日本史

5分でわかる「彦根城」誰が住んでた?歴史は?わかりやすく歴女が解説

よぉ、桜木健二だ、今回は彦根城を取り上げるぞ。井伊家のお城だったそうだが、どんな城だったか詳しく知りたいよな。

その辺のところを江戸時代も大好きなあんじぇりかと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

angelica

ライター/あんじぇりか

子供の頃から歴史の本や伝記ばかり読みあさり、なかでも女性史と外国人から見た日本にことのほか興味を持っている歴女、江戸時代にも興味津々。例によって昔読んだ本を引っ張り出しネット情報で補足しつつ、彦根城について5分でわかるようにまとめた。

1-1、彦根城とは

image by PIXTA / 58506145

彦根城(現滋賀県彦根市)は、江戸時代初期に築城された井伊家の居城で、姫路城、犬山城、松本城、松江城とおなじく、天守が国宝指定された城です。もともと彦根には、石田三成の居城の佐和山城がありましたが、関ヶ原の戦いの後に戦功で近江18万石の居城として佐和山城主となった井伊直政が、いくらなんでも石田三成の城にそのまま住むわけにはいかないと、新たに築城されたのが彦根城。

ということで、ここでは別名金亀城(こんきじょう)ともいわれる彦根城について解説していきます。

2-1、彦根城ができるまで

徳川家康の武将の井伊直政は、徳川四天王、徳川十六神将、徳川三傑に数えられた家康の天下取りを支えた功臣のひとり。直政は関ヶ原合戦の軍功と外交折衝で功績をあげたので、近江の国18万石を知行することになり、石田三成の居城だった佐和山城主になりました。

佐和山城は「三成に過ぎたるものが二つあり、島の左近に佐和山の城」と言われるほどで、島左近も城つくりに関与した名城でしたが、直政は、佐和山城の中世的で古い縄張り、また三成の居城と城下町を継承することを嫌って、家康の許可を得て琵琶湖岸に近い磯山(現滋賀県米原市磯)に居城を移すことを計画

しかし直政は関ヶ原の戦傷がもとで1602年に死去し、家督を継いだ直継が幼少だったので、家老の木俣守勝が徳川家康と相談し、直政の遺志を継いで1603年に琵琶湖に面した彦根山(別名は金亀山)に彦根城の築城を開始したのですね。

井伊家とは

井伊家は遠江国の古い豪族で、平安時代にまでさかのぼれるということです。鎌倉時代から遠江地方の国人領主として栄え、南北朝時代には南朝方の拠点として宗良親王を迎えて一大勢力を誇りましたが、戦国時代には今川氏に仕えるようになっており、当時の当主だった井伊直盛が桶狭間合戦で戦死。直盛には嫡男がなかったので、従弟の直親が跡を継いだが、今川氏に殺害され、直親の遺児でのちの井伊直政が残されました。

そこで出家していた直盛の一人娘が幼少の直政の後見人となって、井伊直虎(または次郎法師)を名乗り、女領主として井伊家をおさめ、様々な危機を乗り越えた後、15歳になった直政は徳川家康に仕えて、多くの武功をたてて家康の天下統一に貢献、井伊の赤備えとしても有名な武将となり、最終的に近江18万石の大名に。なお、直政の死後、跡を継いだ息子の直継(後に直勝)は病弱で、かわって大坂の陣に出陣して活躍した弟の直孝が家康の命令で彦根藩主を継承し、石高も30万石にアップ、2代将軍秀忠、3代将軍家光の信任厚い幕閣となり、直継は分家を立てることに。

そして江戸時代の井伊家は、直澄、直該、直幸、直亮、直弼と5代6度の大老職(直該が2度なお直孝、直澄のころはまだ大老職がなかった)を出したという譜代大名の筆頭となって、彦根藩は一度も転封もなく幕末まで務めました。

3-1、彦根城の築城、天守などの残っている建物

いろいろご説明していきますね。

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