
3分で簡単「フーコーの振り子」地球の自転を証明した?科学館職員がわかりやすく解説

レオン・フーコーは1851年にフランスのパリでこの実験を行った。大きな振り子を1日中揺らしていると、振り子の揺れる向きが変化するというものだ。これをまねた振り子は現在世界中の多くの科学館に展示され、この実験の再現を見ることができる。
今回はそんなフーコーの振り子の実験について科学館職員のたかはしふみかが解説していくぞ。

解説/桜木建二
「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/たかはし ふみか
不思議な現象を解き明かす科学が好きで理系に進んだリケジョ。大学で化学を学び、今は科学館で働く実験好き。
自転とは?地動説とは?

image by Study-Z編集部
地球は太陽の周りを回っています。これを公転と呼びますね。そして1日1回地軸(北極点と南極点を結んだ直線)を中心に回っています。これが自転です。
地球が公転しているという地動説はニコラス・コペルニクスが唱えガリレオ・ガリレイやアイザック・ニュートンによって知られるようになりました。それまでは地球が中心という天動説が信じられていたのです。ちなみに地動説を初めて唱えたのはコペルニクスではありません。紀元前に古代ギリシャの天文学者アリスタルコスによって地動説が考えられていました。しかしこれが大衆に受け入れられることはなかったのです。
コペルニクスは1543年出版の「天体の回転について」で地動説を主張しています。そしてガリレオ・ガリレイもこの説を支持しますが、ローマ教皇庁に受け入れられずに宗教裁判で裁かれることなりました。この裁判で有罪となったガリレオがつぶやいたのが有名な「それでも地球は回っている」です。そしてその後、地動説はアイザック・ニュートンが万有引力を発見したことをきっかけに民衆から受け入れられるようになりました。
公転や天動説・地動説についてはこちらの記事で確認してくださいね。
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コペルニクスが著書で公転を主張したのが1543年。それに対してフーコーが実験によって自転の証明をしたのは1851年のこと。
公転の方が早くわかっていたんだな。
フーコーとは
地球が自転していることは今では常識ですね。しかし、地球が自転していることがいつどうやって証明されたか知っている人は少ないでしょう。地球が自転していることを実験によって証明したのはフランスのレオン・フーコーで1851年のことです。
ジャン・ベルナール・レオン・フーコーは1819年9月18日にフランスのパリで出版業者の父のもとに生まれました。病弱な少年で家庭教師から勉強を学んだそうです。最初は外科医を目指していましたが、血液恐怖症などの影響で断念しています。手先が器用な少年で、模型などを上手に作っていたそうです。
1830年末頃から同じフランス出身の物理学者と親しくなり、物理に興味持つようになりました。その後フーコーは科学記事の執筆で生計を立てるようになります。そして太陽の表面の写真撮影に初めて成功し、さらに光速度測定装置の開発も行いました。
この太陽の動きを追うカメラの装置として振り子を用いたことがフーコーの振り子につながったのです。フーコーは振り子の揺れの向きが一定であることが地球の自転の証明に使えると考えたのでした。
最初は自宅で実験をしていたフーコー。満足のいく結果が出たところでパリ天文台長のフランソワ・アラゴーの協力の元、たくさんの科学者の前で公開実験を行ったのです。そしてフランスの科学者達に地球が自転していることを証明しました。
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