今の世の中では地球が自転していることは小学生も知っている世界の常識です。しかしこの天文学史上最大な発見がされたのは日本が戦国時代の頃。それまでは地球の周りを天体が動いていると考えられていた。

この地球が回っているという地動説を唱えたのがポーランド出身の天文学者、ニコラウス・コペルニクスです。発表当初、地動説はなかなか受け入れられなかった。それまでの常識であった天動説と全く違う地動説は受け入れがたかったのです。

コペルニクスがどんな人物でどうやって地動説を考え出したのか。今回はこの地動説発見の経緯を説明していく。解説は科学館職員のたかはしふみかです。

ライター/たかはし ふみか

テスト前にはわからない用語を全部調べて単語一覧を作り、暗記し練習問題を解いて勉強していたリケジョ。ギリシャ神話が好きで天文について勉強中の科学館職員。

地動説って何?

地動説って何?

image by Study-Z編集部

そもそも地動説とはどんなものだったでしょうか?

地球には昼と夜があり、季節がありますね。これは地球が1日1回自転し、太陽の周りを1年かけて公転しているからです。「地」球が「動」いているという地動説。しかし、以前は地球が動いているのではなく、太陽やその他の天体が地球の周りを動いている、「天」が地球の周りを「動」いていると考えられていたのです。

地動説が登場するまで、地球が宇宙の中心であると考えられていました。しかし観測技術の進歩によって月(実際に地球の周りを公転している衛星)が他の天体と動きが異なることや、地球の周りを天体が回っているのでは説明できない現象が発見されたのです。地動説によって天動説では説明できない現象が説明できるようになりました。

昔はこれが常識だった~天動説

Cellarius ptolemaic system.jpg
Jan van Loon - http://nla.gov.au/nla.map-nk10241, パブリック・ドメイン, リンクによる

先程から登場している天動説地球中心説)。読んで字のごとく地球の周りを天体が動いているという考え方です。ウィキペディアで検索すると天動説は「地球は宇宙の中心にあり静止しており、全ての天体が地球の周りを公転しているとする説」と説明されています。

この天動説を考えた(それまで考えられていた天文学の説をまとめて天動説とした)のはプトレオマイオスという人物です。プトレマイオスは主著「アルマゲスト」に地球が宇宙の中心にあり、その周りを天体が動いているという説を書いています。プトレオマイオスは出身や出生年について明らかになっていませんが、83年頃に生まれた数学・天文などの分野で活躍した学者です。

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コペルニクスの生涯

天動説を唱えたコペルニクスはどのような生涯を送ったのでしょうか?

コペルニクスの幼少期

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ニコラウス・コペルニクスはポーランド出身の天文学者、カトリックの司祭です。

コペルニクスは1473年2月19日、ポーランドのトルンで誕生しました。このトルンには彼にちなんだニコラス・コペルニクス大学という大学があります。

彼の父親は銅を扱う商人をしていました。ちなみにコペルニクス(Copernicus)という名前の由来はポーランドにある銅山Kopernikiです。幼くして両親を失ったコペルニクスは母方の叔父に引き取られて兄弟と共に育てられました。この叔父は教会に勤め司祭をしていた人物です。そのため甥も司祭になることを望んでいました。

\次のページで「コペルニクスと学問」を解説!/

コペルニクスと学問

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ポーランド最古のクラクフ大学に進んだコペルニクス。そこで天動説を疑問視している天文学者のブルゼスフキの下で天文学を学びます。そして法律を学ぶためにイタリアのボローニャ大学に留学し、そこでさらに天文学も学びました。その後医学も学び、同時に占星術も学びました。

コペルニクスは聖職者、医者として働く一方、天体観測を続けていました。そして1508年ごろに地動説を考え始めたのです。この考えをコペルニクスは1510年に著書「コメンタリオルス」にまとめ、数人の仲間に送りました。

コペルニクスの友人たちによってこの地動説の考えが徐々に広がり、1542年に主著「天体の回転について」の原稿が完成します。しかしその後コペルニクスは病に倒れ、校正版が手元に届いた1543年の5月24日に亡くなりました。

写真はポーランド科学アカデミーにあるコペルニクスの銅像です。

コペルニクスの考えを受け継いだガリレオ・ガリレイ

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初めて望遠鏡で天体観測をしたガリレオ・ガリレイ

コペルニクスよりも90歳ほど年下のガリレオはコペルニクスの地動説を支持しました。しかしこのことがきっかけでガリレオはローマ教皇庁と対立します。さらにコペルニクスの著書「天体の回転について」は閲覧禁止となったのです。しかしそれでも遅動説を唱え続けたガリレオ。1633年の宗教裁判で有罪となったガリレオはその時にあの有名な言葉「それでも地球は回っている」を呟きました。

