「さばさば」
「さばさば」は、普段からよく使う方も多いかと思います。意味は、気分がすっきりする様子。もしくは、物事にこだわらず、あっさりしていること。「さばさばした性格」などと、よく表現しますよね。「さばさば」と「竹を割ったよう」は、同様の意味として使って問題ないでしょう。ただし、「竹を割ったよう」のほうが「筋が通っている」という印象を与えることができます。状況によって使い分けてみてください。
「天空海闊」
「天空海闊」は「てんくうかいかつ」と読みます。意味は、度量が大きく、さっぱりしていること。空や海が果てしなく広大な様子から転じて、「天空海闊」と人柄を表す際に使われるようになりました。度量とは、おおらかな心のことで、人の言動を受け入れる寛容な性質のことを差します。意味からして、「天空海闊の人」のほうが「竹を割ったような人」よりも許容範囲が広いといえるのではないでしょうか。
「竹を割ったよう」の対義語は?
「竹を割ったよう」は「気性がさっぱりしている」という意味でした。反対の意味となると「くよくよしている」となるはずです。そこで今回は、「はっきりしない」や「なかなか決められない」といった意味合いで「竹を割ったよう」の対義語をみていきましょう。
「煮え切らない」
「煮え切らない」の意味は、態度や考えがはっきりしない。もしくは、あいまいなこと。「煮え切らない言動」や「煮え切らない態度」は、相手をイライラさせてしまうものです。「煮え切らない」よりは、「竹を割ったような人」の対応のほうが好まれるのではないでしょうか。
「執念深い」
「竹を割ったような人」のように、性質がさっぱりしているということは、物事に執着せず引きずらない性格といえます。対して「執念深い」の意味は、思い込みがひどく、あきらめが悪いこと。「執念深い人」は、ある物事や人物に対しての執着がひどく、いつまでも忘れることがありません。仕事によっては「執念深さ」も必要かもしれませんが、プライベートでは避けたいところです。
「優柔不断」
「優柔不断(ゆうじゅうふだん)」の意味は、ぐずぐずして決断力に乏しいこと。なかなか物事が決められない人や様子に対して使われます。「優柔」は、優しく柔らかなことから転じて、煮え切らないという意味。「不断」は、決断できないという意味になります。八方美人で誰に対しても優しい顔ばかりしていると、いざという時に決断することができません。たまには「優柔不断」でも良いかもしれませんが、仕事上では避けたほうがよい態度といえるでしょう。
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