
端的に言えば「笛吹けども踊らず」の意味は「手を尽くして働きかけても人がそれに応じてくれないこと」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。
豊富な読書経験を持ち、詩人としても活動するくぼっちを呼んです。一緒に「笛吹けども踊らず」の意味や例文、類語などを見ていきます。
ライター/くぼっち
児童文学から精神世界、育児書まで幅広い読書経験を持ち、詩人としても活動中。その豊富な経験を生かし、難解な言葉をわかりやすく解説していく。
「笛吹けども踊らず」の意味は?
「笛吹けども踊らず」には、次のような意味があります。まずは辞書の意味をご確認いただき、そこからさらに詳しく見ていきましょう。
《新約聖書「マタイ伝」11章から》手を尽くして働きかけても、人がそれに応じて動き出さないことのたとえ。
出典:デジタル大辞泉(小学館)「笛吹けども踊らず」
「笛吹けども」は、「手を尽くすこと、段取りを整えること、準備すること」などを例えています。「踊らず」は「相手が応じない、動かないこと」を例えた表現です。
ですから「笛吹けども踊らず」とは、手を尽くして働きかけても、人がそれに応じて動き出さないことのたとえという意味になります。
しかしこの言葉は、慣用句というより人気歌手の米津玄師さんの楽曲としてご存知の方も多いのではないでしょうか。
米津玄師さんメジャー第1弾シングル「サンタマリア」に、米津さん作詞作曲の「笛吹けども踊らず」という楽曲が収録されています。米津玄師さんといえば代表曲「Lemon」のミュージックビデオが5.8億回再生と、圧倒的な再生回数を誇ることで有名な人気歌手。その米津玄師さんが曲名に使用されているわけですから、この慣用句は比較的馴染みのある言葉と言えるかもしれませんね。
「笛吹けども踊らず」の語源は?

次に「笛吹けども踊らず」の語源を確認しておきましょう。辞書には《新約聖書「マタイ伝」11章から》とありますね。
新約聖書とは、紀元1世紀から2世紀にかけてキリスト教徒によって書かれたキリスト教の正典ですが、その中にイエス・キリストの誕生から処刑までの生涯、言葉や行い、復活に至る伝記が記された「福音書」が収められています。
「マタイによる福音書」「マルコによる福音書」「ルカによる福音書」「ヨハネによる福音書」と4つの福音書があり、この中の「マタイによる福音書」が「マタイ伝」と呼ばれるものです。
そしてこの「マタイ伝」の11章に「僕たちは君たちのために笛を吹いたのに踊ってくれなかった。葬式の歌を歌ったのに、悲しんでくれなかった。」という記述があり、この言葉が「笛吹けども踊らず」の語源となっています。
ちなみに米津玄師さんの楽曲「笛吹けども踊らず」の歌詞の中に、聖書の言葉で賛美を意味する「ハレルヤ」という言葉が出てきますので、米津さんは「笛吹けども踊らず」の語源まで調べたうえで、歌詞に使われているのかもしれませんね。
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