南北問題って、聞いたことはあるか?実は南北問題と呼ばれる問題はいくつかありますが、今回見ていくのは地球の南側と北側との間に広がっている問題です。どんな問題なんでしょうか?

世界史に詳しいライター万嶋せらと一緒に解説していきます。

ライター/万嶋せら

会社員を経て、イギリスに渡り大学院の修士号を取得したライター。歴史が好きで関連書籍をよく読み、中でも近代以降の歴史と古典文学系が得意。今回の記事では、専門分野にも近い「南北問題」について解説する。

南北問題とは何か

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先進国は北半球に、発展途上国は南半球に多い

地球上には数多くの国や地域があり、それぞれ歴史や文化、言語などが違うだけでなく、発展の段階も異なっています。地球儀を見てみると、北半球にはアメリカや日本、ヨーロッパ諸国など、経済的に豊かと言われることの多い国々が集まっていることに気が付くかもしれません。一方で、赤道周辺などの低緯度地域や南半球には、アフリカや南アジア、中南米など、比較的貧しい国が多く見られますね。

このように、いわゆる「先進国」と「発展途上国」が大まかに北と南に分かれていることから、各国間の経済格差やそれに付随する様々な問題を差して「南北問題」と呼ぶことがあります。もちろん、世界を単純に二分割することができるわけではありません。しかし、「豊かな北と貧しい南」という構造が国際社会から注目を集めていた時代もあったのです。

「南北問題」という言葉は今ではあまり使われなくなっている

南北問題の概念はもともと、イギリスの元外交官オリヴァー・フランクス氏が1959年にアメリカで行った講演で触れたことがきっかけで広まったと言われています。当時の国際政治の舞台では、各国間の所得格差や低開発地域への開発支援などが大きな関心事の1つになっていました。

それから半世紀以上たった現在でも、地域間の経済格差はまだ解消しておらず、貧困などの問題も根強く残っています。しかし、今では「南北問題」という言葉は以前ほど頻繁には使われていません。それは、時代の流れと共に国際秩序や社会の在り方が変化し、開発に対する捉え方も変わってきたからです。

南北問題にはどのような背景があるのでしょう。そして、開発に関する国際社会の考え方は半世紀以上のときを経てどのように変化してきたのでしょうか。

南北問題の歴史的な背景とは

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歴史をさかのぼると見えてくる、国家間格差の理由

なぜ経済的に豊かな国と貧しい国があるのか、という問いに答えるのは簡単ではありません。その地域の気候や土地の条件、周囲の環境、歴史的な経緯など、様々な事情が複雑に絡み合っているからです。また、国際経済の中における構造的な問題もあります。国と国との間の経済格差というのは、根深い問題なのです。

「南北問題」という言葉が注目されるようになったのは、1960年代以降のことでした。しかしもちろん、貧困や所得格差などの問題が20世紀の後半になってから突如出現したわけではありません。国家間格差はどのような背景でいつから生じていたのか、数百年間さかのぼってみましょう。

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大航海時代に確立した国際分業体制

15世紀頃、大航海時代と呼ばれる新たな時代が到来しました。科学の進歩や航海技術の発展などを背景に、ヨーロッパの人々が海を越えてアフリカやアメリカ、アジアへと進出していったのです。新たな交易路が確立して人々の交流が盛んになり、大陸間での貿易が拡大するなど、世界にはグローバル化の流れがもたらされました。

その結果生じたのは、技術や知識が地球規模で伝播したり多様な商品が地球の多くの場所でより入手しやすくなったりしたというプラスの影響だけではありません。アフリカで暮らしていた黒人が奴隷として売買されるようになったり、ヨーロッパの強国がほかの地域の国々を征服して自国の一部にするようになったりと、負の側面も生まれたのです。

