受け継がれる武士たちの幕府
しかし、朝廷を牛耳った平氏政権は長くは続きませんでした。先の乱で平家によって辛酸をなめさせられた天皇や源氏による反撃がはじまり、平家の支配は短命のうちに幕を下ろしたのです。
それで、再び政権が天皇の手に戻ったのか?――残念ながらそうはなりません。政権は平家との戦いで勝利した「源頼朝」へと移り、1185年に「文治の勅許」で実質的な支配権を得た源頼朝は、本拠地を置く鎌倉で「鎌倉幕府」を開いたのでした。これが最初の幕府です。
鎌倉幕府、室町幕府のあと、徳川家康が戦国時代を勝ち抜いてようやく「江戸幕府」が開かれます。江戸はご存知のとおり、今の東京都。1603年以降現在に至るまでの400年もの間ずっと東京の地は日本の首都なんです。
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朝廷と幕府の関係
幕府は朝廷に代わって日本を統治するようになりました。それではお役御免となった朝廷がなくなったのかというと、そうではありません。たとえ実権が幕府にあっても、天皇と朝廷はずっと京都で存続していました。
そのため、鎌倉時代には後鳥羽上皇が政権を取り戻そうと「承久の乱」を起こして失敗したり、後醍醐天皇が「元弘の乱」で鎌倉幕府を倒し「健武の新政」を行います。ただ、後醍醐天皇は「健武の新政」によって天皇と公家中心の政治を行い、武士を締め出そうとしたことで武士たちの反感を買ったために「室町幕府」が発足したのでした。
けれど、鎌倉幕府に続き室町幕府も天皇を滅ぼしたりはしません。統治の実権はなくても、天皇は権威の象徴として必要不可欠な存在だったのです。
朝廷と幕府の絶妙な関係
朝廷と幕府の誕生、そして、幕府へと政権が移っていきましたが、果たして、天皇と将軍ではどちらのほうが地位が高いのでしょうか?
古代から存在し続ける天皇か、はたまた、実質的に日本の統治を行ってきた将軍か。
答えから言ってしまうと、「形の上では天皇のほうが上位」です。というのも、そもそも幕府の将軍とは「征夷大将軍」のこと。「征夷大将軍」は794年ごろからはじまった東北地方の蝦夷(えみし)征討の指揮官です。
なぜ幕府の将軍が「征夷大将軍」というと、鎌倉幕府の源頼朝が「大将軍」の称号を朝廷に望み、1192年に朝廷が「征夷大将軍」に任命したのがはじまりでした。以降、幕府のトップが「征夷大将軍」に任命されることが慣例となります。なので、鎌倉幕府の足利家将軍、江戸幕府の徳川将軍たちも「征夷大将軍」なんですよ。
そして、この「征夷大将軍」は天皇から任命される役職。つまり、形式的には将軍は天皇の家来なんです。
だけど、結局、日本の実権を握っているのは将軍と幕府ですよね。特に江戸時代に入ると徳川家康の発した「禁中並公家諸法度」により、天皇や公家は幕府の言うことを聞かなければならなくなりました。なので、「征夷大将軍」の任命も幕府に言われるままに行われていたのです。
だから、「形の上では天皇のほうが上位」であって、「実際の権力的には将軍のほうが優位」であり「将軍が日本の事実上のトップ」だったのでした。
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