国語言葉の意味

【慣用句】「痺れを切らす」の意味や使い方は?例文や類語を本の虫ライターがわかりやすく解説!

「仏の顔も三度」

普段は穏やかな人であっても、何度も失礼なことをされたら怒り出すのではないでしょうか。「仏の顔も三度」は、いかに温和で慈悲深い人でも、無礼が続けば怒るという意味。仏様ですら、顔を三度なでられたら腹を立てるというもの。そのような様子から転じて、怒りを表す際に「仏の顔も三度」と表現するようになりました。すなわち、「四度目はない」ということになりますね。

「仏の顔も三度」は、主に「忠告」としてよく使われています。いくら優しい人であるとはいえ、無礼な接し方は感心できるものではありません。失礼なことばかりする人に対して「仏の顔も三度までだよ」と注意してあげてください。

「痺れを切らす」の対義語は?

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「痺れを切らす」の意味は「我慢できなくなること」でした。反対の意味となると「我慢できる」となるはずです。そこで今回は、「待ち続けた」もしくは「長時間待つことができる」といった意味合いで「痺れを切らす」の対義語をみていきましょう。

「待ちに待った」

「待ちに待った」は、日常会話でよく使われる言葉です。意味は、長い時間を期待しながら待ち続けること。主に、楽しみにしているイベントの日が訪れた時に使われます。「待ちに待った旅行の日がやってきた」といえば、いかに待ちこがれていたか、嬉しい気持ちが伝わるのではないでしょうか。

「首を長くする」

「首を長くする」とは、物事が実現することを待ち遠しく思っている様子のこと。「首を伸ばす」や「鶴首」と表現することもあります。一般的には「首を長くする」だけで使うことはありません。「首を長くして待つ」と表現する場合がほとんどです。たとえば、勇気を振り絞って告白し、相手からの返事を待っていたとしましょう。「彼女からの返事を、首を長くして待っていた」と表現することができますね。

「待てど暮らせど」

「待ちに待った」や「首を長くする」に比べて、「待てど暮らせど」はハッピーエンドな結末が待っているとは限りません。「待てど暮らせど」は「待ちわびて過ごしているけれど」という意味。文章の最後に「ない」などの、打ち消しの語を用いるのが一般的な使い方になります。そのため、たとえば「待てど暮らせど返事がこない」と表現するとよいでしょう。

「待てど暮らせど」は、いくら長い時間待ったとしても、期待している物事が実現することはありません。やりきれない気持ちも込めて「待てど暮らせど」を使ってみてください。

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待ち続ける様子を表す言葉は、ほかにもたくさんあるぞ。「待ちわびる」と同様の意味で「待ち倦(あぐ)む」という言葉がある。「倦む」とは、「物事に行き詰まってどうしようもなくなる」という意味。「待ち倦む」で、うんざりするほど長く待っている様子を表すことができるだろう。

\次のページで「「痺れを切らす」を使いこなそう」を解説!/

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