この記事では「恥の上塗り」について解説する。

端的に言えば恥の上塗りの意味は「恥をかいたうえに、再度恥をかくこと」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

語学好きで歴史好き、名古屋出身で5年間のライター経験を持つeastflowerをを呼んです。一緒に「恥の上塗り」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/eastflower

今回の記事を担当するのは語学好きで英語、中国語が得意な5年目のライター、eastflower。「恥の上塗り」の言葉の起源やどんな場面で使えるのかをわかりやすく解説していく。

「恥の上塗り」の意味や語源・使い方まとめ

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それでは早速「恥の上塗り」の辞書の意味や語源・使い方を見ていきましょう。

「恥の上塗り」の意味は?

「恥の上塗り」には、次のような意味があります。

【恥の上塗り】
1.恥をかいたうえに、また恥をかくこと。恥の恥。

出典:デジタル大辞泉(小学館)「恥の上塗り」

【恥】
1.恥じること。自分の欠点・失敗などを恥ずかしく思うこと。
2.それによって名誉や面目が損なわれる行為・事柄。

出典 デジタル大辞泉(小学館)「恥」

第二次世界大戦後、アメリカの文化人類学者であるルース・ベネディクト(Ruth Benedict)さんは自身の著書『菊と刀』の中で、西洋は「罪の文化」(つみのぶんか)であるのに対して、日本は、「恥の文化」であるという視点から日本人の国民性を解釈しようと試みました。

彼女によれば、キリスト教文明である欧米社会では、行動規範(こうどうきはん)として宗教的な戒律(かいりつ)を守ることが生活の中で身についており、内面の良心を重視する「罪の文化」である一方、日本は、多神教で神や仏を拝むものの道徳的に宗教が人々の行動を縛ることは少なく、むしろ、「他人の目を気にする恥の文化」であると考えたのです。西洋人は、心の内の神を意識して生活しているのに対して、日本人は他人の目を意識しながら生活しているように見えたのですね。

今回のテーマである「恥の上塗り」とは、自分の欠点を恥ずかしいと感じ、人の目を気にして名誉が損なわれることを回避しながら面子(めんつ)を維持してきたと指摘される我々、日本人にとって、ある意味では身近な慣用句とも言えるのかもしれません。

「恥の上塗り」の語源は?

次に「恥の上塗り」の語源を確認しておきましょう。

「恥の上塗り」という言葉がいつごろから使われるようになったのかははっきりしませんが、「恥をかくようなことはしてはいけない」、「対面をつぶすようなことは繰り返してはいけない」という概念や意識は、日本が農耕社会となったときから出来上がっていったのではないかという意見もありますね。

農耕社会では、定住の共同生活が基本で、村社会に属する全員が協力して農業を行うことで村というコミュニティを維持してきました。コミュニティを維持するために、各自が他のメンバーと歩調を合わせ行動し、各人がコミュニティの価値観に合わせることが最優先とされてきたのでしょう。もちろん、どんな社会にでも異なった考え方をする人は生まれてくるものですが、自我を主張すれば村八分(むらはちぶ)でコミュニティから排除されてしまうことになったのです。自然と「他人の目を気にしてコミュニティの規範から外れないよう」に、「コミュニティで対面を失わないように生活していく」ことが要求されるようになっていったのかもしれませんね。

\次のページで「「恥の上塗り」の使い方・例文」を解説!/

「恥の上塗り」の使い方・例文

「恥の上塗り」の使い方を例文を使って見ていきましょう。この言葉は、たとえば以下のように用いられます。

1.ねえ、お母さん、学校にいじわるな数学の先生がいて、先生が生徒の成績をチェックするのは当たり前のことだと思うけど、中間テストのときは私がクラスで「30点の最低得点者」として発表されて恥をかいたのに期末のときは「中間、期末の連続30点台得点者」として紹介されてしまったわ。「恥の上塗り」をしてしまって私、スゴク恥ずかしいし、先生も大嫌い。

2.女らしく可愛らしく育ててきたつもりだし、近所でも「自慢の美人三姉妹ですね」と言われてきたのに長女だけならまだしも、次女が出戻ってきて「恥の上塗り」だと思っていた。今回は、三女まで離婚して、母親としては、「恥の上塗りの追加の上塗り」で恥ずかしくてしかたないわ。

3.あれほどまでに大々的に宣伝して、国策としても認められた商品だったのに米国の認可取得に6回も失敗して、多くの人から「恥の上塗り」だと言われているのが現状だ。社内では事業の拡大はおろか事業の維持を訴えても白い目で見られるようにもなってしまった。支払についてもメインバンクに延滞の申し出はできたとしても、さすがに債権放棄の要求など言い出せるはずもなく関連会社やサービス会社からもバカにされ、もうこれ以上の「恥の上塗り」したくないというのが最後の望みだ。

「恥」や「恥の上塗り」は、年齢や立場に関わらず経験する可能性のあることなのです。

「恥の上塗り」の類義語は?違いは?