世界の経済体制に関して、この頃からある特徴が顕著になってきました。それぞれの国や地域の役割が固定化し、「国際分業体制」ができあがったのです。当時もっとも先進的で工業が発展していた西ヨーロッパなどの地域は、世界の「中核」に。一方で、アフリカやアジア、当時のアメリカなどは、ヨーロッパに対して商品や労働力を提供する役割が期待されるように。アメリカの社会学者ウォーラーステインが主張したこのような考え方は、世界システム論とも呼ばれます。

それぞれの国の役割は、時代とともに移り変わっていくこともありました。たとえば、アメリカがその後世界一の大国になったというのは周知の事実です。しかし、主要各国が世界各地で自国の植民地をつくるなど、国際社会に搾取する側・される側という構造ができあがっていったこともまた事実でした。

周縁国は発展を阻害された

植民地とされた国ではしばしば、宗主国で需要のある農産品を育成する巨大プランテーションがつくられることがあります。単一の作物を大規模に育てるのは効率的で、大規模化も行いやすいというメリットがあるからです。アジアやアフリカなどでは、宗主国に輸出するためにサトウキビや天然ゴム、カカオなどが商業的に育成されるようになりました。

こうした搾取された側の国々は、独立後も単一産業に依存するモノカルチャー経済から抜け出すことが難しくなってしまいます。技術力を向上させる機会に恵まれなかったために工業化が容易ではないうえに、プランテーションの導入の過程で、伝統的な農作物や農業技術など、その地域に適した産業は失われているからです。

モノカルチャー経済には、数多くのデメリットがあります。たとえば、気候や植物の病気などで不作になったときに、ほかの産業がなければその影響ははかりしれません。また、何らかの事情で国際価格が下がったときには、直接的な損失となってしまいます。「周縁」の旧植民地諸国が独立後もなかなか経済発展を遂げることができなかった背景には、このような背景があったのです。

南北問題が注目されるようになった背景にあるもの

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国家間の経済格差が突如生まれた問題ではないのであれば、なぜ20世紀の半ば以降、南北問題が注目を集めるようになったのでしょうか。その理由の1つにはもちろん、先進国の人々を中心とした人権や地球環境など社会を取り巻く問題への知識や関心の高まりが挙げられます。現代的な価値観が普遍のものとして認められるようになる過程の中で、発展途上国の貧困問題などに注目が集まるようになったのです。

しかし、それだけではありません。政治的な思惑もあったからです。

第二次世界大戦が幕を閉じて以降、世界は東と西に分かれて対立していました。東西冷戦です。「資本主義」か「共産主義」かというイデオロギーの違いで衝突したアメリカと旧ソ連は、できるだけ多くの国を自らの陣営に呼び寄せようとして外交戦略を繰り広げていました。二大国は自陣を増やそうとする攻防の中で、経済支援をいわば餌として利用していたのです。

それまでアジアやアフリカの国々の多くは、米欧中心の国際舞台であまり目立った存在ではありませんでした。しかし、地政学上の重要性から、多くの援助を受け取るようになった国もありました。東西冷戦でどちらかの側につくことが期待され、その見返りとして経済支援を受けたのです。冷戦を有利に進めようとする、大国の実利的な意識も働いていたのですね。

南南問題とは何か

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資源保有国が経済発展を進めたことで、南南問題が発生

南北問題は世界を豊かな国と貧しい国とに二分する概念ですが、当然、発展途上国の中にも様々な発展段階の国があります。特に南北問題で「南」とされた一部の発展途上国はその後、急激な経済成長を遂げるようになりました。すると今度は、それまでひとまとめにされてきた発展途上国間での経済格差も問題となってきたのです。これは、南南問題と呼ばれます。

南南問題のきっかけの1つは、資源ナショナリズムの高まりです。欧米の主要先進国や大企業は石油などの天然資源に高い価値を見出し、植民地支配をしていた地域などで資源の権益を専有していました。しかし1960年前後から、天然資源の保有国の間で、自国の資源を自国で管理しようとする機運が高まったのです。たとえば、アメリカやイギリス由来の国際石油資本から産油国の利益を守るため、イラン・イラク・クウェート・サウジアラビア・ベネズエラを現加盟国として、石油輸出国機構(OPEC)が設立されたのもこの時期でした。

