どこの町にもひとつは寺があるでしょう?それくらい日本で仏教はメジャーな宗教です。ですが、仏教にはいくつもの宗派があって一言では言い表せない。
今回はそんな仏教へのとっかかりのひとつとして、「上座部仏教」について歴史オタクのライターリリー・リリコと一緒に解説していきます。

ライター/リリー・リリコ

興味本意でとことん調べつくすおばちゃん。座右の銘は「何歳になっても知識欲は現役」。大学の卒業論文は義経をテーマに執筆。これまでたくさん仏教の宗派について勉強し、まとめてきた。今回は仏教の大きな分類のひとつ「上座部仏教」についてわかりやすく解説していく。

1.仏教の世界観と目的、そして難易度

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輪廻転生システム

仏教のお話をするにあたって、まず知っていただきたいのは仏教の世界観です。仏教の世界の大きな枠に「輪廻」というシステムがありました。「輪廻」はこの世に生きるすべての命が何度も「転生」を繰り返すことです。これだけ聞くとなんだか、最近のマンガっぽい言葉ですよね。でも、この思想は紀元前から存在するとても古いものなんですよ。

さて、新しく命が転生する先には、六つの世界がありました。これは上から天人の「天道」、人間の「人間道」、阿修羅の「修羅道」、動物の「畜生道」、餓鬼の「餓鬼道」、そして最下層の「地獄」です。

天道の天人は、いわゆる神様に相当する存在のこと。一部の天人は仏教に帰依して仏教の守護者となり「天部」と呼ばれています。たいていはインド神話由来の神様で、毘沙門天や弁財天が有名ですね。ただし、神様といっても寿命があって死の苦しみから逃れることはありません。

人間道はそのまま、私たちが生きている世界のこと。「畜生道」は私たちと同じ世界の動物のことです。

阿修羅は(宗派によっては)仏教の守護神ですが、常に闘争心に溢れた気性で心休まる時はありません。

餓鬼に転生するといつも空腹に苛まれることになります。

そして、地獄はみなさんのイメージされる通り、もっとも苦しい世界です。

仏教が目指すところ

すべての生き物は無限にある前世と今世で背負った業によって、この六つの世界から次の転生先を決められました。簡単に言うと、良い事をして功徳を積めば上の世界に生まれ変わり、反対に悪い事や不道徳なことをすると、次はもっと苦しい下の世界に生まれ変わるということです。

転生し続けるかぎり、何度も苦しみを味わい続ける……当然ながら、苦しいのはイヤですよね。実は、この「輪廻」から抜け出す唯一の方法がありました。

それは「悟り」を開くこと。「悟り」を開き、心の迷いが解けて世界の真理を会得することで「解脱」する、つまり、「輪廻」からいのちが解放されるのでした。

仏教の最終的な目標はこの「悟り」を開いて「覚者」となり、苦しみに満ちた輪廻から「解脱」することです。

仏教でいう「悟り」は、あまたの迷いを越えて、真理を体得すること。悟りを開けば、この世の迷いや苦しみ、そして輪廻から逃れることができます。これを「解脱」といいました。

悟りに至るのは難しすぎる

しかし、「悟り」を開くのは簡単なことではありません。まず、悟るには迷いを断ち切らなければなりません。迷いとは、私たちが持つ「欲」のこと。あれがほしい、これが食べたい、などの物欲から、恋愛などの精神面にいたるまで。家や家族、お金に仕事と、生きるのに必要なものも含まれます。そのすべての欲を捨てなければなりませんでした。この時点でかなりの難題ですね。

かつて王子だったお釈迦様

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最初に悟りを開き、仏教を開いたのはお釈迦様(釈尊、ブッダ)です。お釈迦様は、もともとは古代インドに栄えたコーサラ国の属国シャーキヤ国の王子「ガウタマ・シッダールダ」でした。