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それでは、「恥の上塗り」の類義語を見ていきましょう。

「重ねて恥をかく」

「恥の上塗り」とほとんど同じ意味で使われる言葉に「重ねて恥をかく」(かさねてはじをかく)があります。もし、「恥の上塗り」と言っても相手に意味が通じない場合は、「重ねて恥をかく」に言い換えてみるといいかもしれないですね。

\次のページで「「恥の上塗り」の対義語は?」を解説!/

「恥の上塗り」の対義語は?

次に「恥の上塗り」の反対語を見ていきましょう。

「厚顔無恥」

「恥をかいてしまった」「恥の上塗りをしてしまった」と思うのは自分の中で恥ずかしいと感じるためです。その逆で「普通の人であれば恥ずかしいと感じることなのに平然として恥ずかしいと思わない人」を表す言葉に「厚顔無恥」(こうがんむち)があります。文字通り「面(つら)の皮が厚くて、ずうずうしく恥知らず」の人を指す四字熟語ですね。

「自己信頼」

「恥をかかないように生きたい」という感性は大切なことで、みんながそう思うことで、協調して生活し、平和で安定した社会が継続できるわけです。また、社会に自分を適応させていくことも生きるための能力のひとつだとも言えることでしょう。

しかし、民主主義の国、アメリカでは「真理は自分自身の中にあるものであり、同調することだけを目的とするのではなく、自分に忠実に生きるべきである」思想家エマソンは主張しました。確かにエマソンが言ったこともまた大切なことです。エマソンのこの考え方のことを「自己信頼」、オリジナルの英語では、「self-reliance」といいます。エマソンは「self-reliance」の他にも「self-education」(自己教育)なども訴えましたが、その後、アメリカには一代で富を築いたり、独力で有名な企業家や政治家になった人々を輩出していきました。

ただ、エマソンの時代、アメリカには人々をひきつける魅力的な条件が揃っていたともいえるでしょう。「広大な西部の土地」です。アメリカ政府は一定期間農地を耕したものには無償で土地を与える政策を打ちだし、窮屈な村社会から抜け出して自身の努力によって土地を手に入れられる時代でもあったのですね。

「恥の上塗り」の英訳は?

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次に「恥の上塗り」の英訳を見ていきましょう。

「I’m ashamed of myself」

「私は恥ずかしい」と言いたい時は、最も一般的な言い方は「I am embarrassed」(アイム インバラスドゥ)になるでしょう。「embarrassed」(ɪmˈbær.əst)の原形は「embarrass」(ɪmbˈærəs)で、「恥ずかしい思いをさせる」や「きまり悪がらせる」という意味の他動詞ですから、「私は恥ずかしい」と普通に使う場合には、「I’m embarrassed」となるのです。

しかし、「恥の上塗り」は、「普通の軽い恥ずかしさよりも強い恥ずかしさ」を表す言葉のため、「embarrassed」よりも強い「ashamed」を使うことで、恥ずかしさの度合いが強いことを相手に伝えることができます。「ashamed」(əʃéɪmd)の原形は、「ashame」(əʃeɪm)で、「誰々にに恥をかかせる」の意味を持つ他動詞になりますので、「自分は、スゴク恥ずかしさを感じている」と表現、表明したいときには、「I am ahamed of myself.」を使えばよいでしょう。

しかし、「I’m ashamed of myself.」では、「重ねて恥をかいた」というところまでは表現できないため、より正確に伝えるには、下記の表現がよりよいでしょう。

「double disgrace」

「恥の上塗り」とほぼ同じ意味で使われる英語表現に「double disgrace」(dˈʌbl dɪsgréɪs)があります。「double」は、既に日本語にもなっている「ダブル」のことで、「2倍の」を意味する形容詞です。「disgrace」は、「不名誉」や「恥辱」の意味を持つ不可算名詞ですが、動詞としても使われ、「恥となる」や 「名を汚す」の意味で使われます。例えば、「家名を汚すことは、どうかしないでください」であれば、「Please do not disgrace the family name」となりますね。

「恥の上塗り」言い換えると「二重の不名誉」という部分を強調したいのであれば、「double disgrace」がいいですね。相手もきっと意味をわかってくれることでしょう。