先進国による自国資源の搾取にNOを突き付けた資源保有国は、徐々に自国の資源に対して正当な利益を得ることができるようになっていきました。その結果、「南」の国々の中ではいち早く、資源保有国が経済力を高めていったのです。

発展できた国とできなかった国の経済格差が顕著に

その後、1980年代頃からは、資源を持たない国々の中にも国際社会での存在感を増していった国がありました。人件費の安さなどを武器に工業化戦略を進め、豊かになったのです。中でも東南アジアや中米の国々は、次々に国を挙げた工業化を成功させていきました。特に急速な経済成長を遂げた韓国や台湾、シンガポール、ブラジル、メキシコなどは、新興工業経済地域(NIES)と呼ばれるようになります。

一方で、サハラ以南のアフリカや南アジア、島嶼国などの中には、そうした発展から取り残されたままの地域もありました。資源を持っていなかったり、国内情勢が不安定だったり、地理的な制約があったりして、経済発展の機会に恵まれなかったのです。こうした国々は後発開発途上国などと呼ばれることもあります。

こうして、発展途上国の中でも、経済成長を成功させた地域とそうでない地域の間で所得格差が目立つようになりました。特に発展の遅れた地域では、今でも貧困や低い就学率、インフラの未整備など、様々な問題が山積しています。

開発における現代のトレンドは?

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United Nations - http://www.un.org/sustainabledevelopment/news/communications-material/, パブリック・ドメイン, リンクによる

貧困問題が世界共通の課題として認識されるようになった

2000年、ニューヨークで国連ミレニアム・サミットが開催され、貧困やそれに伴う種々の問題について議論が行われました。その場で参加国によって採択されたのがMDGs(ミレニアム開発目標)です。これは低開発国の発展を目指すための国際社会共通の目標と位置付けられ、極度の貧困の削減や初等教育の普及、乳幼児の死亡率削減などの8つの分野について15年間かけて改善を目指すことが合意されました。

低開発や貧困が、一国の問題としてではなく世界全体として解決すべき課題として捉えられたのです。国際機関や各国政府などが達成に向けて取り組みを進めた結果、2015年の段階で、極度の貧困状態で暮らす人の数や乳幼児の死亡率は半減し、初等教育の就学率は90%を超えるなど、一定の成果が挙がりました。MDGsは、貧困問題について具体的な数字目標を掲げて期限を決めて解決を目指した初めての世界レベルの目標として、一定の評価を受けています。

経済成長至上主義から持続可能な開発へ

MDGsが期限を迎えた2015年、後継として国連で新たな開発目標が採択されました。SDGs(持続可能な開発目標)です。SDGsはMDGsの成功を基礎として新たに掲げられた国際目標ですが、単なるMDGsの延長というものではありません。発展途上国を主なターゲットとしていたMDGsと異なり、地球上に暮らすすべての人に焦点をあてているのがSDGsなのです。

南北問題が注目されいてた頃、解決すべき問題は「貧困」や「低所得」でした。今ではそこに、「気候変動」や「自然環境の保護」、「より良いビジネス環境の構築」など、先進国の人々にも深く関わりのある様々な社会課題が加わっています。SDGsは、そのような課題を17の分野に色分けし、それぞれに目標を定めているのです。

そこでは、ただ経済成長を目指して開発を進めるのではなく、持続可能な開発という概念が注目されています。経済と環境や社会との調和が大切だ、という考え方が主流になり、多くの国がそれに賛同しているのです。

国際社会は南北問題、そしてより広範囲な社会課題の解決の道を探っている!