ガウタマ・シッダールダは王子として何不自由なく育ち、当時最高の教育を受けて育ちましたが、老いや死の苦しみに気付いたことでそのすべてを捨てて出家します。

そうして、高名な師のもとで瞑想や苦行に励みましたが、それでは納得のいく答えが見つかりません。さらに自らを追い込む苦行を重ねていくのですが、最後には心身ともに弱りきってしまいます。今にも死んでしまいそうになったとき、スジャータという女性に乳粥を施されてなんとか生き延び、そうしてブッダガヤの菩提樹のもとで悟りの境地にいたりました。

出家から六年目のことです。聡明なガウタマ・シッダールダが、地位も家族もすべて捨て去り、修行にだけ専念してようやくたどり着いたのでした。仏教を開いたお釈迦様でも六年ですから、家族や仕事を持って生活している人たちには途方もなく遠い道のりになりますね。

\次のページで「2.仏教がふたつに分裂したワケ」を解説!/

2.仏教がふたつに分裂したワケ

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ふたつに別れた仏教

今日、日本中で見かける寺院。観光に開かれたお寺もありますから、人生のどこかで一度は必ず踏み入れる機会があると思います。

そんな身近な寺院と仏教ですが、実はたくさんの宗派に別れていました。教義などはその宗派それぞれ。本堂に祀られている仏様も違ったりするんですよ。

この章ではその宗派のもう一つ上、仏教は「上座部仏教」と「大乗仏教」のふたつに分かれていることについてお話しします。

分裂のきっかけ

仏教を開いたお釈迦様の入滅から100年後、お釈迦様の教えは広く伝播していきました。しかし、発祥の中央から遠ざかれば遠ざかるほど、土地の文化や食習慣は違ったものになりますよね。そうすると、仏教が定めた戒律を守ることが難しい地域が出てきたのです。

生前のお釈迦様は、別に重要でない戒律は、サンガ(僧侶たちのコミュニティ)で話し合って同意があれば変えてしまってもいいことにしていました。けれど、いざ変更会議をしてみると、戒律の解釈の違いから意見が割れてしまいます。

そして、第二回目の会議で再検討されることになったのですが、ここで決定的な分裂(根本分裂)が起こり、仏教は戒律維持派の「上座部」と戒律修正派の「大衆部」のふたつに分かれてしまいました。

この分裂によって「上座部仏教」と「大乗仏教」というふたつの流れができたのです。

3.「上座部仏教」と「大乗仏教」

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\次のページで「「上座部仏教」の特徴」を解説!/

「上座部仏教」の特徴

分裂した「上座部」のだいたいが現在の「上座部仏教」に相当します。つまり、彼らは戒律を厳しく守る一派ですね。そのため、「上座部仏教」は戒律重視で、出家して修行したもの(阿羅漢)だけが悟りをくことができると説いたのです。

現存する最古の仏教宗派で、「長老の教え」という意味の「テーラワーダ」を用いてテーラワーダ仏教とも呼ばれます。あるいは、南方のスリランカやタイに伝わったことから南伝仏教とも。

信仰の対象は、お釈迦様のみ。他はありません。

現在では、スリランカ、ミャンマー、タイ、カンボジアなどの主な宗教となっています。

また、修行したものだけしか救われないという部分を揶揄して、大昔には「大乗仏教」に対して「小乗仏教」と呼ばれていました。しかし、近代ではそういう悪口のような呼び方は不適切という風潮になってなくなりました。

「上座部仏教」と「大乗仏教」の違い

一方、「大乗仏教」は修行した僧侶が叡智を備えた仏となり、己ひとりではなく、生きとし生けるものすべてが救われる(悟りを得る)という考えです。つまり、ひとりの僧侶が、出家していない一般の人々(在家)をも輪廻の苦しみから救い上げてくれるということ。

誰でも救われるという点が特徴で、悟りに至る方法をめぐってたくさんの宗派が生まれました。そのため、信仰の対象はお釈迦様をはじめとして、如来や菩薩など多岐に渡ります。

大乗仏教はネパールからチベットやモンゴル、シルクロードを経由して中国、ベトナム、朝鮮半島、そして日本にやってきました。そのため北伝仏教ともいいます。

両方ともに「悟り」と「解脱」を目指しますが、そこにいたるまでの考えや方法はまったく違うのです。

僧侶ではない在家の人々と出家者の関係

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出家した僧侶たちは、戒律に従えば、家もお金も持ってはいけませんよね?それなら、衣食住はどうなっているのでしょうか。特に、人間はごはんを食べなければどうしたって生きていけません。

