

ニクソンは保守的な政治思想を持っていたため、一部の層に熱狂的に支持されていたものの、反発する人も少なくなかった。これがウォーターゲート事件で一気に舞台から引きずり降ろされる遠因となったのだろう。
テレビを利用して躍進した政治家ニクソン
Abbie Rowe, 1905-1967, Photographer (NARA record: 8451352) – U.S. National Archives and Records Administration, パブリック・ドメイン, リンクによる
下院議員そして上院議員として政治家としてのキャリアを積んだニクソンは大統領選の副大統領候補に指名されます。そのときニクソンはテレビを有効活用することで窮地を脱することに成功しました。
政治資金の不正により追い詰められたニクソン
ニクソンはドワイト・D・アイゼンハワーの右腕として存在感を示すようになります。しかしニクソンは政治活動を始めたときから地元の有志により経済支援を受けており、それが糾弾されるようになりました。
ニクソンが経済支援を受けていた理由は、彼の家があまり裕福ではなかったこと。それを知った地元の支援者たちが基金をつくり、そこから政治活動費を捻出していました。
チェッカーズスピーチにより批判をかわす
不当に政治資金を得ていると批判されたニクソン。副大統領候補から降ろす案も出てきました。彼が巻き返すきっかけとなったのが「チェッカーズスピーチ」と呼ばれるテレビ演説です。
そこでニクソンは自らの潔白を訴えました。演説の内容はおもにニクソン家の経済状況。借金や私財リストを公表することで、自分はほとんど財産がなく、質素な生活をしていることを説明しました。

この演説はのちに「チェッカーズスピーチ」と命名された。唯一支援者からもらったものが、娘が欲しがったという犬で、名前がチェッカーズだったからだ。娘の逸話は共感をよび、ニクソンは窮地を脱することに成功した。
1960年の大統領選挙ではケネディと対立
United Press International – eBay photo front back, パブリック・ドメイン, リンクによる
ニクソンが自ら大統領に立候補したのが1960年。アイゼンハワーはあ高い支持率を持っていましたが3選は禁止。そこでアイゼンハワーを引き継ぐかたちでニクソンが大統領選挙に立候補しました。
テレビ討論会に病み上がりの姿で登場
このときの民主党の対立候補はジョン・F・ケネディ。当時、一般家庭に浸透しつつあったテレビを使って公開演説会が開かれました。そこでニクソンとケネディの明暗が分かれます。
ケネディは、もともと端正な顔立ちだったことに加え、スタイリストをつけてテレビ映えする外見で登場。それに対してニクソンは病み上がりでした。それが印象を大きく変え、支持率に影響を与えました。
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テレビ映えを意識したケネディに敗北
ケネディは、当時の主要メディアとなっていたテレビを戦略的に活用します。討論会のまえにスピーチ、表情、ふるまいなどを徹底的にトレーニング。テレビのイメージ戦略の方法を確立しました。
とくにニクソンと大きく差をつけたのがファッションです。ケネディはモノクロテレビに合わせて黒のスーツを着用。ニクソンはグレーのスーツだったため、背景と一体化してしまい、印象がぼやけてしまいました。
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