この記事では「弘法にも筆の誤り」について解説する。

端的に言えば弘法にも筆の誤りの意味は「弘法大師のような名人でも、書き損じることがある」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

中高生に英語や数学など、指導経験豊富なライター要を呼んです。一緒に「弘法にも筆の誤り」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/要

塾講師を5年していた経験がある。留学経験があり、学生時代は留学生と英語でコミュニケーションを取っていた。日本語とは違った英語の感覚をわかりやすく伝える。

「弘法にも筆の誤り」の意味や語源・使い方まとめ

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それでは早速「弘法にも筆の誤り」の意味や語源・使い方を見ていきましょう。

「弘法にも筆の誤り」の意味は?

「弘法にも筆の誤り(こうぼうにもふでのあやまり)」には、次のような意味があります。

1.弘法大師のような書の名人でも、書き損じることがある。
2.その道に長じた人でも時には失敗をすることがあるというたとえ。

出典:goo辞典「弘法にも筆の誤り」

「弘法にも筆の誤り」とは、弘法大師のような名人であっても、書き損じる事があるという事を例えた表現です。

2つ目の意味にあるように、その道を極めている人であっても、時には失敗する事があるという意味を表しています。

どんなに凄い人であっても、完璧な人はいません。どんな凄い人にも失敗があるという場面に使われます。

ただし、名人でない人に対して使ったり、自分で自分に用いるのは誤りになってしまう表現です。

「弘法にも筆の誤り」の語源は?

次に「弘法にも筆の誤り」の語源を確認しておきましょう。

「弘法」とは、嵯峨天皇(さがてんのう)、橘逸勢(たちばなのはやなり)とともに、平安時代の三筆の1人になっている空海(空海)を指します。弘法大師と言われることもありますね。空海は、平安時代の僧であり、真言宗の開祖になります。835年に亡くなり、921年に後醍醐天皇から「弘法大師」の諡号(しごう)が贈られたのです。

そんな書の名人である弘法でしたが、天皇の命令によって応天門の額を書いた際、「応」の「心」における一番上の点を1つ書き落しました。

そんな様子から、弘法のような名人であっても、書き損じる事があるという慰めの言葉として使われるようになったのです。

また、弘法は書き損じた際、筆を投げつけることで、点を書いて見せました。そのため、「弘法のような名人は、ミスの直し方も素晴らしい」という称賛の意味も含まれているのです。

「弘法にも筆の誤り」の使い方・例文

「弘法にも筆の誤り」の使い方を例文を使って見ていきましょう。この言葉は、たとえば以下のように用いられます。

\次のページで「「弘法にも筆の誤り」の類義語は?違いは?」を解説!/

1.いつも完璧な彼がミスをするなんて、弘法にも筆の誤りだね。
2.俳句の名人でも季語を間違えてしまうなんて、弘法にも筆の誤りは実際にあるんだな。
3.料理人の母が砂糖と塩を間違えるなんて、弘法にも筆の誤りだ。

「弘法にも筆の誤り」は、その道に長年通じている人や、名人、プロなどに対して用いる言葉です。とても素晴らしい名人が、名人らしくない間違えをした際に用いられます。

名人ではない一般の人に対して用いるのは、正しい使い方ではありません。使う相手には、注意が必要です。

また、名人に対して「弘法にも筆の誤り」と慰めてしまうと、時には失礼にあたる場合もあります。相手を不快にさせないよう、気をつけてくださいね。

【誤った表現】

1.彼はミスをするたびに、「弘法にも筆の誤りって言うじゃないか!」と言い訳している。
2.上司の言い訳はいつも「弘法にも筆の誤り」だな。

「弘法にも筆の誤り」は、自分のミスや間違えの言い訳に対して用いる事は出来ません。名人に対して用いられる表現で、基本的には失敗した人を慰める際に用いるのです。

自分の言い訳として使ってしまうと、「自分は名人だ」「ミスは仕方ないようなあ」と自分で自分を威張って慰めてしまいます。自分がミスをした際には、自分の責任を認める方が良いでしょう。

「弘法にも筆の誤り」の類義語は?違いは?

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「弘法にも筆の誤り」の類義語には、以下のようなものがあります。

1.河童の川流れ(かっぱのかわながれ)
2.猿も木から落ちる(さるもきからおちる)
3.麒麟の躓き(きりんのつまづき)
4.釈迦にも経の読み違い(しゃかにもきょうのよみちがい)
5.千慮の一失(せんりょのいっしつ)
6.上手の手から水が漏る(じょうずのてからみずがもれる)
7.孔子の倒れ(くびのたおれ)

どの言葉も、名人や達人であっても間違えてしまうことがあるという事を例えたことわざになります。

ここでは、「猿も木から落ちる」について見ていきましょう。

「猿も木から落ちる」

「猿も木から落ちる」は、どんなに木登りが上手なサルでも、誤って落ちることもあるという例えです。つまり、「弘法にも筆の誤り」と同じように、どの道に優れていても、時には失敗するという意味を表しています。

もともと、名人や達人のミスに対して、慰めるための表現でした。しかし、現在では「猿も木から落ちる」という言葉は、普段でも使われるようになっていますよね。これは、名人ではない普通の人のミスに対しても使われるためです。「木登りが上手なサルでも木から落ちるのだから、ミスや失敗を気にするな」というフォローの意味で使われています。

「弘法にも筆の誤り」の対義語は?

