室町時代戦国時代日本史歴史

5分でわかる「小谷城」近江の戦国大名浅井氏の居城をわかりやすく歴女が解説

よぉ、桜木健二だ、今回は小谷城を取り上げるぞ。戦国時代の最大規模の山城だったんだって、どんな城だったか詳しく知りたいよな。

その辺のところを戦国時代も大好きなあんじぇりかと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

angelica

ライター/あんじぇりか

子供の頃から歴史の本や伝記ばかり読みあさり、なかでも女性史と外国人から見た日本にことのほか興味を持っている歴女、戦国時代にも興味津々。例によって昔読んだ本を引っ張り出しネット情報で補足しつつ、小谷城について5分でわかるようにまとめた。

1-1、小谷城とは

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投稿者が撮影 – ブレイズマン (talk) 11:08, 25 August 2008 (UTC), CC 表示 3.0, リンクによる

小谷城(おだにじょう)は、近江の国浅井郡(現滋賀県長浜市湖北町伊部)にあった戦国時代、最大級といわれた山城です。城跡は国の史跡に指定され、日本五大山城のひとつ。

標高約495mの小谷山(伊部山)から南の尾根筋に築かれていた大規模な山城で、戦国大名浅井氏(あざい)三代の居城だったが、浅井長政の時代に織田信長に攻められて落城して廃城に。この小谷城について、ゆかりの人々などについて解説していきますね。

1-2、小谷城の築城はいつごろか

image by PIXTA / 10545227

浅井家の事績をあらわした「浅井三代記」によれば、「1516年(永正13年)9月28日に着工して、同年10月20日に完成」とあるのですが、「浅井三代記」は必ずしも信用できない箇所も多いということで確定ではないそう。

なので1525年に、六角定頼が近江の国の北地方に侵攻したときに、浅井亮政(すけまさ)が小谷城で篭城戦を行っているために、その1、2年前の築城説が有力だということです。なお、1538年に再度六角定頼が攻め込んだとき、浅井亮政は小谷城を出て美濃国に逃亡したことも。

北近江の浅井氏は守護大名京極氏の譜代家臣だった

浅井氏はもともとは近江守護京極氏の譜代家臣だったということで、小谷城を居城として周辺の領域を支配していました。守護大名だった京極氏は戦国時代には北近江三郡を支配する戦国大名化していたが、浅井家三代の初代亮政のころ、京極家で御家騒動がぼっ発、北近江の有力豪族の浅見氏を盟主に、国人衆によって京極家が牛耳られることに。しかし浅見氏が専制政治を行ったためには亮政は浅見氏を追放し、主君京極氏を傀儡政権として有力家臣たちも取り込んで実権を掌握したということです。

その後、亮政は勢力拡大をはかり、南近江の守護で京極家の本家筋の六角定頼と対立、定頼の勢力に押されたために、越前の朝倉氏と同盟を結んで、朝倉氏の支援で北近江の支配力を高めたということ。

2-1、小谷城の全貌は

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投稿者が撮影 – ブレイズマン (talk) 10:28, 5 August 2008 (UTC), パブリック・ドメイン, リンクによる

浅井亮政が築城し、孫の長政まで約50年浅井家の居城で、信長が3年かかってやっと攻め落とし、日本の中世の山城の代表的存在と言われる小谷城についてご紹介しますね。

2-2、小谷城の位置は理想的な場所

小谷城が築かれた小谷山は標高495メートルの急峻な山で、前面に虎御前山、山脇山、丁野山、西に高時川、背後に伊吹山系が控えているという、まさに自然の要害に囲まれた場所です。そして城下には、北陸と東海地方を結ぶ北国脇往還が通っていて、そこから南には、東山道に通じる小谷道が分かれ、少し行くと関ヶ原だということ。

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