民衆の娯楽として
当時の識字率は現在の比ではなく、字を読めない人はたくさんいました。けれど、耳で聞く事なら誰にだってできますよね。僧侶が物語を語り聞かせることで、日本の歴史を身分関係なく多くの人々に伝えてきました。
しかし、ただ語り伝えるにしても、興味を引くような物語でなければ人は聞いてくれません。娯楽にはならないのです。
さて、ここで『太平記』の中身を見ますと、難しいながらに力強い言葉がずらりと並んでいるのがわかります。意味がわからなくても力強い言葉は人の心を掴むのに十分な力を持ち、そこに僧侶たちの熟練された歌が加わるのです。『太平記』の語りは、人を物語に引き込む素晴らしい娯楽でした。
また、江戸時代になると「太平記読み」という『太平記』を朗読、あるいは講釈する芸能が広がります。「太平記読み」は、さらに元禄のころには職業としても確立するようになりました。
けれど、どうしてそこまで『太平記』が人気になったのでしょうか?
人気の秘訣は「忠臣」
『太平記』人気のキーワードに「忠臣」という言葉があります。主君に忠義を尽くす臣下のことですね。同時代には「忠臣蔵」など、そのものズバリの人気タイトルがあるように、「忠臣」は日本人に広く好まれたのです。
なかでも、第一部で後醍醐天皇側の武将として、鎌倉幕府、そして足利尊氏と最後まで戦った「楠木正成」は大人気でした。楠木正成の天皇への忠義のあり方は江戸時代の国学者らに引き継がれ、のちに小学校の教科書に載せるなどして「国民は天皇の臣下」という考えを広めたのです。
歴史を物語り、人々を惹きつけた『太平記』
鎌倉時代の終わりから南北朝時代の終盤までを書いた『太平記』。血生臭い動乱の時代にありながら、楠木正成などの忠臣や、そのほかの武士たちの武勇、忠孝の話などを織り交ぜ、人々に道徳観や人生観を教え伝えたのです。そういう面からみると『太平記』はただの軍記物語ではなく、歴史と道徳を学べる教科書といっても過言ではありませんね。