「アメリカン・ドリーム」とはアメリカを建国に導いた成功の理念。民主主義精神に基づいて、だれでも階級を越えて平等に成功する機会があると考えた。フロンティア開拓をすすめ植民地の独立を勝ち取れたのも、多様な人々の底流に「アメリカン・ドリーム」の理念があったからでしょう。

この理念は建国後も格差を乗り越える原動力となり多数の成功者を生み出した。そこで「アメリカン・ドリーム」の成功者や関連するものを、世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。

ライター/ひこすけ

文化系の授業を担当していた元大学教員。専門はアメリカ史・文化史。世界史をたどるとき「アメリカン・ドリーム」を避けて通ることはでいない。幸福の追求と建国を結び付けた歴史的な言葉でもある。とはいえ、アメリカの成功者をイメージさせる一方、先住民のようにそれにより排除された人々を想像させるなど、その意味は少し複雑。そこで時代や文化の背景など関連することを調べてみた。

「アメリカン・ドリーム」の起源は18世紀にさかのぼる

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By Robert Walter Weir - PwHe6-AEvwmbIw at Google Cultural Institute maximum zoom level, Public Domain, Link

アメリカン・ドリームという考え方の起源は、イギリスの清教徒たちが新天地を目指して海を渡り、アメリカ大陸に上陸した18世紀にさかのぼります。清教徒たちにとって新天地はユートピア。ゼロから新しい生活を築くことは、アメリカン・ドリームに他なりませんでした。

自身の出生に関わらず成功のチャンスがある

その出発点はピルグリムファーザーズのアメリカ上陸にありますが、その後はさまざまなルーツを持った移民の成功の夢として共有されていきます。ヨーロッパ諸国では経済的に恵まれない人々が多数いました。そんな彼らや彼女らは、母国に見切りをつけてアメリカに向かいます。

新大陸は等しく成功のチャンスがあるユートピアとして信じられていました。そこで状況を打破するために、家族全員あるいは親戚も一緒にアメリカに向かうケースも。アメリカン・ドリームを達成するために土地を取得し、農園をつくったり事業を立ち上げたりしました。

独立宣言書に書かれた「権利」に由来

1776年に採択されたアメリカ独立宣言にて主張されたのが「生命、自由、幸福を追求する権利」。幸福を追求した結果がアメリカの独立、アメリカという国のはじまりであるという意味が込められました。夢を追いかけることをは個人にとどまらない国家的なプロジェクトとして位置づけられたと言えるでしょう。

アメリカン・ドリームの由来となる文章があらわれるのは「基本的人権と革命権に関する全文」のなか。「全ての人間は平等に造られている」としたうえで、植民地は「生命、自由、幸福を追求する権利」があると主張しました。これによりアメリカの独立革命が理論的に正当化されました。

西部開拓運動が「アメリカン・ドリーム」を大衆化

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By - G.F. Nesbitt & Co., printer - http://content.cdlib.org/ark:/13030/tf1r29p10v/?layout=metadata, Public Domain, Link

アメリカン・ドリームという発想が分かりやすく発信され、アメリカ人の生き方として大衆化したのは、19世紀の西部開拓運動の時代です。アメリカの「未開」の土地を開拓を推進するため、それをアメリカン・ドリームと結びつけて人々を奮い立たせました。

未開の地を切り開くことを鼓舞

白人社会にとって自分たちが開拓していない土地は「未開」。そのエリアは「野蛮」な先住民がたむろする無法地帯という位置付けでした。そこでアメリカ政府は土地を開拓して人々を定住させることで、アメリカの広大な土地を管理しようとしたのです。

とはいえ開拓されていないエリアに行くだけでも命がけ。目的地に到着する前に、飢えや枯渇そして先住民との争いにより、多くの開拓者が命を落とします。そのような苦難を乗り越えた先には大きな経済的成功すなわちアメリカン・ドリームがあるとされました。

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「アメリカン・ドリーム」の犠牲となったのが先住民

アメリカン・ドリームは、広大な土地の開拓を鼓舞するために発信されたアメリカ人の生き方。もともとアメリカ大陸に住んでいた先住民のことは配慮されていません。アメリカン・ドリームの達成は、先住民を住み慣れた土地から排除することを意味しました。

白人社会と接触することで、命を落とす、経済的に困窮する、土地を奪われるなど、先住民は多くの犠牲を強いられます。アメリカン・ドリームは、出生にかかわらず平等に成功の機会があると謳われましたが、白人社会を中心とする一方的なものだと考えたほうがいいでしょう。

「アメリカン・ドリーム」のキーワードは努力と勤勉

image by PIXTA / 55108201

アメリカン・ドリームとは危険を顧みず土地を切り開くなど力仕事のイメージがありますが、根本にある精神はまじめなもの。それを達成するために持ち続ける姿勢として、努力と勤勉が強調されました。このふたつは理想的なアメリカ人の姿として長く継承されていきます。