「弘法にも筆の誤り」の対義語には、以下のようなものがあります。

1.愚者にも千慮の一得あり(ぐしゃもせんりょのいっとくあり)
2.愚者も一得(ぐしゃもいっとく)
3.千慮の一得(せんりょのいっとく)

ここでは、「千慮の一得」について見ていきましょう。

「千慮の一得」

「千慮の一得」とは、愚かな者の考えの中にも、1つくらいは良い考えがあるという意味です。「千慮」というのは、多くの考えという意味があります。

中国、前漢時代の歴史家”司馬遷(しばせん)”によって書かれた「史記」の「淮陰侯列伝」が由来となっている言葉です。

「弘法にも筆の誤り」の英訳は?

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「弘法にも筆の誤り」の英語訳では、ことわざのように決まったフレーズと、相手を励ます際にかける言葉の2つをご紹介しておきます。

\次のページで「決まりフレーズ「Homer sometimes nods.」」を解説!/

決まりフレーズ「Homer sometimes nods.」

「弘法にも筆の誤り」のように、「どんな名人でも失敗することがある」という意味を表すことわざのようなフレーズが英語にも存在します。それが「Homer sometimes nods.」です。決まりフレーズとして、覚えてみてください。

日本語訳は、「ホーマーでも、たまには居眠りをする。」になります。これは、ギリシャの大詩人であっても、失敗することがあるという例えを表すフレーズになりますよ。

相手を励ます言葉

ことわざのような表現ではありませんが、相手を励ましたりフォローしたりする際には、以下のような表現が使えます。

1.Nobody is perfect.
「完璧な人はいないよ。」

2.Everybody makes mistakes.
「みんなミスをするよ。」

3.Human error.
「人間のミス」
→機械ならミスをしないが、人間ならミスもあるという意味。

ミスや失敗をした人に対して、「みんなミスはあるんだから、気にするな!」と励ますことができます。

こちらの表現の方が、ことわざ的なフレーズよりは、会話で取り入れやすいかもしれません。

「弘法にも筆の誤り」を使いこなそう

この記事では「弘法にも筆の誤り」の意味・使い方・類語などを説明しました。

「弘法にも筆の誤り」と同じような意味を表す類義語はたくさんあります。ただ、ことわざによっては、「名人にしか使えないもの」や「誰にでも使えるもの」など、使える相手に違いがあるのです。ぜひ、細かい使われ方までチェックしてみてくださいね。

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【慣用句】「弘法にも筆の誤り」の意味や使い方は?例文や類語をWebライターがわかりやすく解説!

この記事では「弘法にも筆の誤り」について解説する。

端的に言えば弘法にも筆の誤りの意味は「弘法大師のような名人でも、書き損じることがある」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

中高生に英語や数学など、指導経験豊富なライター要を呼んです。一緒に「弘法にも筆の誤り」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/要

塾講師を5年していた経験がある。留学経験があり、学生時代は留学生と英語でコミュニケーションを取っていた。日本語とは違った英語の感覚をわかりやすく伝える。

「弘法にも筆の誤り」の意味や語源・使い方まとめ

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それでは早速「弘法にも筆の誤り」の意味や語源・使い方を見ていきましょう。

「弘法にも筆の誤り」の意味は?

「弘法にも筆の誤り(こうぼうにもふでのあやまり)」には、次のような意味があります。

1.弘法大師のような書の名人でも、書き損じることがある。
2.その道に長じた人でも時には失敗をすることがあるというたとえ。

出典:goo辞典「弘法にも筆の誤り」

「弘法にも筆の誤り」とは、弘法大師のような名人であっても、書き損じる事があるという事を例えた表現です。

2つ目の意味にあるように、その道を極めている人であっても、時には失敗する事があるという意味を表しています。

どんなに凄い人であっても、完璧な人はいません。どんな凄い人にも失敗があるという場面に使われます。

ただし、名人でない人に対して使ったり、自分で自分に用いるのは誤りになってしまう表現です。

「弘法にも筆の誤り」の語源は?

次に「弘法にも筆の誤り」の語源を確認しておきましょう。

「弘法」とは、嵯峨天皇(さがてんのう)、橘逸勢(たちばなのはやなり)とともに、平安時代の三筆の1人になっている空海(空海)を指します。弘法大師と言われることもありますね。空海は、平安時代の僧であり、真言宗の開祖になります。835年に亡くなり、921年に後醍醐天皇から「弘法大師」の諡号(しごう)が贈られたのです。

そんな書の名人である弘法でしたが、天皇の命令によって応天門の額を書いた際、「応」の「心」における一番上の点を1つ書き落しました。

そんな様子から、弘法のような名人であっても、書き損じる事があるという慰めの言葉として使われるようになったのです。

また、弘法は書き損じた際、筆を投げつけることで、点を書いて見せました。そのため、「弘法のような名人は、ミスの直し方も素晴らしい」という称賛の意味も含まれているのです。

「弘法にも筆の誤り」の使い方・例文

「弘法にも筆の誤り」の使い方を例文を使って見ていきましょう。この言葉は、たとえば以下のように用いられます。

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