この記事では「公武合体」について解説する。

端的に言えば公武合体の意味は「幕府と朝廷の結びつける政策」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

元塾講師で、解説のわかりやすさに定評のあるgekcoを呼んです。一緒に「公武合体」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/gekco

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「公武合体」の意味や語源・使い方まとめ

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公武合体は「こうぶがったい」と読みます。それでは、さっそく「公武合体」の意味や由来、使い方についてみていきましょう。

「公武合体」の意味は?

公武合体には、次のような意味があります。

幕末期、朝廷の伝統的権威と結び付き、幕藩体制の再編強化を図ろうとした政治論、およびその運動。

出典:大辞林 第三版(三省堂)「公武合体」

日本史上の用語の1つで、社会科の教科書や新書などで目にする機会の多い熟語です。

「公武合体」の由来は?

意味のところでも述べた通り、公武合体は歴史上の政治論や運動の名称です。公家、つまり朝廷や天皇家を意味します。武将、つまり将軍家で、はっきりいえば江戸幕府のことです。元来、朝廷と幕府は担う役割が異なる別々の存在でしたが、幕府の弱体化に伴って、朝廷と幕府を統合し政権の力を取り戻そうとしました。公家と武将を合体させるので、公武合体と呼ばれたのです。

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「公武合体」の使い方・例文

公武合体は日常的な場面で使用する熟語ではなく、歴史上の物事を指す専門用語です。それでは、公武合体を用いた例文をみていきましょう。

・江戸幕府は公武合体により体制の立て直しを図ったが、失敗に終わった。

・幕末の歴史を理解するうえで、公武合体は重要なポイントである。

公武合体の動きは、かえって尊王攘夷派を活発にさせた。

このように、歴史上の出来事を記述する際にのみ使用される言葉です。ただし、幕末を題材にした歴史小説は多く、そういった作品でも登場する言葉なので、専門用語である割には目にする機会の多い言葉だと思います。

歴史上の用語としての用法以外に公武合体を用いるのは誤りなので、気を付けましょう。

・家庭内で発言力を高めるべく、祖母と結託して公武合体を狙った。

・廃部寸前のラグビー部の存続をかけ、公武合体を意図して校長に直談判した。

これらの例文は、いずれも日本史に関わるものではなく、家庭やクラブ活動など日常生活に関わる内容です。こういった内容に公武合体という言葉を使うのは間違いなので、違う言葉を選ぶようにしましょう。

 

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「公武合体」の類義語は?違いは?

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公武合体は、先に述べた通り天皇家と将軍家を合わせて政権強化を狙った運動のことです。専門用語なので類義語は少ないのですが、同じ意味で違う表現がされている言葉はあります。

「公武一和」

公武一和は「こうぶいちわ」と読みます。公武は公武合体と同じく「公家」と「将軍」の意味です。一和は、「ひとつにあわさる」という意味があります。よく混ぜる、均等に混ぜるという意味で「和える」という言葉がありますが、これに近いニュアンスです。公家と将軍をひとつに合わせる、という意味で、公武合体とまったく同じ意味になります。

「公武合体」の対義語は?

専門用語である公武合体には、日本語としての対義語はありません。しかし、対立する思想を示す言葉があり、それを対義語とみなすことができます。

「尊王攘夷」

尊王攘夷は「そんのうじょうい」と読みます。「尊王」も「攘夷」も、それぞれ別の政治思想を示す言葉です。

尊王の「王」とは、国のトップ、つまり天皇を指します。天皇を差し置いて政治の実権を握る幕府に対して、天皇を尊び、天皇中心の国づくりをするべきだ、という考え方が尊王思想です。

攘夷はもともと中国の春秋時代に生まれた言葉が日本に伝来したものとされています。武力行使によって外敵・外国を排除しようという思想で、通商に反対して国内の外国人を追放し、鎖国を維持しようする考え方でした。

君主を尊ぶ、という点と、外国から日本を守る、という点で尊王と攘夷は共通点が多く、両方が合体して尊王攘夷と呼ばれるようになりました。

「尊王攘夷」と「公武合体」

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幕末から明治にかけての日本史において、避けることのできないキーワードが「尊王攘夷」と「公武合体」です。ここでは、尊王攘夷と公武合体にまつわる日本史について確認していきましょう。

江戸幕府と朝廷

日本史の大きな部分を占めるのが、いわゆる江戸時代です。江戸時代の日本の政治の中心が江戸幕府でした。一方、江戸時代よりもはるかに以前から、日本には天皇家が存在していました。