そこで登場するのが、「在家(ざいけ)」の人々でした。「在家」とは出家せず、普通の生活を行いながら仏教に帰依する人々のことをといいます。彼らが食べ物や着るものを出家者にお布施(喜捨)しているから、僧侶たちは修行に専念できるんですね。

日本でもお布施を呼びかける托鉢僧を見かけますが、タイやラオスでは、早朝にオレンジの袈裟を着た僧侶が大きな鉢を抱えて町中を歩いて回ります。在家の信者たちは、やってきた僧侶にひざまづいて食べ物を渡すんですね。

……けれど、どうして在家の人々は僧侶を支援するのでしょうか?

大乗仏教の場合、修行する僧侶が他のみんな(在家でなくても)を救ってくれるのですから、そんな尊い方には是非支援しておきたいものです。ところが、上座部仏教で悟りを開くことができるのは、修行している僧侶ただひとり。それでも、在家の人々はお布施を欠かせません。なぜか?

それは、出家した僧侶が、在家の人に成り代わって悪行を避ける修行に専念する存在だと考えているからでした。僧侶の修行を肯定し、お布施をすることで、在家の人々は功徳を積むのです。

覚えておきたい上座部仏教の国のタブー

将来、タイやベトナムへ旅行や仕事で行くことがあるかもしれません。当然ですが、別の国にはその国のルールがありますよね。上座部仏教は戒律を厳しく守ることが重要ですから、外から訪れる私たちがルールを破ってはいけません。

まず、僧侶は欲を捨てて修行に励んでいるわけですから、異性との接触はご法度です。絶対に触れてはいけませんよ。

また、頭は体の中でも神聖な部分なので、みだりに他人の頭に触ってはいけません。逆に、足は不浄(心理的に穢れている)で、人に足を向けて指したり、寝たりするのは非常に失礼な行為になります。

日本の仏教は?

日本に仏教が伝来したのは七世紀前半、奈良時代のこと。朝鮮半島のにあった「百済」の聖王から、日本の欽明天皇に公伝されました。先述した通り、この時に伝わったのは大乗仏教のほうで、実は、上座部仏教が日本に入ってきたのは明治時代になってからなんです。

\次のページで「紀元前よりお釈迦様の戒律を守る上座部仏教」を解説!/

紀元前よりお釈迦様の戒律を守る上座部仏教

お釈迦様の死後に仏教は広い地域に伝わっていきました。しかし、そうしたなかで仏教の戒律が地域の風土や食習慣に合わない事例が出始めます。戒律を変えるべきか僧侶たちが集まって話し合った結果、意見が割れて仏教の分裂がはじまったのです。分裂したうちのひとつから、「上座部仏教」が生まれました。

「上座部仏教」では、出家して修行したもの(阿羅漢)だけが悟りをくことができると説き、出家者は戒律を厳しく守って修行しているのです。そのため、お釈迦様の教えを純粋な形で受け継いできたとされています。

日本では大乗仏教の寺院が大半ですが、早くから上座部仏教が伝わったタイやミャンマー、カンボジアなどでは今でも篤く信仰されてきました。

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アジアの歴史世界史歴史

3分で簡単「上座部仏教」仏教が分裂した?戒律重視派ってなに?歴史オタクがわかりやすく解説

どこの町にもひとつは寺があるでしょう?それくらい日本で仏教はメジャーな宗教です。ですが、仏教にはいくつもの宗派があって一言では言い表せない。
今回はそんな仏教へのとっかかりのひとつとして、「上座部仏教」について歴史オタクのライターリリー・リリコと一緒に解説していきます。

ライター/リリー・リリコ

興味本意でとことん調べつくすおばちゃん。座右の銘は「何歳になっても知識欲は現役」。大学の卒業論文は義経をテーマに執筆。これまでたくさん仏教の宗派について勉強し、まとめてきた。今回は仏教の大きな分類のひとつ「上座部仏教」についてわかりやすく解説していく。

