現在では地球が太陽の周りを回っているのは当たり前の常識です。しかしこのことが常識となったのはここ350年くらいの出来事である。大昔から人々は地球や宇宙の姿を色々と想像してきた。

太陽を中心に天体が回っているという「地動説」が最初に唱えられたとされているのは紀元前330年くらいのことです。しかしその時地動説は受け入れられず、その後体系化された「天動説」が主流となった。天動説では地球を中心に天体がその周りを回っている。

今回は天動説とその歴史についてを学んでいく。解説は科学館職員のたかはしふみかです。

ライター/たかはし ふみか

オススメなテスト勉強法はわからない用語の意味をしっかりまとめるという、疑問があれば即実験の科学大好き人間。星空を眺めることが好きな国立大学出身の科学館職員。

天動説とは?

天動説とは?

image by Study-Z編集部

そもそも天動説とはどんな説なのでしょうか?コトバンクによると天動説とは「地球が宇宙の中央に位置して静止し、太陽、月などが地球のまわりを回るという説」とされています。今の常識とは真逆の考え方ですね。

地球は毎日自転し、太陽の周りを回って(公転して)いますね。そのおかげで毎日朝と夜がやってきて、季節が移り替わるのです。地球が動くと考える説を地動説と言います。一方、天動説はその意の通り天(空)が動くという説です。地球から太陽や星が動いて見えるのは空が動いているためと昔は考えられていました。

天動説では地球を中心に宇宙ができていることから、地球中心説と呼ばれることもあります。

天動説の歴史と科学者達

それでは天動説の歴史を見ていきましょう。

紀元前の宇宙観

天動説につながる地球が中心とした宇宙が考えられるようになったのが紀元前4世紀のこと。古代ギリシアのエウドクソス(紀元前4世紀頃のギリシアの天文学者)は地球が宇宙の中心であり、その周りを他の天体が回っていると考えたのです。

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その後、有名なプラトンの弟子であるアリストテレス(紀元前384年~322年、ギリシアの哲学者)は天体は地球のまわりを完全な円を描くように動いていると主張しました。さらにアリストテレスは地球は動かないと考えたのです。実際に地球に住む人の感覚では地球が回っているというよりも地球の周りを太陽や他の天体が回っているように見えていますね。偉大な学者であるアリストテレスのこの考えは徐々に広まっていき、多くの人々から信じられるようになったのです。

一方、紀元前3世紀のギリシア人、アリスタルコス(紀元前310年~紀元前230年頃、ギリシアの天文学者)は宇宙の中心が太陽という地動説を考え出します。しかし、こちらはあまり浸透せず、約1700年後にコペルニクスが登場するまで日の目を見ることはほとんどありませんでした。

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天動説の体系化「プトレマイオスの天動説」

Cellarius ptolemaic system.jpg
Jan van Loon - http://nla.gov.au/nla.map-nk10241, パブリック・ドメイン, リンクによる

古代ローマの学者、クラウディオス・プトレマイオス(83年~168年)は「アルマゲスト」という著書を残しました。この著書には地球が宇宙の中心であり、その周りを太陽や他の惑星が回っているということが書かれていたのです。このアルマゲストが執筆されたのが研究によって150年から168年の間とされています。

アルマゲストは13冊にもわたる天文学や幾何学の専門書である書物です。この本には天動説や日食、月食についても記されています。

「アルマゲスト」によると地球は

「宇宙の中心は球形をした地球であり動かずその周りを他の天体が回っている」

とされています。

Ptolemaicsystem-small.png
Fastfission - From Edward Grant, "Celestial Orbs in the Latin Middle Ages", Isis, Vol. 78, No. 2. (Jun., 1987), pp. 152-173. See also: F. A. C. Mantello and A. G. Rigg, "Medieval Latin: An Introduction and Bibliographical Guide", The Catholic University of America Press, p. 365 (on-line text here)., パブリック・ドメイン, リンクによる