\次のページで「「恥の上塗り」を使いこなそう」を解説!/

「恥の上塗り」を使いこなそう

今回の記事では、「恥の上塗り」の意味や使い方を見てきました。「恥」とは、「自身の欠点や自分のした失敗に対して恥ずかしく思ったり、面目や社会的な評価を下げてしまうこと」でした。「恥の上塗り」とは、「名誉や面目を潰(つぶ)すことを一度ならず、二度、三度と繰り返してしまうこと」でした。

人はそれぞれ個性があり考え方が違いますから、環境に適応していくことが得意な人もいれば、社会のルールやガイドライン、様式などに自分を当てはめていくことが得意ではなく、戸惑い逸脱(いつだつ)してしまって、恥ずかしい思いを何度も繰り返してしまう人も多いことでしょう。

そんな方々に贈りたいのが次の言葉です。
「私はすべての人間を、毎日毎日、恥をかくために生まれてきたものだとさえ考えることもある。」
なんと、これは明治の文豪、夏目漱石(なつめそうせき)のことばなのです。漱石も非常に心が繊細な人であり、他人の目や言葉に傷つくことも多かったし、恥ずかしいと感じることも少なくなかったのだと思います。繊細だからこそ、心の機微を小説の中で表現できたのかもしれません。あの漱石でさえ恥ずかしいと思うこともあるのですから、失敗して恥をかいたのなら次の再生を目指してがんばってやっていきましょう。

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【慣用句】「恥の上塗り」の意味や使い方は?例文や類語をWebライターがわかりやすく解説!

この記事では「恥の上塗り」について解説する。

端的に言えば恥の上塗りの意味は「恥をかいたうえに、再度恥をかくこと」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

語学好きで歴史好き、名古屋出身で5年間のライター経験を持つeastflowerをを呼んです。一緒に「恥の上塗り」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/eastflower

今回の記事を担当するのは語学好きで英語、中国語が得意な5年目のライター、eastflower。「恥の上塗り」の言葉の起源やどんな場面で使えるのかをわかりやすく解説していく。

「恥の上塗り」の意味や語源・使い方まとめ

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それでは早速「恥の上塗り」の辞書の意味や語源・使い方を見ていきましょう。

「恥の上塗り」の意味は?

「恥の上塗り」には、次のような意味があります。

【恥の上塗り】
1.恥をかいたうえに、また恥をかくこと。恥の恥。

出典:デジタル大辞泉(小学館)「恥の上塗り」

【恥】
1.恥じること。自分の欠点・失敗などを恥ずかしく思うこと。
2.それによって名誉や面目が損なわれる行為・事柄。

出典 デジタル大辞泉(小学館)「恥」

第二次世界大戦後、アメリカの文化人類学者であるルース・ベネディクト(Ruth Benedict)さんは自身の著書『菊と刀』の中で、西洋は「罪の文化」(つみのぶんか)であるのに対して、日本は、「恥の文化」であるという視点から日本人の国民性を解釈しようと試みました。

彼女によれば、キリスト教文明である欧米社会では、行動規範(こうどうきはん)として宗教的な戒律(かいりつ)を守ることが生活の中で身についており、内面の良心を重視する「罪の文化」である一方、日本は、多神教で神や仏を拝むものの道徳的に宗教が人々の行動を縛ることは少なく、むしろ、「他人の目を気にする恥の文化」であると考えたのです。西洋人は、心の内の神を意識して生活しているのに対して、日本人は他人の目を意識しながら生活しているように見えたのですね。

今回のテーマである「恥の上塗り」とは、自分の欠点を恥ずかしいと感じ、人の目を気にして名誉が損なわれることを回避しながら面子(めんつ)を維持してきたと指摘される我々、日本人にとって、ある意味では身近な慣用句とも言えるのかもしれません。

「恥の上塗り」の語源は?

次に「恥の上塗り」の語源を確認しておきましょう。

「恥の上塗り」という言葉がいつごろから使われるようになったのかははっきりしませんが、「恥をかくようなことはしてはいけない」、「対面をつぶすようなことは繰り返してはいけない」という概念や意識は、日本が農耕社会となったときから出来上がっていったのではないかという意見もありますね。

農耕社会では、定住の共同生活が基本で、村社会に属する全員が協力して農業を行うことで村というコミュニティを維持してきました。コミュニティを維持するために、各自が他のメンバーと歩調を合わせ行動し、各人がコミュニティの価値観に合わせることが最優先とされてきたのでしょう。もちろん、どんな社会にでも異なった考え方をする人は生まれてくるものですが、自我を主張すれば村八分(むらはちぶ)でコミュニティから排除されてしまうことになったのです。自然と「他人の目を気にしてコミュニティの規範から外れないよう」に、「コミュニティで対面を失わないように生活していく」ことが要求されるようになっていったのかもしれませんね。

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