かつては天皇家が政治の実権を握り、天皇を中心とする朝廷が政治を動かしていました。ところが、度重なる内乱を経て、承久3年に起こった「承久の乱」で、朝廷が幕府軍に敗れてしまいます。この敗戦で朝廷の権力は大きく削がれ、将軍を中心とする幕府がいよいよ実権を握るようになります

ところが、天皇は権威の象徴として残存し続け、いくつかの役割を担いました。その数少ない役割のひとつが、征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)の任命でした。この征夷大将軍が、幕府の最高権力者である将軍なのです。つまり、幕府は明らかに朝廷を超える権力と軍事力をもちながら、朝廷の任命なしには成立しない状態でした。

こうして、権威の天皇、実権の幕府という、奇妙なパワーバランスが生まれました。このバランスのもとで、江戸幕府も長期政権を維持したのです。

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江戸時代の末期

関ヶ原の戦いを制した徳川家康が江戸幕府を開いて以来、300年ほど江戸幕府の時代は続きました。しかし、世襲制での代替わりがあまりに長期にわたって続いたため、家柄や人間関係の複雑なしがらみを生みました。また、外国との交流を遮断する鎖国を行っている間に欧米列強諸国の状況が変化し、ペリー提督率いる黒船が来襲するなど日本に対して開国が迫られる事態となりました。

このとき、大老の任に就いていた井伊直弼が、朝廷の許可を得ずに外国との条約を締結してしまいます。この決断に不満を抱いた武士18名らにより、井伊直弼は暗殺されてしまいました。この事件は、桜田門外の変と呼ばれています。

公武合体と尊王攘夷

天皇の意思を聞かずに開国したことに立腹した武士たちの間で、尊王攘夷運動がおこりました。この運動は大きなうねりとなり、幕府を悩ませることになります。

一方、幕府は天皇との関係を修復し、天皇を巻き込んで権力の回復を目指します。これが公武合体論です。この公武合体の象徴として、当時の孝明天皇の妹である和宮と、将軍である徳川家茂とを結婚させます。しかし、明らかな政略結婚であることがかえって尊王攘夷派を刺激してしまいました。

その結果、各地で尊王攘夷派による乱が起こります。最初は散発的で、幕府により鎮圧できていたものの、時代の流れは明治維新へと大きく動いていったのです。

「公武合体」を使いこなそう

今回の記事では、公武合体について意味や由来、使い方を説明しました。公武合体は幕末の日本史におけるキーワードで、いわば専門用語です。そのため、日常会話での使用シーンはほとんどありません。しかし、幕末を描いた歴史小説などの作品は多く、専門用語でありながら目にする機会は多い熟語といえるでしょう。もちろん、小説作品だけでなく日本史を学ぶ上でも知っておかなければならない言葉です。対立する思想である尊王攘夷とセットで覚えておくと、より理解が深まるでしょう。

特に、公武合体や尊王攘夷が取りざたされた幕末期には多くの人物や言葉が登場します。今回紹介した公武合体だけでなく、幕末の日本に関わる言葉についてひとつずつ丁寧に意味を理解しておくことが大切です。

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【四字熟語】「公武合体」の意味や使い方は?例文や類語をWebライターがわかりやすく解説!

この記事では「公武合体」について解説する。

端的に言えば公武合体の意味は「幕府と朝廷の結びつける政策」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

元塾講師で、解説のわかりやすさに定評のあるgekcoを呼んです。一緒に「公武合体」の意味や例文、類語などを見ていきます。

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「公武合体」の意味や語源・使い方まとめ

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公武合体は「こうぶがったい」と読みます。それでは、さっそく「公武合体」の意味や由来、使い方についてみていきましょう。

「公武合体」の意味は?

公武合体には、次のような意味があります。

幕末期、朝廷の伝統的権威と結び付き、幕藩体制の再編強化を図ろうとした政治論、およびその運動。

出典:大辞林 第三版(三省堂)「公武合体」

日本史上の用語の1つで、社会科の教科書や新書などで目にする機会の多い熟語です。

「公武合体」の由来は?

意味のところでも述べた通り、公武合体は歴史上の政治論や運動の名称です。公家、つまり朝廷や天皇家を意味します。武将、つまり将軍家で、はっきりいえば江戸幕府のことです。元来、朝廷と幕府は担う役割が異なる別々の存在でしたが、幕府の弱体化に伴って、朝廷と幕府を統合し政権の力を取り戻そうとしました。公家と武将を合体させるので、公武合体と呼ばれたのです。

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