このアルマゲストによると宇宙の惑星は地球を中心に

月、水星、金星、太陽、火星、木星、土星

の順で並ぶとされています。

実際には太陽を中心に

水星、金星、地球(月)、火星、木星、土星…

と並んでいますね。

太陽系の惑星についてはこちらの記事もどうぞ。

天動説から地動説へ

href="https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Jan_Matejko-Astronomer_Copernicus-Conversation_with_God.jpg#/media/ファイル:Jan_Matejko-Astronomer_Copernicus-Conversation_with_God.jpg">Jan Matejko-Astronomer Copernicus-Conversation with God.jpg
ヤン・マテイコ - www.pinakoteka.zascianek.pl, パブリック・ドメイン, リンクによる

先程もちらっと解説しましたが、実は意外と歴史の古い地動説。

地動説の元となる考えが生まれたのは紀元前310から230年頃のことです。古代ギリシアの天文学者アリスタルコスが太陽が宇宙の中心であると唱えました。しかしこの考えは民衆に広まりませんでした。この理由として偉大な学者であるアリストテレスが支持した天動説を否定できなかった、大地が動くという説は神の偉大さを否定するためキリスト教から受け入れられなかったことなどがあります。

そしてやっと地動説が日の目を見たのは生まれてから1700年ほど後のことです。地動説を広めるきっかけとなった人物がニコラス・コペルニクス(1473年2月19日~1543年5月24日)、ポーランド出身のカトリックの司祭でした。コペルニクスは1500年頃に出版した「コメンタリオス」で太陽中心説(地動説)を主張し、さらに亡くなる直前に「天体の回転について」で地動説をより発展させています。

コペルニクスの生涯についてはこちらの記事を参考にしてください。

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ジョゼフ=ニコラ・ローベル=フルーリー - https://web.archive.org/web/20050424195324/http://library.thinkquest.org/C005358/images/galilei_image01.jpeg, パブリック・ドメイン, リンクによる

その後、イタリアの物理学者・天文学者のガリレオ・ガリレイ(1584年2月15日~1642年1月8日)がコペルニクスの説を支持します。しかし、この地動説をめぐってローマ教皇庁と対立し裁判にかけられ、軟禁されていまったのです。ガリレオと言えば「それでも地球は回っている」という言葉で知られていますね。これは裁判で地動説を主張してはいけないという判決を受けた後の言葉だそうです。

Newton-WilliamBlake.jpg
ウィリアム・ブレイク - The William Blake Archive, パブリック・ドメイン, リンクによる

こうして久々に人々の前に現れたものの受け入れられることのなかった地動説。アイザック・ニュートン(1642年12月25日~1727年3月20日)の万有引力の発見からやっと地球が動いていることがはっきりとしたのです。なお、それまでの地動説は太陽が宇宙の中心という考え方でしたが、ニュートンがそれを太陽が他の天体に比べてずっと質量があるためだということを発見しました。

万有引力についてはこちらの記事がおすすめです。

常識は変わる!天動説から地動説へ

紀元前に元となる考え方が生み出されていた「地動説」。しかし地動説が受け入れられず、長い間天動説が支持されてきました。その背景には観測技術がなかったことだけでなく、当時の宗教観も大きくかかわっています。しかし、多くのコペルニクスをはじめとした科学者の計算や実験によって地動説が認められたのです。

常識が正反対となる「コペルニクス回転」。コペルニクスが地動説を広めガリレオが地動説をめぐって宗教裁判を受けた当時、地動説はきっとバカげた考えだったのでしょう。しかし、地動説の元となる考えはずっと昔からあったのです。今の常識が突如変わる可能性はこれからもあります。だからこそ、研究や勉強は面白いのですね。

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地学地球理科

3分で簡単「天動説」とはどんな説?科学館職員がわかりやすく解説

天動説の体系化「プトレマイオスの天動説」

Cellarius ptolemaic system.jpg
Jan van Loonhttp://nla.gov.au/nla.map-nk10241, パブリック・ドメイン, リンクによる

古代ローマの学者、クラウディオス・プトレマイオス(83年~168年)は「アルマゲスト」という著書を残しました。この著書には地球が宇宙の中心であり、その周りを太陽や他の惑星が回っているということが書かれていたのです。このアルマゲストが執筆されたのが研究によって150年から168年の間とされています。

