この記事では「竹を割ったよう」について解説する。

端的に言えば「竹を割ったよう」の意味は「さっぱりとした性質」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

年間60冊以上本を読み込んでいるヤマゾーを呼んです。一緒に「竹を割ったよう」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/ヤマゾー

ビジネス本を中心に毎年60冊読破。本を通じて心に響く生きた日本語を学ぶ。誰にでも分かりやすい説明で慣用句を解説していく。

「竹を割ったよう」の意味・使い方まとめ

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それでは早速「竹を割ったよう」の意味・使い方を見ていきましょう。

「竹を割ったよう」の意味は?

「竹を割ったよう」には、次のような意味があります。

気性がまっすぐなこと。素直で、悪いことのできない性格のたとえ。からたけを割ったよう。

出典:大辞林 第三版(三省堂)「竹を割ったよう」

竹は、縦に切れ目を入れると、一直線に割れるという特徴があります。そのような様子から転じて、気性がさっぱりしていることを「竹を割ったよう」と表現するようになりました。気性とは、もって生まれた性質のこと。もしくは、気が強い様子を表す時にも使われることがあります。性質を表す慣用句であることから、「竹を割ったような性格」と人柄を伝える際に用いられるようになりました。

では、「竹を割ったような性格」とは、どのような人を差すのでしょうか。とくに難しく考える必要はありません。素直で悪いことができず、白黒はっきりさせたいようなタイプを想像するとよいでしょう。第一印象で自分が「さっぱりした性格だな」と感じたら、周囲に相手の人柄を伝える際に「竹を割ったよう」を使ってみてください。

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「竹を割ったよう」の使い方・例文

「竹を割ったよう」の使い方を例文を使って見ていきましょう。この言葉は、たとえば以下のように用いられます。

1.あなたは表裏がなく、竹を割ったような性格だね。

2.彼らの思考はポジティブで、竹を割ったような男らしさがあるよ。

3.竹を割ったような性格をした女性は、揺るぎない信念を持っている。

「竹を割ったよう」は、「竹」を「人柄」に例えた慣用句になります。そのため、単独で使うことはなく、「性格」や「人」といった言葉と組み合わせて使うとよいでしょう。ただし、使い方を理解していたとしても、なかなか周りに「竹を割ったような性格の人」はいないものですよね。日常会話では、テレビドラマの登場人物やキャラクターなど、個性を表す際によく使われているといえます。

また、「竹」という例えが良くないのか、「竹を割ったような性格」が悪い意味だと捉えてしまう人もいるようですね。当然のことながら、全員が納得するような性格など、この世に存在しません。気性が真っ直ぐであることは立派な長所であり、短所と捉える必要はないはずです。相手を勘違いさせないように「竹を割ったような性格で頼もしい人だ」などと、ほかの褒め言葉も付け加えて使うとよいでしょう。

「竹を割ったよう」の類義語は?違いは?

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では、「竹を割ったよう」の類義語や違いをみていきましょう。

「気さく」

「気さく」も「竹を割ったよう」と同様に、人柄を表す際によく使われています。意味は、気性がさっぱりしていて、物事にこだわらないこと。ほかにも「気さくに話しかける」など、様子を表す際にも用いられます。「気さくな人」は分け隔てなく接するため、どのような場面でも重宝されるのではないでしょうか。

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「さばさば」

「さばさば」は、普段からよく使う方も多いかと思います。意味は、気分がすっきりする様子。もしくは、物事にこだわらず、あっさりしていること。「さばさばした性格」などと、よく表現しますよね。「さばさば」と「竹を割ったよう」は、同様の意味として使って問題ないでしょう。ただし、「竹を割ったよう」のほうが「筋が通っている」という印象を与えることができます。状況によって使い分けてみてください。

「天空海闊」

「天空海闊」は「てんくうかいかつ」と読みます。意味は、度量が大きく、さっぱりしていること。空や海が果てしなく広大な様子から転じて、「天空海闊」と人柄を表す際に使われるようになりました。度量とは、おおらかな心のことで、人の言動を受け入れる寛容な性質のことを差します。意味からして、「天空海闊の人」のほうが「竹を割ったような人」よりも許容範囲が広いといえるのではないでしょうか。

「竹を割ったよう」の対義語は?

「竹を割ったよう」は「気性がさっぱりしている」という意味でした。反対の意味となると「くよくよしている」となるはずです。そこで今回は、「はっきりしない」や「なかなか決められない」といった意味合いで「竹を割ったよう」の対義語をみていきましょう。

「煮え切らない」

「煮え切らない」の意味は、態度や考えがはっきりしない。もしくは、あいまいなこと。「煮え切らない言動」や「煮え切らない態度」は、相手をイライラさせてしまうものです。「煮え切らない」よりは、「竹を割ったような人」の対応のほうが好まれるのではないでしょうか。

「執念深い」

「竹を割ったような人」のように、性質がさっぱりしているということは、物事に執着せず引きずらない性格といえます。対して「執念深い」の意味は、思い込みがひどく、あきらめが悪いこと。「執念深い人」は、ある物事や人物に対しての執着がひどく、いつまでも忘れることがありません。仕事によっては「執念深さ」も必要かもしれませんが、プライベートでは避けたいところです。

「優柔不断」

「優柔不断(ゆうじゅうふだん)」の意味は、ぐずぐずして決断力に乏しいこと。なかなか物事が決められない人や様子に対して使われます。「優柔」は、優しく柔らかなことから転じて、煮え切らないという意味。「不断」は、決断できないという意味になります。八方美人で誰に対しても優しい顔ばかりしていると、いざという時に決断することができません。たまには「優柔不断」でも良いかもしれませんが、仕事上では避けたほうがよい態度といえるでしょう。

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「竹を割ったよう」の英訳は?

