国語言葉の意味

【四字熟語】「公武合体」の意味や使い方は?例文や類語をWebライターがわかりやすく解説!

江戸時代の末期

関ヶ原の戦いを制した徳川家康が江戸幕府を開いて以来、300年ほど江戸幕府の時代は続きました。しかし、世襲制での代替わりがあまりに長期にわたって続いたため、家柄や人間関係の複雑なしがらみを生みました。また、外国との交流を遮断する鎖国を行っている間に欧米列強諸国の状況が変化し、ペリー提督率いる黒船が来襲するなど日本に対して開国が迫られる事態となりました。

このとき、大老の任に就いていた井伊直弼が、朝廷の許可を得ずに外国との条約を締結してしまいます。この決断に不満を抱いた武士18名らにより、井伊直弼は暗殺されてしまいました。この事件は、桜田門外の変と呼ばれています。

公武合体と尊王攘夷

天皇の意思を聞かずに開国したことに立腹した武士たちの間で、尊王攘夷運動がおこりました。この運動は大きなうねりとなり、幕府を悩ませることになります。

一方、幕府は天皇との関係を修復し、天皇を巻き込んで権力の回復を目指します。これが公武合体論です。この公武合体の象徴として、当時の孝明天皇の妹である和宮と、将軍である徳川家茂とを結婚させます。しかし、明らかな政略結婚であることがかえって尊王攘夷派を刺激してしまいました。

その結果、各地で尊王攘夷派による乱が起こります。最初は散発的で、幕府により鎮圧できていたものの、時代の流れは明治維新へと大きく動いていったのです。

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公武合体と尊王攘夷は、近代日本の成立に欠かせない言葉だ。国語という教科にとらわれず、歴史の流れも含めて知っておくといいぞ。

「公武合体」を使いこなそう

今回の記事では、公武合体について意味や由来、使い方を説明しました。公武合体は幕末の日本史におけるキーワードで、いわば専門用語です。そのため、日常会話での使用シーンはほとんどありません。しかし、幕末を描いた歴史小説などの作品は多く、専門用語でありながら目にする機会は多い熟語といえるでしょう。もちろん、小説作品だけでなく日本史を学ぶ上でも知っておかなければならない言葉です。対立する思想である尊王攘夷とセットで覚えておくと、より理解が深まるでしょう。

特に、公武合体や尊王攘夷が取りざたされた幕末期には多くの人物や言葉が登場します。今回紹介した公武合体だけでなく、幕末の日本に関わる言葉についてひとつずつ丁寧に意味を理解しておくことが大切です。

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