アルマゲストは13冊にもわたる天文学や幾何学の専門書である書物です。この本には天動説や日食、月食についても記されています。

「アルマゲスト」によると地球は

「宇宙の中心は球形をした地球であり動かずその周りを他の天体が回っている」

とされています。

Ptolemaicsystem-small.png
Fastfission – From Edward Grant, “Celestial Orbs in the Latin Middle Ages”, Isis, Vol. 78, No. 2. (Jun., 1987), pp. 152-173. See also: F. A. C. Mantello and A. G. Rigg, “Medieval Latin: An Introduction and Bibliographical Guide”, The Catholic University of America Press, p. 365 (on-line text here)., パブリック・ドメイン, リンクによる

このアルマゲストによると宇宙の惑星は地球を中心に

月、水星、金星、太陽、火星、木星、土星

の順で並ぶとされています。

実際には太陽を中心に

水星、金星、地球(月)、火星、木星、土星…

と並んでいますね。

太陽系の惑星についてはこちらの記事もどうぞ。

天動説から地動説へ

href=”https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Jan_Matejko-Astronomer_Copernicus-Conversation_with_God.jpg#/media/ファイル:Jan_Matejko-Astronomer_Copernicus-Conversation_with_God.jpg”>Jan Matejko-Astronomer Copernicus-Conversation with God.jpg
ヤン・マテイコwww.pinakoteka.zascianek.pl, パブリック・ドメイン, リンクによる

先程もちらっと解説しましたが、実は意外と歴史の古い地動説。

地動説の元となる考えが生まれたのは紀元前310から230年頃のことです。古代ギリシアの天文学者アリスタルコスが太陽が宇宙の中心であると唱えました。しかしこの考えは民衆に広まりませんでした。この理由として偉大な学者であるアリストテレスが支持した天動説を否定できなかった、大地が動くという説は神の偉大さを否定するためキリスト教から受け入れられなかったことなどがあります。

そしてやっと地動説が日の目を見たのは生まれてから1700年ほど後のことです。地動説を広めるきっかけとなった人物がニコラス・コペルニクス(1473年2月19日~1543年5月24日)、ポーランド出身のカトリックの司祭でした。コペルニクスは1500年頃に出版した「コメンタリオス」で太陽中心説(地動説)を主張し、さらに亡くなる直前に「天体の回転について」で地動説をより発展させています。

コペルニクスの生涯についてはこちらの記事を参考にしてください。

その後、イタリアの物理学者・天文学者のガリレオ・ガリレイ(1584年2月15日~1642年1月8日)がコペルニクスの説を支持します。しかし、この地動説をめぐってローマ教皇庁と対立し裁判にかけられ、軟禁されていまったのです。ガリレオと言えば「それでも地球は回っている」という言葉で知られていますね。これは裁判で地動説を主張してはいけないという判決を受けた後の言葉だそうです。

Newton-WilliamBlake.jpg
ウィリアム・ブレイクThe William Blake Archive, パブリック・ドメイン, リンクによる

こうして久々に人々の前に現れたものの受け入れられることのなかった地動説。アイザック・ニュートン(1642年12月25日~1727年3月20日)の万有引力の発見からやっと地球が動いていることがはっきりとしたのです。なお、それまでの地動説は太陽が宇宙の中心という考え方でしたが、ニュートンがそれを太陽が他の天体に比べてずっと質量があるためだということを発見しました。

万有引力についてはこちらの記事がおすすめです。

常識は変わる!天動説から地動説へ

紀元前に元となる考え方が生み出されていた「地動説」。しかし地動説が受け入れられず、長い間天動説が支持されてきました。その背景には観測技術がなかったことだけでなく、当時の宗教観も大きくかかわっています。しかし、多くのコペルニクスをはじめとした科学者の計算や実験によって地動説が認められたのです。

常識が正反対となる「コペルニクス回転」。コペルニクスが地動説を広めガリレオが地動説をめぐって宗教裁判を受けた当時、地動説はきっとバカげた考えだったのでしょう。しかし、地動説の元となる考えはずっと昔からあったのです。今の常識が突如変わる可能性はこれからもあります。だからこそ、研究や勉強は面白いのですね。

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