世界史

5分で分かる「ニクソン大統領」ウォーターゲート事件って?政治活動やその後の評価は?元大学教員がわかりやすく解説

よぉ、桜木建二だ。リチャード・ニクソンは1968年に第37代アメリカ合衆国大統領に就任した人物。ベトナム戦争から米軍を完全に撤退させる決断をしたことでも知られている。アメリカを震撼させたスキャンダルであるウォーターゲート事件により辞任したことで、汚職のイメージも根強く残った。

米ソ対立の冷戦期の中心人物として、世界史のなかでもインパクトあるニクソンン。そんな彼の政治活動とその後の評価を世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

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ライター/ひこすけ

文化系の授業を担当していた元大学教員。専門はアメリカ史・文化史。世界史をたどるとき「ニクソン大統領」を避けて通ることはでいない。彼はベトナム戦争を終結させ、中国との緊張をやわらげることに貢献した。しかしウォーターゲート事件の悪印象から汚職政治家のイメージが今でも残っている。そんなニクソン大統領に関連するできごとをまとめてみた。

リチャード・ミルハウス・ニクソンとは?

image by PIXTA / 5368050

リチャード・ミルハウス・ニクソンは1913年にカリフォルニア南部のロサンゼルスの近くで生まれた政治家。国内外の政策で一定の成果を残したものの、ウォーターゲート事件により失脚。汚職のイメージが強い政治家でもあります。

アイルランド系の家に生まれる

ニクソンは5人兄弟の次男。父親と母親はともにアイルランド系の家柄でした。熱心なクエーカー教徒だった母親の影響を受けて父親も改宗。福音主義に従い子供たちを厳しくしつけました。

父親は事業に失敗するなど職を転々としていたこともあり、幼少期にニクソンは決して裕福とは言えない暮らしをしていました。ただ、家族のなかはよく幸せな暮らしをしていたと回想しています。

青年期は弁護士から海軍の士官に職を変える

ニクソンは家計を助けるためにアルバイトをしながらデューク大学のロースクールを卒業。カリフォルニア州の司法試験に合格して弁護士としての道を歩み始めます。

第二次世界大戦が激化するなかニクソンは愛国心の高まりから海軍の士官に応募。訓練を受けて戦地に赴きます。ニクソンは修士号と弁護士資格を持っていたことから戦闘要員にはなりませんでした。

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合衆国の歴代大統領は初代のジョージ・ワシントンを筆頭にほとんどは軍隊経験者だ。軍隊に入ることでアメリカに対する愛国心を示すことになる。それは日本とはちょっと異なるキャリアの積みかたと言えそうだ。

カリフォルニア州を地盤に政治家になったニクソン

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By 1946 Richard Nixon congressional campaign – At the Richard Nixon Presdential Library and Archive, Public Domain, Link

第二次世界大戦で軍人としての経験を積んだニクソンは、自分の故郷であるカリフォルニア州で地盤を築いて政治家になります。周りに勧められてまずは下院議員として政治家の道を歩み始めました。

下院議員時代は赤狩りを推進したニクソン

カリフォルニア州から共和党候補として出馬したニクソンは下院議員に当選。同じタイミングでマサチューセッツ州で当選したジョン・F・ケネディとは、その後、大統領選で競うことになります。

下院議員時代のニクソンは、当時のアメリカで激しくなっていた赤狩りを推進。赤狩りの急先鋒となっていた共和党上院議員のジョセフ・マッカーシーとともに反共活動を展開します。

反共の波に乗って上院議員に当選

ニクソンは赤狩りを積極的に進めることで反共主義者の支持を獲得。1950年に反共の波に乗るかたちで上院議員選挙に立候補、民主党の対立候補と大差をつけて当選を果たしました。

ただ、ニクソンの反共政策は行き過ぎた一面もあったようです。対立する政治家たちを継ぐ次と共産主義者と一方的に糾弾、それがリベラルなジャーナリストの反感を買い、のちのメディア攻撃のネタとなりました。

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