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では、「竹を割ったよう」を英訳すると、どのような表現があるのでしょうか。

「straightforward」

「竹を割ったよう」は、意味の「性質がまっすぐである」ことを英訳したほうが伝わりやすいといえます。「straightforward」は、あまり見慣れない単語かもしれませんが「まっすぐな」や「率直な」という意味。人の性質以外で使う場合は「簡単な」という意味として使うこともできます。「She is very straightforward person」といえば「彼女は竹を割ったような性格です」と伝えることができるでしょう。

「frank」

日本では「フランク」というと、カタカナ英語で「気さくな」という意味として使われがちですが、英語の場合は少し違います。「frank」は「垂直な」や「正直に」という意味。どちらかというと、包み隠さず正直に発言したい場合に用いられると考えるとよいでしょう。「She is very frank」といえば「彼女は竹を割ったような人です」と伝えることができます。

「竹を割ったよう」を使いこなそう

この記事では「竹を割ったよう」の意味・使い方・類語などを説明しました。竹という植物はとても成長が早く、丈夫でありながらしなやかさも兼ね備えています。そのため、古くから日本では食器や建築材料として親しまれてきました。そのような「竹」と同じような性格だと言っているわけですから、「竹を割ったような性格」という評価は、喜ばしいことではないでしょうか。

しかし、時代の流れと共に竹が身近ではなくなり、人によっては良くない意味として捉えてしまうこともあるようです。そのような場合は、竹林だけでも実際に見てみるとよいでしょう。竹は、街路樹のようにあまり枝分かれすることなく、何の支えもなしに真っ直ぐと上へ伸びていきます。きっと「竹を割ったよう」に対しての印象が変わり、褒め言葉として使いたくなるはずですよ。

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国語言葉の意味

【慣用句】「竹を割ったよう」の意味や使い方は?例文や類語を本の虫ライターがわかりやすく解説!

「さばさば」

「さばさば」は、普段からよく使う方も多いかと思います。意味は、気分がすっきりする様子。もしくは、物事にこだわらず、あっさりしていること。「さばさばした性格」などと、よく表現しますよね。「さばさば」と「竹を割ったよう」は、同様の意味として使って問題ないでしょう。ただし、「竹を割ったよう」のほうが「筋が通っている」という印象を与えることができます。状況によって使い分けてみてください。

「天空海闊」

「天空海闊」は「てんくうかいかつ」と読みます。意味は、度量が大きく、さっぱりしていること。空や海が果てしなく広大な様子から転じて、「天空海闊」と人柄を表す際に使われるようになりました。度量とは、おおらかな心のことで、人の言動を受け入れる寛容な性質のことを差します。意味からして、「天空海闊の人」のほうが「竹を割ったような人」よりも許容範囲が広いといえるのではないでしょうか。

「竹を割ったよう」の対義語は?

「竹を割ったよう」は「気性がさっぱりしている」という意味でした。反対の意味となると「くよくよしている」となるはずです。そこで今回は、「はっきりしない」や「なかなか決められない」といった意味合いで「竹を割ったよう」の対義語をみていきましょう。

「煮え切らない」

「煮え切らない」の意味は、態度や考えがはっきりしない。もしくは、あいまいなこと。「煮え切らない言動」や「煮え切らない態度」は、相手をイライラさせてしまうものです。「煮え切らない」よりは、「竹を割ったような人」の対応のほうが好まれるのではないでしょうか。

「執念深い」

「竹を割ったような人」のように、性質がさっぱりしているということは、物事に執着せず引きずらない性格といえます。対して「執念深い」の意味は、思い込みがひどく、あきらめが悪いこと。「執念深い人」は、ある物事や人物に対しての執着がひどく、いつまでも忘れることがありません。仕事によっては「執念深さ」も必要かもしれませんが、プライベートでは避けたいところです。

「優柔不断」

「優柔不断(ゆうじゅうふだん)」の意味は、ぐずぐずして決断力に乏しいこと。なかなか物事が決められない人や様子に対して使われます。「優柔」は、優しく柔らかなことから転じて、煮え切らないという意味。「不断」は、決断できないという意味になります。八方美人で誰に対しても優しい顔ばかりしていると、いざという時に決断することができません。たまには「優柔不断」でも良いかもしれませんが、仕事上では避けたほうがよい態度といえるでしょう。

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