
「針の筵」
「針の筵(はりのむしろ)」とは、“周囲の非難にさらされて苦しい状況”を指します。「筵(むしろ)」とは敷物のことで、「針」は“周囲からの批判”、「筵(むしろ)」は“場所”を意味し、他者の目に対する居心地の悪さを表すときに使う慣用句です。
「立つ瀬がない」同様に、“周囲に顔向けができず苦しい様子”を表している点で、類義語のひとつと言えます。ただし、「針の筵」は周囲の目が気になる意味合いが強く、「立つ瀬がない」ほど自責の念は強く含まれていません。それぞれの言葉の持つニュアンスの違いで使い分けるといいでしょう。
「立つ瀬がない」の対義語は?
「立つ瀬がない」とは、立場を失い周囲に顔向けできなくなること。これと反対の意味を持つ対義語について見ていきましょう。
「面目を施す」
「面目を施す(めんぼくをほどこす)」とは、“評価を高め、世間体や名誉をたもつ”こと。立派な行いをして名誉を得たときなどに用いる慣用句です。
「立つ瀬がない」で世間体を失うことに対し、立場を得て世間から評価を得る「面目を施す」はまさしく正反対の意味と言えるでしょう。そのため、「面目を施す」は「立つ瀬がない」の対義語と言えます。
ほかにも「面子を保つ(めんつをたもつ)」などと似た言葉もありますが、状況に応じてしっくり来る言葉を使うようにしましょう。
「lose face」
「lose face」とは、“面目を失う”という意味の英語表現です。ここでの「face」は、世間への顔という意味で“体面”を意味しています。
「立つ瀬がない」は立場や面目を失った苦しい状況を表す言葉のため、英語でその状況を説明するには「lose face」の英語訳で問題なく伝えられるでしょう。
自分や他者の行動で名誉が傷ついてしまうときや、苦しい状況に陥ってしまうときに用いる表現です。
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