な最後の仕上げが抜け落ちていること」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

本の虫ライターのジュリアン・ソレルを呼んです。一緒に「仏作って魂入れず」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/ジュリアン・ソレル

多い時には月間50冊を読破する本の虫ライター。漢字や熟語、ことわざ、故事が好き。正確でロジカルな文章での解説を心がける。

今回は、慣用句「仏作って魂入れず」をベースに、類語の「画竜点睛を欠く」、「九仞の功を一簣に虧く」などを、意味や語源から例文、また英訳までみっちり解説。

「仏作って魂入れず」の意味や語源・使い方まとめ

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それでは早速「仏作って魂入れず」の意味や語源・使い方を見ていきましょう。

「仏作って魂入れず」の意味は?

「仏作って魂入れず」には、次のような意味があります。

1.物事をほとんど仕上げながら、肝心な最後の仕上げが抜け落ちていることのたとえ

出典:デジタル大辞泉(小学館)「仏造って魂入れず」

「仏作って魂入れず(ほとけつくってたましいいれず)」は、仏像を作っても、そこに魂を入れなければ、単なる木や石であること、から転じて、物事は仕上げが最も重要であり、それが欠けたときは努力も無駄になるということ。「仏造って魂入れず」と書かれる場合も。

また、この慣用句には様々な言い換えがあり、「仏作って開眼せず(ほとけつくってかいげんせず)」、「仏作って眼を入れず(ほとけつくってまなこをいれず)」や、「仏作っても開眼せねば木の切れも同然」ともいわれます。

「仏作って魂入れず」の語源は?

次に「仏作って魂入れず」の語源を確認しておきましょう。

「仏作って魂入れず」の「魂を入れる」とは、具体的には「瞳を描き込む」こと。これは、仏像や仏画をつくる際、最後に瞳を描くことによって魂を迎え、仏が完成するといわれていたことに由来。瞳を描き込むことを、「点睛(てんせい)」や「開眼(かいげん)」と言い、その儀式を「開眼供養(かいげんくよう)」や「入魂式」と呼びます。

「点睛」の「睛(せい)」とは「瞳(ひとみ)」のことであり、つまり「瞳を描きいれる」こと。「」との書き間違いに注意が必要です。また、「開眼」には、「目が見えるようになること。また、見えるようにすること。」という意味と「物事の道理や真理がはっきりわかるようになること。また、物事のこつをつかむこと。」という意味がありますが、仏に瞳を書き入れる場合には「かいげん」と読まれることに注意が必要です。

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