ベンジャミン・フランクリンの生き方がモデルとなる

努力と勤勉を象徴するアメリカ人として位置づけられたのがベンジャミン・フランクリンです。ベンジャミンが学校教育を受けたのは10歳まで。家計を助けるために印刷工として働きました。ベンジャミンは探究心を忘れず、日々の生活や仕事を通じて多くのことを発見。発明家としての道を切り開きます。

努力と勤勉を怠らなかったベンジャミンは印刷事業で成功。地元の名士として地位と信頼を獲得していきます。植民地の取りまとめ役のひとりとして活躍し、アメリカの独立宣言の起草者のひとりとなりました。

ベンジャミンの「アメリカン・ドリーム」を表現する名言

ベンジャミンのアメリカン・ドリームに関係する名言のひとつが「貧乏を恥ずかしがるな」。アメリカン・ドリームは、貧しい者でも成功する可能性があるからこそ、多くの人に受け入れられました。「幸福は自分の力で掴め」という名言は、貧しさや境遇を言い訳にするなというもの。努力を重ねていけばアメリカン・ドリームをつかめるというメッセージです。

アメリカ独立宣言関連では、憲法が与えてくれるのは幸福を追求する権利だけというもの。つまり幸福は自分の力でつかむものだということです。独立宣言により幸福を追求する権利が平等に与えられたものの、それをつかめるかどうかは自分次第。ややシビアなメッセージです。

「アメリカン・ドリーム」のシンボルとなったリンカーン大統領

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By Francis Bicknell Carpenter - U.S. Senate: Art & History Home > First Reading of the Emancipation Proclamation by President Lincoln, Public Domain, Link

ベンジャミン・フランクリンと並んでアメリカン・ドリームの体現者となったのがエイブラハム・リンカーン。無教養の開拓民の息子として生まれたこともあり、彼が殺害されてから長らくのあいだ、アメリカン・ドリーマーとして神話化されてきました。

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開拓農民の息子からアメリカ大統領に

リンカーンの両親はは開拓民として広大な土地を取得することに成功。地元の名士として信頼を獲得していきます。しかしリンカーンが生まれた頃には、土地の権利証が偽物だったことが発覚。一気に生活は困窮しました。

そのようなときリンカーンはケンタッキー州の農園のなかにある丸太小屋のなかで生まれたと言われています。真意は定かではありませんが、貧しい状況から努力と勤勉により大統領となった彼のアメリカン・ドリームの逸話のひとつとして長らく語り継がれてきました。

努力と勤勉を体現したリンカーン大統領

リンカーンの一家は厳格な道徳規範を持っていました。そのため、飲酒やダンスは風紀を乱すもの、奴隷制度についても反対する立場。しかし、貧しく不安定な生活を脱出することはできず、リンカーンはより良い生活を求めて自立の道を選びます。

リンカーンは船に乗って荷物を運搬する、住み込みの仕事をするなど、地道に働きながら読書に励むことに。地に足のついた生活を望んだリンカーンは、郵便局長や郡の測量技師としての経験を積み、基礎教育をほとんど受けていないものの、勉学に励んで弁護士として働くまでになりました。

アメリカ文学に登場する「アメリカン・ドリーム」

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アメリカン・ドリームは実在する人物だけではなく小説のなかでも表現されてきました。純粋な立身出世の物語であったり、アメリカン・ドリームの先にある儚さを表現したりと、その意味づけはさまざまでした。

ホレイショ・アルジャーの『ぼろ着のディック』

アメリカ文学の古典的な立身出世の物語の代表格であるのが19世紀末に流行したホレイショ・アルジャーの『ぼろ着のディック』。ホームレスの靴磨き出会ったディックが、貧しくとも正直に生きることで信頼を獲得。安定した収入を得て自立した生活を獲得するまでの話です。

ホレイショ・アルジャーは『ぼろ着のディック』を通じて、誠実さと勤勉さを忘れずに生きていれば必ず誰かが評価してくれることを伝えました。ディックの物語は、都市部に貧困層が集まり経済格差が浮かび上がってきたアメリカの夢物語として広く受け入れられます。

F・スコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』

F・スコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』は、アメリカン・ドリームを手にした男の輝かしい姿と、その先にある儚さを描いた小説。アメリカの異常なまでの好景気とそれに翻弄される人々の姿も描き出されました。この小説は1920年代のアメリカでベストセラーとなります。

フィッツジェラルド自身も華やかな社交界のなかできらびやかな生活を享受。だからこそ、膨大な富、贅沢な食事、巨大な宮殿を手に入れても、本当に欲しいものは手に入らないことを、富豪の青年の死を通じて言い表したのです。

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「アメリカン・ドリーム」に対する反動もあらわれる

Occupy Wall Street Crowd 2011 Shankbone.JPG
David Shankbone - 投稿者自身による作品, CC 表示 3.0, リンクによる

