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【四字熟語】「公武合体」の意味や使い方は?例文や類語をWebライターがわかりやすく解説!

「公武合体」の類義語は?違いは?

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公武合体は、先に述べた通り天皇家と将軍家を合わせて政権強化を狙った運動のことです。専門用語なので類義語は少ないのですが、同じ意味で違う表現がされている言葉はあります。

「公武一和」

公武一和は「こうぶいちわ」と読みます。公武は公武合体と同じく「公家」と「将軍」の意味です。一和は、「ひとつにあわさる」という意味があります。よく混ぜる、均等に混ぜるという意味で「和える」という言葉がありますが、これに近いニュアンスです。公家と将軍をひとつに合わせる、という意味で、公武合体とまったく同じ意味になります。

「公武合体」の対義語は?

専門用語である公武合体には、日本語としての対義語はありません。しかし、対立する思想を示す言葉があり、それを対義語とみなすことができます。

「尊王攘夷」

尊王攘夷は「そんのうじょうい」と読みます。「尊王」も「攘夷」も、それぞれ別の政治思想を示す言葉です。

尊王の「王」とは、国のトップ、つまり天皇を指します。天皇を差し置いて政治の実権を握る幕府に対して、天皇を尊び、天皇中心の国づくりをするべきだ、という考え方が尊王思想です。

攘夷はもともと中国の春秋時代に生まれた言葉が日本に伝来したものとされています。武力行使によって外敵・外国を排除しようという思想で、通商に反対して国内の外国人を追放し、鎖国を維持しようする考え方でした。

君主を尊ぶ、という点と、外国から日本を守る、という点で尊王と攘夷は共通点が多く、両方が合体して尊王攘夷と呼ばれるようになりました。

「尊王攘夷」と「公武合体」

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幕末から明治にかけての日本史において、避けることのできないキーワードが「尊王攘夷」と「公武合体」です。ここでは、尊王攘夷と公武合体にまつわる日本史について確認していきましょう。

江戸幕府と朝廷

日本史の大きな部分を占めるのが、いわゆる江戸時代です。江戸時代の日本の政治の中心が江戸幕府でした。一方、江戸時代よりもはるかに以前から、日本には天皇家が存在していました。

かつては天皇家が政治の実権を握り、天皇を中心とする朝廷が政治を動かしていました。ところが、度重なる内乱を経て、承久3年に起こった「承久の乱」で、朝廷が幕府軍に敗れてしまいます。この敗戦で朝廷の権力は大きく削がれ、将軍を中心とする幕府がいよいよ実権を握るようになります

ところが、天皇は権威の象徴として残存し続け、いくつかの役割を担いました。その数少ない役割のひとつが、征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)の任命でした。この征夷大将軍が、幕府の最高権力者である将軍なのです。つまり、幕府は明らかに朝廷を超える権力と軍事力をもちながら、朝廷の任命なしには成立しない状態でした。

こうして、権威の天皇、実権の幕府という、奇妙なパワーバランスが生まれました。このバランスのもとで、江戸幕府も長期政権を維持したのです。

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