地球の北側に集まる豊かな国々と南側に集まる貧しい国々との経済格差を指摘した「南北問題」が注目されたのは、第二次世界大戦後間もない20世紀の半ばのことです。当時は、アメリカやソ連を初めとした少数の大国が世界の中心的存在でした。

しかしその後世の中は大きく変わり、現在ではかつて発展途上国とされていた国々が国際社会での存在感を高めています。貧しかった一部の国が目覚ましい発展を遂げ、豊かになっているのです。一方で、貧困から抜け出せない国々もあり、世界の経済格差の問題はまだ解決からはほど遠い状態と言えるでしょう。

現在のグローバル化した世界では、貧困は途上国だけの問題ではありません。世界の経済システムの中で搾取される構造から抜け出せない国があり、また、貧困問題が紛争や環境問題など世界規模の課題にもつながっているからです。発展途上国の開発や各国の経済成長だけでなく、経済と社会や環境の持続可能性とを両立することも目指して、国際社会は協調の道を探っています。

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世界史歴史

3分で簡単「南北問題」南と北の格差について世界史通がわかりやすく解説

南北問題って、聞いたことはあるか?実は南北問題と呼ばれる問題はいくつかありますが、今回見ていくのは地球の南側と北側との間に広がっている問題です。どんな問題なんでしょうか?

世界史に詳しいライター万嶋せらと一緒に解説していきます。

ライター/万嶋せら

会社員を経て、イギリスに渡り大学院の修士号を取得したライター。歴史が好きで関連書籍をよく読み、中でも近代以降の歴史と古典文学系が得意。今回の記事では、専門分野にも近い「南北問題」について解説する。

南北問題とは何か

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先進国は北半球に、発展途上国は南半球に多い

地球上には数多くの国や地域があり、それぞれ歴史や文化、言語などが違うだけでなく、発展の段階も異なっています。地球儀を見てみると、北半球にはアメリカや日本、ヨーロッパ諸国など、経済的に豊かと言われることの多い国々が集まっていることに気が付くかもしれません。一方で、赤道周辺などの低緯度地域や南半球には、アフリカや南アジア、中南米など、比較的貧しい国が多く見られますね。

このように、いわゆる「先進国」と「発展途上国」が大まかに北と南に分かれていることから、各国間の経済格差やそれに付随する様々な問題を差して「南北問題」と呼ぶことがあります。もちろん、世界を単純に二分割することができるわけではありません。しかし、「豊かな北と貧しい南」という構造が国際社会から注目を集めていた時代もあったのです。

「南北問題」という言葉は今ではあまり使われなくなっている

南北問題の概念はもともと、イギリスの元外交官オリヴァー・フランクス氏が1959年にアメリカで行った講演で触れたことがきっかけで広まったと言われています。当時の国際政治の舞台では、各国間の所得格差や低開発地域への開発支援などが大きな関心事の1つになっていました。

それから半世紀以上たった現在でも、地域間の経済格差はまだ解消しておらず、貧困などの問題も根強く残っています。しかし、今では「南北問題」という言葉は以前ほど頻繁には使われていません。それは、時代の流れと共に国際秩序や社会の在り方が変化し、開発に対する捉え方も変わってきたからです。

南北問題にはどのような背景があるのでしょう。そして、開発に関する国際社会の考え方は半世紀以上のときを経てどのように変化してきたのでしょうか。

南北問題の歴史的な背景とは

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歴史をさかのぼると見えてくる、国家間格差の理由

なぜ経済的に豊かな国と貧しい国があるのか、という問いに答えるのは簡単ではありません。その地域の気候や土地の条件、周囲の環境、歴史的な経緯など、様々な事情が複雑に絡み合っているからです。また、国際経済の中における構造的な問題もあります。国と国との間の経済格差というのは、根深い問題なのです。

「南北問題」という言葉が注目されるようになったのは、1960年代以降のことでした。しかしもちろん、貧困や所得格差などの問題が20世紀の後半になってから突如出現したわけではありません。国家間格差はどのような背景でいつから生じていたのか、数百年間さかのぼってみましょう。

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