アメリカン・ドリームは長きに渡ってアメリカ国民そして海外の移住希望者を魅了し続けてきました。しかしながら、アメリカは平等の国であることをうたいながら、現実には多くの不平等があります。そこで、アメリカン・ドリームに対する不満や反動もわきおこりました。

2011年に起こった「ウォール街を占領せよ」キャンペーン

2011年にニューヨーク市マンハッタン区で起こったのが「ウォール街を占領せよ」キャンペーン。リーマン・ショック以降、アメリカは不景気に悩まされ学生たちは就職に苦戦。それを解決できない経済界や政界に対する不満からこの運動が発生しました。

日本語の通称は「ウォール街を占領せよ」ですが、英語ではWe are the 99%。アメリカン・ドリームをつかんでいるのは1%のみで、残りの99%は苦境に立たされていることが発信されました。具体的には富裕層が受けている税金の優遇措置に対する批判でもありました。

中国は「チャイニーズ・ドリーム」を打ち出す

成功をつかむならアメリカという考え方が世界的に共有されてきましたが、それに対抗したのが中国。近年の急速な経済成長をうけて1912年にチャイニーズ・ドリーム構想を打ち出します。シルクロードを通じた国土の拡大や近年の科学技術の発展などを根拠に壮大な成功物語を提案しました。

韓国大統領はチャイニーズ・ドリーム構想を支持するものの、中国を意図的に大国化する物語に韓国メディアが反発。韓国政府が窮地に立たされることになりました。国家レベルで夢を追いかけるロジック自体、今の時代に合わなくなっているとも言えます。

アメリカン・ドリームはどうして今でも継承されるのか

アメリカン・ドリームは、もともとピルグリムファーザーズの歴史にさかのぼる歴史的な生き方。ベンチャー企業の立ち上げやメジャーリーグへの挑戦など今でもその精神は引き継がれています。とはいえ本当に等しく成功のチャンスがあるのかは、アメリカに今でも残る格差や差別の現状を見ると、疑問が残ることは確か。現実にある不平等を覆い隠してきたのもまたアメリカン・ドリームという生き方だったとも言えるでしょう。アメリカン・ドリームはどうして今でも継承されるのか、負の側面も含めて考えることが大切です。

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アメリカの歴史世界史植民地時代歴史

5分で分かる「アメリカン・ドリーム」とは何か?その体現者の生きざまを元大学教員がわかりやすく解説

「アメリカン・ドリーム」に対する反動もあらわれる

Occupy Wall Street Crowd 2011 Shankbone.JPG
David Shankbone投稿者自身による作品, CC 表示 3.0, リンクによる

アメリカン・ドリームは長きに渡ってアメリカ国民そして海外の移住希望者を魅了し続けてきました。しかしながら、アメリカは平等の国であることをうたいながら、現実には多くの不平等があります。そこで、アメリカン・ドリームに対する不満や反動もわきおこりました。

2011年に起こった「ウォール街を占領せよ」キャンペーン

2011年にニューヨーク市マンハッタン区で起こったのが「ウォール街を占領せよ」キャンペーン。リーマン・ショック以降、アメリカは不景気に悩まされ学生たちは就職に苦戦。それを解決できない経済界や政界に対する不満からこの運動が発生しました。

日本語の通称は「ウォール街を占領せよ」ですが、英語ではWe are the 99%。アメリカン・ドリームをつかんでいるのは1%のみで、残りの99%は苦境に立たされていることが発信されました。具体的には富裕層が受けている税金の優遇措置に対する批判でもありました。

中国は「チャイニーズ・ドリーム」を打ち出す

成功をつかむならアメリカという考え方が世界的に共有されてきましたが、それに対抗したのが中国。近年の急速な経済成長をうけて1912年にチャイニーズ・ドリーム構想を打ち出します。シルクロードを通じた国土の拡大や近年の科学技術の発展などを根拠に壮大な成功物語を提案しました。

韓国大統領はチャイニーズ・ドリーム構想を支持するものの、中国を意図的に大国化する物語に韓国メディアが反発。韓国政府が窮地に立たされることになりました。国家レベルで夢を追いかけるロジック自体、今の時代に合わなくなっているとも言えます。

アメリカン・ドリームはどうして今でも継承されるのか

アメリカン・ドリームは、もともとピルグリムファーザーズの歴史にさかのぼる歴史的な生き方。ベンチャー企業の立ち上げやメジャーリーグへの挑戦など今でもその精神は引き継がれています。とはいえ本当に等しく成功のチャンスがあるのかは、アメリカに今でも残る格差や差別の現状を見ると、疑問が残ることは確か。現実にある不平等を覆い隠してきたのもまたアメリカン・ドリームという生き方だったとも言えるでしょう。アメリカン・ドリームはどうして今でも継承されるのか、負の側面も含めて考えることが大切です。

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