この記事では「蛙の面に水」について解説する。

端的に言えば「蛙の面に水」の意味は「どんな仕打ちをされても、全く平気でいること。」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

豊富な読書経験を持ち、詩人としても活動するくぼっちを呼んです。一緒に「蛙の面に水」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/くぼっち

児童文学から精神世界、育児書まで幅広い読書経験を持ち、詩人としても活動中。その豊富な経験を生かし、難解な言葉をわかりやすく解説していく。

「蛙の面に水」の意味や語源・使い方まとめ

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それでは早速「蛙の面に水」の意味や語源・使い方を見ていきましょう。読み方は「かえるのつらにみず」です。

「蛙の面に水」の意味は?

「蛙の面に水」には、次のような意味があります。まずは辞書で正確な意味を確認してから、詳しく見ていきましょう。

〔蛙の面に水をかけても平気でいることから〕
どんな仕打ちをされても、全く平気でいること。しゃあしゃあとしているさま。蛙の面に小便。

出典:コトバンク 大辞林第三版 「蛙の面に水」

「蛙」は両生類のカエルですね。「面(つら」は顔のこと。

「蛙の面に水」とは、蛙の顔に水をかけても何も感じないように「どんな仕打ちをされても、全く平気でいること」という意味になります。「どんな仕打ちをされても、全く平気でいること」というと、「威風堂々(いふうどうどう)」のように威厳があり立派な様子をイメージするかもしれません。

しかし「蛙の面に水」は、決して褒め言葉ではなく、「しゃあしゃあとしているさま、鈍感な様子」を皮肉を込めて言うことわざです。図々しい人やふてぶてしい人に対して皮肉を込めて使われることが多く、褒め言葉ではないというところは注意が必要ですね。蛙の面に小便(しょうべん)とも言います。

「蛙の面に水」の語源は?

次に「蛙の面に水」の語源を確認しておきましょう。辞典に〔蛙の面に水をかけても平気でいることから〕とありますね。蛙は両生類であり、もともと水の中にいるので、水が顔にかかったとしても平然としています。そんな蛙の生態が由来となっているというのがひとつ。

そしてもうひとつは、「いろはかるた」からの由来です。「いろはかるた」とは、「いろは」47文字と「京」を合わせた48文字を句の頭において作られた短歌のカルタで、江戸時代に京都、大阪、江戸で広まったと言われています。それぞれの地域で内容が異なり、例えば「い」で始まる短歌は江戸では「犬も歩けば棒に当たる」、大阪では「一を聞いて十を知る」、京都では「一寸先は闇」。

そして京都で使われた「か」の短歌が「蛙の面に水」で、これが慣用句「蛙の面に水」の由来となっているわけです。

\次のページで「「蛙の面に水」の使い方・例文」を解説!/

「蛙の面に水」の使い方・例文

「蛙の面に水」の使い方を例文を使ってご紹介しましょう。この言葉は、たとえば以下のように用いられます。

1.彼は先生からどんなに注意されても蛙の面に水で、忘れ物ばかりしている。なんて図太い奴なんだだろう。

2.いくら説教しても無駄だ、少しの効果もない。いったい彼はどんな神経をしているのか。まさに蛙の面に水だ。

3.旦那の飲酒をやめさせる方法をたくさん試してみたけれど、全く効き目なし。あの人には蛙の面に水だったわ。

1.2.3共にどんなことをされても平然としている様子が表現されています。そして皮肉を込めて言っているというところがポイントです。

決して褒め言葉ではないので、例えば「あの人はどんなことがあっても堂々として立派ねえ。まさに蛙の面に水だわ。」といった使い方は誤りですのでご注意ください。

「蛙の面に水」の類義語は?違いは?

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では次に「蛙の面に水」の類義語を見ていきましょう。

「馬の耳に念仏」

「蛙の面に水」の類義語には「馬の耳に念仏」があります。読み方は「うまのみみにねんぶつ」です。

馬に念仏を聞かせても、そのありがたみは理解できないというところから、「いくら意見してもまったく効き目がないことのたとえ」という意味になります。何をされても平然としている「蛙の面に水」と同じような意味になりますね。

「馬耳東風(ばじとうふう)」という言葉もあります。「馬耳東風」は単に「人の意見に耳を貸さない」という意味ですが、「馬の耳に念仏」はそれに加え、有難さが理解できない愚かな様子という意味も込められており、目上の人に対して「馬の耳に念仏」を使うと失礼になるので注意が必要です。

\次のページで「「蛙の面に水」の対義語は?」を解説!/

ゲームばかりしてる息子にいくら注意しても馬の耳に念仏で、まったくやめる様子がないわ。もう取り上げようかしら。

「蛙の面に水」の対義語は?