1.仏教の世界観と目的、そして難易度

image by PIXTA / 64252690

輪廻転生システム

仏教のお話をするにあたって、まず知っていただきたいのは仏教の世界観です。仏教の世界の大きな枠に「輪廻」というシステムがありました。「輪廻」はこの世に生きるすべての命が何度も「転生」を繰り返すことです。これだけ聞くとなんだか、最近のマンガっぽい言葉ですよね。でも、この思想は紀元前から存在するとても古いものなんですよ。

さて、新しく命が転生する先には、六つの世界がありました。これは上から天人の「天道」、人間の「人間道」、阿修羅の「修羅道」、動物の「畜生道」、餓鬼の「餓鬼道」、そして最下層の「地獄」です。

天道の天人は、いわゆる神様に相当する存在のこと。一部の天人は仏教に帰依して仏教の守護者となり「天部」と呼ばれています。たいていはインド神話由来の神様で、毘沙門天や弁財天が有名ですね。ただし、神様といっても寿命があって死の苦しみから逃れることはありません。

人間道はそのまま、私たちが生きている世界のこと。「畜生道」は私たちと同じ世界の動物のことです。

阿修羅は(宗派によっては)仏教の守護神ですが、常に闘争心に溢れた気性で心休まる時はありません。

餓鬼に転生するといつも空腹に苛まれることになります。

そして、地獄はみなさんのイメージされる通り、もっとも苦しい世界です。

仏教が目指すところ

すべての生き物は無限にある前世と今世で背負った業によって、この六つの世界から次の転生先を決められました。簡単に言うと、良い事をして功徳を積めば上の世界に生まれ変わり、反対に悪い事や不道徳なことをすると、次はもっと苦しい下の世界に生まれ変わるということです。

転生し続けるかぎり、何度も苦しみを味わい続ける……当然ながら、苦しいのはイヤですよね。実は、この「輪廻」から抜け出す唯一の方法がありました。

それは「悟り」を開くこと。「悟り」を開き、心の迷いが解けて世界の真理を会得することで「解脱」する、つまり、「輪廻」からいのちが解放されるのでした。

仏教の最終的な目標はこの「悟り」を開いて「覚者」となり、苦しみに満ちた輪廻から「解脱」することです。

仏教でいう「悟り」は、あまたの迷いを越えて、真理を体得すること。悟りを開けば、この世の迷いや苦しみ、そして輪廻から逃れることができます。これを「解脱」といいました。

悟りに至るのは難しすぎる

しかし、「悟り」を開くのは簡単なことではありません。まず、悟るには迷いを断ち切らなければなりません。迷いとは、私たちが持つ「欲」のこと。あれがほしい、これが食べたい、などの物欲から、恋愛などの精神面にいたるまで。家や家族、お金に仕事と、生きるのに必要なものも含まれます。そのすべての欲を捨てなければなりませんでした。この時点でかなりの難題ですね。

かつて王子だったお釈迦様

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最初に悟りを開き、仏教を開いたのはお釈迦様(釈尊、ブッダ)です。お釈迦様は、もともとは古代インドに栄えたコーサラ国の属国シャーキヤ国の王子「ガウタマ・シッダールダ」でした。

ガウタマ・シッダールダは王子として何不自由なく育ち、当時最高の教育を受けて育ちましたが、老いや死の苦しみに気付いたことでそのすべてを捨てて出家します。

そうして、高名な師のもとで瞑想や苦行に励みましたが、それでは納得のいく答えが見つかりません。さらに自らを追い込む苦行を重ねていくのですが、最後には心身ともに弱りきってしまいます。今にも死んでしまいそうになったとき、スジャータという女性に乳粥を施されてなんとか生き延び、そうしてブッダガヤの菩提樹のもとで悟りの境地にいたりました。

出家から六年目のことです。聡明なガウタマ・シッダールダが、地位も家族もすべて捨て去り、修行にだけ専念してようやくたどり着いたのでした。仏教を開いたお釈迦様でも六年ですから、家族や仕事を持って生活している人たちには途方もなく遠い道のりになりますね。

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