イタリアのサンタ・クローチェ協会にはガリレオの像があります。

コペルニクスの前にもいた!地動説を唱えた人物

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紀元前にも地球が動いていると考えた人物がいました。

最初に太陽を中心とする考えを唱えたのはアリスタルコスです。アリスタルコスは「太陽と月の大きさと距離について」で地球中心説を述べています。

古代ギリシャの天文学者であるアリスタルコスは地動説を述べました。しかしこの説が受け入れられることがはなく約2000年の間、天動説が信じられていたのです。そしてコペルニクスが再び地動説を唱えたことでアリスタルコスは古代のコペルニクスと呼ばれるようになりました。

天文学最大の発見!コペルニクスが唱えた地動説

以前は地球が宇宙の中心でその周りを他の天体が回っていると考えられていました。これが天動説ですね。しかし観測技術の進歩によって天動説では理解できない現象が発見されました。こうして新たに地動説が唱えられるようになったのです。

ポーランド出身のコペルニクスは天文学者としてだけでなく、医者としても活躍していました。この時代は天体が体や病気に影響すると考えられていて、医者は占星術も学んでいたそうです。また教会には病気を抱えた人もやってくるということでコペルニクスは聖職者でありながら教会の理解のもと、医学や占星術を学ぶことができたのでしょう。

当初、地動説は受け入れられませんでした。それが多くの科学者によるいろいろな実験や研究を通して正しいと証明されたのです。今信じられている説がいずれ誤っていたとされることがあるかもしれませんね。

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地学地球理科

3分で簡単「コペルニクス」生涯は?地動説とは?科学館職員がわかりやすく解説

今の世の中では地球が自転していることは小学生も知っている世界の常識です。しかしこの天文学史上最大な発見がされたのは日本が戦国時代の頃。それまでは地球の周りを天体が動いていると考えられていた。

この地球が回っているという地動説を唱えたのがポーランド出身の天文学者、ニコラウス・コペルニクスです。発表当初、地動説はなかなか受け入れられなかった。それまでの常識であった天動説と全く違う地動説は受け入れがたかったのです。

コペルニクスがどんな人物でどうやって地動説を考え出したのか。今回はこの地動説発見の経緯を説明していく。解説は科学館職員のたかはしふみかです。

ライター/たかはし ふみか

テスト前にはわからない用語を全部調べて単語一覧を作り、暗記し練習問題を解いて勉強していたリケジョ。ギリシャ神話が好きで天文について勉強中の科学館職員。

地動説って何?

地動説って何?

image by Study-Z編集部

そもそも地動説とはどんなものだったでしょうか?

地球には昼と夜があり、季節がありますね。これは地球が1日1回自転し、太陽の周りを1年かけて公転しているからです。「地」球が「動」いているという地動説。しかし、以前は地球が動いているのではなく、太陽やその他の天体が地球の周りを動いている、「天」が地球の周りを「動」いていると考えられていたのです。

地動説が登場するまで、地球が宇宙の中心であると考えられていました。しかし観測技術の進歩によって月(実際に地球の周りを公転している衛星)が他の天体と動きが異なることや、地球の周りを天体が回っているのでは説明できない現象が発見されたのです。地動説によって天動説では説明できない現象が説明できるようになりました。

昔はこれが常識だった~天動説

Cellarius ptolemaic system.jpg
Jan van Loonhttp://nla.gov.au/nla.map-nk10241, パブリック・ドメイン, リンクによる

先程から登場している天動説地球中心説)。読んで字のごとく地球の周りを天体が動いているという考え方です。ウィキペディアで検索すると天動説は「地球は宇宙の中心にあり静止しており、全ての天体が地球の周りを公転しているとする説」と説明されています。

この天動説を考えた(それまで考えられていた天文学の説をまとめて天動説とした)のはプトレオマイオスという人物です。プトレマイオスは主著「アルマゲスト」に地球が宇宙の中心にあり、その周りを天体が動いているという説を書いています。プトレオマイオスは出身や出生年について明らかになっていませんが、83年頃に生まれた数学・天文などの分野で活躍した学者です。

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コペルニクスの生涯

天動説を唱えたコペルニクスはどのような生涯を送ったのでしょうか?

コペルニクスの幼少期

image by PIXTA / 64553538

ニコラウス・コペルニクスはポーランド出身の天文学者、カトリックの司祭です。

コペルニクスは1473年2月19日、ポーランドのトルンで誕生しました。このトルンには彼にちなんだニコラス・コペルニクス大学という大学があります。

彼の父親は銅を扱う商人をしていました。ちなみにコペルニクス(Copernicus)という名前の由来はポーランドにある銅山Kopernikiです。幼くして両親を失ったコペルニクスは母方の叔父に引き取られて兄弟と共に育てられました。この叔父は教会に勤め司祭をしていた人物です。そのため甥も司祭になることを望んでいました。

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