次に「蛙の面に水」の対義語を見ていきましょう。

「鳩が豆鉄砲を食ったよう」

「蛙の面に水」の対義語には「鳩が豆鉄砲を食ったよう」があります。読み方は「はとがまめでっぽうをくったよう」です。豆鉄砲(まめでっぽう)とは、豆や丸めた紙などを弾丸にして撃つおもちゃの鉄砲のこと。「食った」は食べるという意味ではなく「こうむる」という意味です。

「鳩が豆鉄砲を食ったよう」は鳩がおもちゃの鉄砲で撃たれてあっけにとられる様子から、「突然の事にびっくりして、きょとんとしているさま。」という意味になります。何事があっても平然としている「蛙の面に水」とはまさに正反対の言葉になりますね。

友人の誕生日にサプライズでお祝いしたら、クラッカーを鳴らした瞬間に鳩が豆鉄砲を食ったように驚いた顔をしていた。その反応がおもしろくてみんなで大笑い。楽しい誕生日パーティーだった。

「蛙の面に水」の英訳は?

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では次に「蛙の面に水」の英訳を見ていきましょう。

「like water off duck’s a back」

「蛙の面に水」の英訳は「like water off duck’s a back」となります。直訳すると「アヒルの背中を流れる水のよう」です。

アヒルの羽は油でコーティングされており、水をかけても弾いてしまう様子から「無駄なこと、効果がないこと」という意味になります。

\次のページで「「蛙の面に水」を使いこなそう」を解説!/

「蛙の面に水」を使いこなそう

この記事では「蛙の面に水」の意味・使い方・類語などを説明しました。意味は「どんな仕打ちをされても、全く平気でいること。」でしたね。鈍感な様子を皮肉を込めて使われることが多く、決して褒め言葉ではないというところがポイントです。
どんなに忠告しても聞く耳を持たないような図々しい人には、この「蛙の面に水」を使ってみてはいかがでしょうか?まったく気にもとめず平然としてるかもしれませんが(笑)。

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【慣用句】「蛙の面に水」の意味や使い方は?例文や類語をWebライターがわかりやすく解説!

この記事では「蛙の面に水」について解説する。

端的に言えば「蛙の面に水」の意味は「どんな仕打ちをされても、全く平気でいること。」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

豊富な読書経験を持ち、詩人としても活動するくぼっちを呼んです。一緒に「蛙の面に水」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/くぼっち

児童文学から精神世界、育児書まで幅広い読書経験を持ち、詩人としても活動中。その豊富な経験を生かし、難解な言葉をわかりやすく解説していく。

「蛙の面に水」の意味や語源・使い方まとめ

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それでは早速「蛙の面に水」の意味や語源・使い方を見ていきましょう。読み方は「かえるのつらにみず」です。

「蛙の面に水」の意味は?

「蛙の面に水」には、次のような意味があります。まずは辞書で正確な意味を確認してから、詳しく見ていきましょう。

〔蛙の面に水をかけても平気でいることから〕
どんな仕打ちをされても、全く平気でいること。しゃあしゃあとしているさま。蛙の面に小便。

出典:コトバンク 大辞林第三版 「蛙の面に水」

「蛙」は両生類のカエルですね。「面(つら」は顔のこと。

「蛙の面に水」とは、蛙の顔に水をかけても何も感じないように「どんな仕打ちをされても、全く平気でいること」という意味になります。「どんな仕打ちをされても、全く平気でいること」というと、「威風堂々(いふうどうどう)」のように威厳があり立派な様子をイメージするかもしれません。

しかし「蛙の面に水」は、決して褒め言葉ではなく、「しゃあしゃあとしているさま、鈍感な様子」を皮肉を込めて言うことわざです。図々しい人やふてぶてしい人に対して皮肉を込めて使われることが多く、褒め言葉ではないというところは注意が必要ですね。蛙の面に小便(しょうべん)とも言います。

「蛙の面に水」の語源は?

次に「蛙の面に水」の語源を確認しておきましょう。辞典に〔蛙の面に水をかけても平気でいることから〕とありますね。蛙は両生類であり、もともと水の中にいるので、水が顔にかかったとしても平然としています。そんな蛙の生態が由来となっているというのがひとつ。

そしてもうひとつは、「いろはかるた」からの由来です。「いろはかるた」とは、「いろは」47文字と「京」を合わせた48文字を句の頭において作られた短歌のカルタで、江戸時代に京都、大阪、江戸で広まったと言われています。それぞれの地域で内容が異なり、例えば「い」で始まる短歌は江戸では「犬も歩けば棒に当たる」、大阪では「一を聞いて十を知る」、京都では「一寸先は闇」。

そして京都で使われた「か」の短歌が「蛙の面に水」で、これが慣用句「蛙の面に水」の由来となっているわけです。

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