端的に言えば「百尺竿頭に一歩を進む」の意味は「努力を尽くしたうえに、さらに尽力すること」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。
豊富な読書経験を持ち、詩人としても活動するくぼっちを呼んです。一緒に「百尺竿頭に一歩を進む」の意味や例文、類語などを見ていきます。
ライター/くぼっち
児童文学から精神世界、育児書まで幅広い読書経験を持ち、詩人としても活動中。その豊富な経験を生かし、難解な言葉をわかりやすく解説していく。
「百尺竿頭に一歩を進む」の意味や語源・使い方まとめ
それでは早速「百尺竿頭に一歩を進む」の意味や語源・使い方を見ていきましょう。読み方は「ひゃくしゃくかんとうにいっぽをすすむ」です。
「百尺竿頭に一歩を進む」の意味は?
「百尺竿頭に一歩を進む」には、次のような意味があります。まずは辞典で正確な意味を確認し、さらに詳しく見ていきましょう。
《「伝灯録」から》百尺の竿 (さお) の先に達しているが、なおその上に一歩を進もうとする。すでに努力・工夫を尽くしたうえに、さらに尽力すること、また、十分に言を尽くして説いたうえに、さらに一歩進めて説くことのたとえ。
出典:デジタル大辞泉(小学館)「百尺竿頭に一歩を進む」
まず「百尺竿頭(ひゃくしゃくかんとう)」を見ていきましょう。尺とは長さの単位で、一尺が約30センチメートルですので「百尺」は約30メートルになります。「竿頭」は竿の先ですから、「百尺竿頭」は、30メートルもの長さの竿の先端。
これは実際の数値を言っているのではなく、それほど長いという例えで、そこから転じて、「到達しうる極限、最上の境地」という意味になります。
「百尺竿頭に一歩を進む」は、そこから更に一歩を進むわけですから、すでに努力を尽くし最高の極地に達したうえに、さらに尽力するという意味になるわけですね。
「百尺竿頭に一歩を進む」の語源は?
次に「百尺竿頭に一歩を進む」の語源を確認しておきましょう。
辞典には《「伝灯録」から》とありますので、伝灯録について見ていきましょう。
「伝灯録」とは中国における禅宗の書籍で、北宋の景徳1年(1004年)に朝廷に呈上されたことから、景徳伝灯録とも呼ばれています。多くの禅僧や僧侶の伝記が収録されているため「1700人の公案」と言われていますが、実際に記されているのは965人です。
この中に「百尺竿頭にすべからく歩を進め、十方世界に全身を現ずべし」という長沙景岑(ちょうさけいしん)禅師の言葉があります。
これは「厳しい修行の末に悟りの極地に達したとしても修行に終わりはないので、衆生を救済するために更に歩を進めよ。」という意味です。
更にかみ砕いて言うと「悟りの境地に達しても、そこに安住しているのは本当の悟りではなく、そこから身を投げ出して十方世界(あらゆる所)で人々のために尽力してこそ本来の悟りである」ということになります。
これが「百尺竿頭に一歩を進む」の語源で、禅語(禅宗の言葉)が由来になっていたということですね。
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