端的に言えば「是が非でも」の意味は「絶対に、必ず」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。
教師や講師としても教えることに関わってきた「やぎしち」を呼んです。一緒に「是が非でも」の意味や例文、類語などを見ていきます。
ライター/やぎしち
雑学からビジネス文章まで手掛ける現役ライター。
国語の中学・高校教諭の資格も持ち、予備校講師の経験も。言葉を大切にした文章を心掛けている。
「是が非でも」の意味は?
「是が非でも」には、次のような意味があります。
善悪にかかわらず。なにがなんでも。「是が非でもやりとげたい」
出典:デジタル大辞泉(小学館)「是が非でも」
この言葉は「良し悪しに関わらず、何が何でも」という意味を持つ慣用表現です。
「是」には「正しいこと、道理にかなったこと」、また「それが良いと認める」という意味があります。少し難しいですが、何かを肯定する際に使われる言葉、と覚えておきましょう。「是なり(ぜ・なり)」と時代劇などのセリフであったとすれば「その通りだ」と頷きながら言っているはずです。
「非」はそれと反対で「良くないこと」を指しています。こちらは「非常(ひじょう=常でない)」などの単語でもおなじみのように、否定の意味を持たせる言葉ですね。
この二つが合わさって、「正しい正しくなくても、それに関わらず」という強調の意味を持つようになりました。「是が非でも」を短くした言い方が「是非(ぜひ)」。「ぜひ~させて下さい!」という言い回しはこれがもとになっているのです。詳しい使い方は、例文の項で確認してみてくださいね。
「是が非でも」の語源は?
「是が非でも」の語源として、特別な由来は確認できませんでしたが、言葉の意味から成り立ちが推測できます。
先に述べた通り「是」は「いいこと」、「非」は「悪いこと」を指していました。たとえば何か欲しいときに「是が非でも」と言えば、「良いも悪いも関係なく、どうしても」と、なりふり構わない感じが表現できますね。それほどの強い感情や意志を表すため、「正否すら関係ない」という表現が用いられたのではないでしょうか。
参考ですが「是が非でも」に近い言葉で、「是是非非(是々非々・ぜぜひひ)」というものもあります。中国の思想書『荀子(じゅんし)』に登場する考え方で、「良いことは良い、悪いことは悪い、と判断する」というもの。
善悪の判断をはっきりするという概念は、このようにかなり古くからあるもの。もしかしたら、そんな厳しい規律に反発するような気持ちが、こうした言葉が生まれるの一因ともなったのかもしれませんね。
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